第28話 勝利のあとの一夜
(しまった……アイシャの部屋が分からない)
宴会の席で眠ってしまったアイシャを抱き上げて建物に入ったまではいいが、レオネルは中央のホールで立ち尽くしていた。
(この砦に使用人がいないことを忘れていた)
使用人がいるのが当たり前過ぎて、建物の中で迷うという初めての経験にレオネルは戸惑っていたが、アイシャがくしゃみをしたことでレオネルは自分が使っている部屋に連れて行くことにした。
疚しい気持ちはないし、元夫婦なのだからいいだろう。
そんな自分でもよく分からない言い訳をしながらレオネルは階段を上がる。
砦の中は静かだった。
普段ならレオネルやアイシャにまわりには妖精たちがいるが、四種の妖精がわしゃわしゃと狭い空間の中にいるのは宜しくないということで妖精たちには外にいてもらっている。
スフィンランたちにとってここはホームであるし、アイシャが不在の間はアイシャの代わりにエレーナを守って砦の中にいたスフィンランたちも今は外にいる。
公平性というよりも、見たところ他の妖精たちと遊ぶのが楽しいようだった。
(部屋まできたはよいが)
部屋に入って再び悩む。
少し小さいがソファに寝かせるべきか。
それとも使用済みだが余裕で寝られるベッドに寝かせるべきか。
「いやいや、ひとまずベッドに寝かせて、アイシャの部屋を聞きに行けばいいだろう」
二度も結婚して三十路をとうに過ぎたくせに、と。
十代の子どものように緊張している自分に気づいてレオネルは深呼吸をする。
(過去に引き摺られるな)
四人そろっての酒宴は久しぶりと後ろめたさの混合で最初はぎこちなかったが、酒が進むにつれて笑い声があがり、思い出話も盛り上がった。
あまり酒の強くないアイシャも飲んでいたし、酒に強いレオネルも心地よく酔っていた。
「楽しかった……本当に、楽しかったよ」
名残惜しい気持ちを抑えて、レオネルはアイシャをベッドに寝かせる。
掛布をかけようとしたが使用済みの掛布では申しわけなくて、砦内は温水が流れていて温かいから大丈夫だろうと思いながらベッドを離れようとしたとき、
「アイシャ?」
アイシャが何かをいった気がして、気分が悪くなったのではと屈みこんだとき、
「うわっ」
だらんと垂れていた腕を強い力で引っ張られる。
姿勢を崩したタイミングで腕を離されたのでアイシャの上に倒れ込むような真似をしなかったが、
「アリー!」
アイシャの顔の両側についた手にかかった己の体の重さに、この重さがアイシャに圧し掛かったら大変なことになったという焦りが生まれて、昔の懐かしい呼び名がレオネルの口から飛び出す。
しまったと思ったが、
「ふふふ」
組み敷いた形になったアイシャの口から洩れた笑い声に視線を下敷きにしかけたアイシャの顔に向ければ、
「あははははは」
「アイシャ?」
心の底から楽しそうに笑うアイシャにレオネルは戸惑いつつも、胸がジンッと痺れる感覚を味わう。
(ダメだ)
昔はこのまま抱き合えた。
でも今はできない。
「危ないぞ、この酔っ払い」
レオネルは大きく息を吸ってゆっくり吐き出して離れようとすると、アイシャが伸ばした細い腕が自分の首の後ろで組まれたことに驚く。
「レオ」
甘く蕩けるようなアイシャの声と、首に触れる柔らかいアイシャの腕の感触。
レオネルの体をゾクゾクッと情が駆ける。
アイシャじゃなければ簡単に振り払えた。
そもそもアイシャじゃなければレオネルはこんな状況にならなかった。
「……アイシャ」
「いいじゃない、しましょう?」
何がいいのか。
「いいわけがないだ……っ」
アイシャの頬が膨れたことに気づいた瞬間、首に重みがかかる。
力づくで下げられた顔にアイシャの吐息がかかり、次の瞬間には唇が重なる。
色気のない勢いと、技巧も何もない重なっただけの唇。
初めての口づけももう少しマシだったと思いながらも、レオネルは脳がくらくら揺れるのを抑えられなかった。
ほっそりとしたアイシャの指がレオネルの髪に潜り込む。
レオネルが顔の角度を変えると、アイシャの唇が開いて小さな舌がレオネルの唇を突く。
これ以上したら我慢ができなくなる。
そう思いながら頑なに閉じたままを保つレオネルに痺れたのか、アイシャが脚をレオネルに絡めて今度はアイシャが上になる。
「アイシャッ」
止めようとしたレオネルの顔をアイシャの両手がつかみ、少し上を向かせてレオネルの開いたまま口をぱくりと塞ぐ。
ぬるりと小さな舌がレオネルの口の中に入り込む。
レオネルの頭の中でプチプチッと理性の糸が切れる音がした。
(俺も悪いが、アイシャも悪い)
吐息を漏らす熱のこもった声と唾液の混じり合う音が室内に響く。
どちらからともなく空気を求めて唇を離せば、光る銀糸が未練たらしく二人をつなぎ、糸が切れる寸前で再び唇が重なる。
二人の体は広いベッドの上で何度も上下が入れ替わった。
「んっ」
アイシャが体が下になったとき、レオネルは両手の指を絡めてベッドの上に仰向けのアイシャを縫いとどまらせると、その白くて細い首筋に顔を埋める。
泣きたくなるほど懐かしい匂いを吸い込んで、目の前の柔肌を少しだけ強く吸う。
軽い痛みが刺激になったのだろう。
アイシャの鼻にかかった甘い声がレオネルの耳を楽しませ、白い肌に咲いた赤い痕がレオネルの目を楽しませた。
戦闘のあとの冷めにくい興奮。
ほどよく入った酒と懐かしさ。
二人が体を絡め合うには十分な理由。
(愛してるなんて言えない)
『夢』の中で見たアイシャの涙がレオネルの脳にこびりついていて、これからの時間に深い意味を持たせることを拒んでくる。
「アイシャ」
代わりにとレオネルが名前を呼べば、
「レオ」
自分の名前を呼んだアイシャのむき出しにした細い肩にレオネルは口づけると、ふるっと震えた肩からシュミーズの肩ひもを指に絡めて滑らせる。
唇を重ねて、白い柔肌に触れる。
手の平に吸い付く馴染んだ肌の感触に十五年間の時間が消えた気がした。
まだ夜は始まったばかりだから、
「アイシャ、目を閉じて」
終わりを告げる夜明けの色は見たくなかった。
同意するようにアイシャの瞳が瞼の奥に消えて、アイシャの細い腕が覆いかぶさったレオネルの背中に回された。
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