第29話 終わりにしましょう
(やってしまった……何をやっているの私は)
状況を把握したアイシャは頭を抱えたい気持ちになったが、少しでも動いたら自分を抱え込んで寝ているレオネルが目を覚ますと思って我慢した。
もちろん問題の先延ばしということは分かっている。
ずっとこうしているわけにはいかない。
(闘いのあとで、お酒も飲んだ……言い訳があるのはありがたいけれど……)
本当にそれですませていいの?と正直な自分が訴えてくる。
なにしろ誘いをかけたのは自分のほうで、レオネルは最初は拒んでいたのだ。
(断ったのは私が酔っていたから?それとも……恋人がいる、とか?)
レオネルは社交界で不動の人気を誇っている。
二回も離婚歴があるというのに二十年近く『結婚したい男性第一位』に輝き続けている男の人気はダテではない。
(恋人がいないわけがないわよね。それなら何で私と?過去の後ろめたさ……同情とか?もしかして離婚歴のある女はノーカウントというルールが貴族にはあるのかしら)
死別や離縁など理由は様々だが独り身になった女性を遊び相手としている男性が多かったことをアイシャは思い出す。
実際にアイシャも離縁後に何人もの男たちに声をかけられた。
当時は裁判のせいで腰が軽い女だと思われているのだと腹を立てたものだが、
(その通りじゃない)
元夫とはいえ、十五年も会っていなかった男など初対面とろくに変わらない。
実際にこうして恋人の有無も分からず、寝取ってしまったかもしれないと悩んでいるのだから。
(いや、寝ても取らなければ大丈夫?……そんなわけないわよね)
浮気認定は個人の主観である。
つまり『二人きりでいるのも許せない』だろうが『キスまでなら許す』だろうが個人の自由であるため、浮気認定には幅がある。
しかし、十人が十人揃って浮気とするのが、
「どう考えたってこれは浮気だよね」
何もなかったなんて言えない。
記憶にもあるし、体のあちこちに違和感や痕跡が残っているのだ。
「浮気って」
「ひえっ」
突然耳と、くっついた体に直接響いたレオネルの声にアイシャはビクッと震えて間抜けな声を上げた。
いつの間に起きたのか。
バクバクと高鳴っていたアイシャの心臓が、レオネルの大きな手が思わせぶりに自分の下腹部に触れたことでドッコンと大きな鈍い音を立てたあとドコココココココと連打されたようになる。
一生でうつ心拍の数が決められていたなら、寿命はこの男のせいで明らかに縮まっている。
そんな事を考えていたから、
「誰かいるのか?」
レオネルの質問の意味を理解するのに時間がかかり、その間にレオネルの手に力がこもる。
「君の体はずいぶん久しぶりのようだったが、付き合い始めか?それともかなり淡白な奴なのか?」
「何を言って……」
ぎゅうっと力を込めて抱きしめられたことで「勝手なことを」と非難しかけたアイシャの口は動きをとめ、
「勝手な憶測で判断したくない」
レオネルの言葉にふるっと口元が震えて目の奥がツンッと痛んだが、三つ数えて気持ちを整える。
「いないわよ……あなたは?」
嘘をついても自分が虚しくなるだけだとアイシャはため息を添えて答え、レオネルにも答えを求める。
「いない」
「それなら良かった、女の恨みは怖いもの……エレーナの登場であの二人はどうなったの?レーヴェ様に聞いてもいいけれど、あなたから聞きたい」
「元妻のミゲル子爵夫人は子爵と離縁して実家に戻ったが、近いうちに他国の商人と再婚することになっている。母親というあの女は兄である隠居中の元国王のところに逃げ込んだ、毎日仲良く兄妹喧嘩をしているらしい。取り巻きにもとうに見捨てられた、あの子が王都の学校に通っても何もできないだろう」
それでもレオネルが秘密裏にエレーナに護衛をつけるだろうことがアイシャには分かった。
(それがエレーナへの愛情か、それとも守れなかった
「可愛い子でしょう?」
「ああ、君によく似ている」
「あら、私って可愛い?」
「可愛いさ……昔もいまも、君が世界で一番可愛い」
「驚いたわ、十五年も経つとお世辞の一つも言えるようになるのね」
アイシャは姿勢を変えてレオネルと向き合うと、何事もなかったかのように微笑む。
「アイシャ、俺は……」
その決別の表情にレオネルは口を開いたが、アイシャの指先が唇に触れて動きを制止する。
「ちゃんとお別れしましょう」
アイシャの言葉にレオネルの顔がキュッと歪む。
「君は本当に俺の予想を裏切らないな」
「いい意味で?悪い意味で?」
「両方で……それで、俺がイヤだと言ったら?」
「あなたは優しいからそんなこと言わないわ」
「……クソッ」
レオネルの言葉にアイシャは眉尻を下げる。
「レオ?」
「ズルい女」
「嬉しいわ、ズルい女になりたかったの。さようなら
、大好きな貴方。窓の外を見て百数えて」
「さようなら、愛しい
ひどいわ、と笑う顔に笑顔で答えてレオネルはアイシャに背を向ける。
「1、2、3……」
窓の外の空が明るくなりはじめ、世界で一番愛おしくて憎らしい女の瞳の色が薄れるのをレオネルはじっと見る。
「41、42、43……」
世界で一番憎らしいて愛おしい男の声を聞きながら、アイシャは部屋を出て振り返らずに廊下を歩く。
「98、99……100」
白く輝く世界でレオネルは両手で顔を覆った。
「私のお父さんを知りませんか?」という少女の父親に心あたりがあるのだが 酔夫人 @suifujin
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