第27話 終わりの宴は始まりである

 氷が溶けるようにアイシャが消えたと思った瞬間に、ぶわりとアイシャの魔力が周囲に満ちて池の中心から氷が溶け始める。


 さほど大きな池ではないので濡れることなく岸辺に辿り着いたマクシミリアンは、中央に立つアイシャの姿に首を傾げた。


「……アレは本物だよな」

「ああ……妙に殺気を帯びてるがな」


 ヒョードルとのコソコソ話を風の妖精がアイシャに届けたのか、銀色の長い髪が風になびいてその整った顔が現れると同時に薄紫色の瞳に睨みつけられる。


「やあ、アイシャ。久しぶり」

「よお、元気そうで何より」


「お久しぶり、二人とも。早速だけれど、クソ野郎はどこかしら?」


((『クソ野郎』ってレオのこと?))


 一体レオネルは『夢』の中で何をやってここまで怒らせたのか。

 アイシャの吹き出る魔力にスフィンランたちが喜んで周りを飛ぶから、風が起きて文字通り怒髪が天を衝いている。



「ああ、いたわ」


 語尾にハートマークをつけたようなご機嫌な声をあげたと思ったら、成人男性の脚くらい大きな氷塊を作り出して池に向かって撃ち込もうとする。


「か、母様、ちょっと待って!」


 元夫婦喧嘩にしても度が過ぎている。

 そう思ったのはこの場にいた全員で、その中で一番最初にアイシャに制止を求めたのはエレーナだった。


 エレーナの声を聞いたアイシャはパッとそちらに顔を向け、


「エレーナ、無事だったのね」

「う……ん、それは私のセリフかも」

「そう?」


 首を傾げるアイシャに全員が呆れたとき、ガサッと音がして全員が警戒の目を森に向ける。


「……レオ?」


 そこには頬にできたキズから血を流し、脚を引き摺って歩くレオネルがいた。

 アイシャが目覚めるタイミングで夢にいられなくなったレオネルは池の中から思いきり外に吹っ飛ばされたが、誰もそれに気づいていなかったのだった。



「あれ、それじゃあアイシャの言う『クソ野郎』は古竜のこと?レオじゃなくて?」

「公爵閣下もクソ野郎ですが、さっきのクソ野郎は竜です。何を誤解していたか理解したので、今度は止めないで頂戴ね」


 そう言って微笑む母親の圧におされたエレーナはコクコクと首をタテに振る。

 それを見たエレーナは空中に先ほどの氷の塊を、今回はいくつも出して池の中に撃ち込んだが、五個ほど撃ち込んだところで池の表面が凍った。



「氷竜相手ではやはり決定打に欠けるわ……丁度いいので救援要請してもいいですか?」

「要請などいらない……ついでだ」


 レオネルの言葉にアイシャはにこりと微笑む。


「お支払いします。今年度の予算が余っているので使わないと、地域の防衛費の予算だバランスだと陛下に文句をいわれるので」


 言外に『借りを作りたくない』と言っているアイシャの気持ちを汲んで、三人はそれ以上何も言わなかった。


「その前に治療だ。レオ、脚のキズを治すからこっちに。アイシャは……」


「母様、回復薬があるから飲んで」

「回復薬って……エレーナ、どうやって手に入れたの?費用は?魔石は?」


「ガルーダ商会と神殿が快く協力してくれたの」

「……ああ、なるほど」


 マクシミリアンに治癒魔法をかけてもらっているレオネルをちらっと見たアイシャはそれ以上は何も言わなかった。



 ***



「古竜の討伐がこんなにアッサリ……」


 あちこちに切り傷や焦げ跡をつけ、首を落とされた古竜をエレーナは呆れた目で眺めた。

 そしてこれを一人で討伐しようとした意地っ張りな母親にため息を吐きたくなる。



「この数カ月でアイシャが古竜の魔力をゴリゴリ削った影響も大きいから」


「でもおじい様……『でも』と思ってしまうのは仕方がないと思うわ」

「それはエリーの言う通りだな。でも……いいキッカケにはなった」


 砦の中庭で集まり、話しをする四人の将軍の姿にレーヴェは満足していた。

 まだぎこちなさはあるが、四人が新たな形で再スタートを切るキッカケになったように思えるのだ。



「おじい様はロマンチストね」

「どちらかが死んでから後悔しても遅いからな……複雑か?」


 レーヴェの言葉にエレーナはしばし考え、首を横に振る。


 今回のことはエレーナにとってもよいキッカケになったし、視線の先にいる母親は口ではいろいろ言っているがとても楽しそうだった。


 娘の自分といるときとは違う表情。

 レオネルをちらっと見ては直ぐに目をそらす姿に「素直じゃないな」と苦笑したくもなる。



「私も友だちが欲しいわ」

「それなら学校に行くといい。今回のことでアイシャが反対する理由はなくなった」


 エレーナが十二歳のときにアイシャは自分たちが二人きりで砦に暮らす理由をエレーナに説明したが、当時のエレーナにとっては「そうなんだ」くらいの感覚だった。


 村に行けば死別や離別など理由は様々だが母親だけ、父親だけの家族はいるし、アイシャが自分を愛していることは疑いようもなかった。


 学院についても知識では知っていたがそれまで。

 北部地域でも貴族はいるが王都や寒さの緩い南のほうで暮らす者が多く、砦のある北限の地域から王都の学院に通う子どもがいないためエレーナにとっては現実感がなかった。


 エレーナにとっては母親とこの北方砦が全てだったが、強引ではあったものの今回のことはエレーナが外の世界を知るキッカケになった。


 何かあったら東部のトライアン伯爵家に行くように。


 その言葉に従って飛んだ東部への空は、独りである心細さはあったが、冒険心が刺激されてワクワクした。


 東部で驚かれはしたがヒョードルたちに温かく歓迎され、その後にレーヴェがくると心細さがなくなりワクワク感だけが残った。


 もちろん歓迎した人たちだけではなかった。

 王都に行って数多の悪意ある視線に晒されて、なぜアイシャが自分を隠したのかも実感した。



「え?」


 突然わっと騒がしくなり、エレーナとレーヴェがそっちを見るとアイシャが机に突っ伏していた。


「あ、母様が……おじい様?」


 駆けつけようとした自分の腕を優しく引いて止めたレーヴェにエレーナは首を傾げたが、レーヴェの視線を追って納得した。


「私は先ほど十分母様に甘えたので今回は譲ってさしあげます」


「エリーは本当に優しいいい子だ」


 回復薬は体力と魔力は回復させるが心のケアはできず、エレーナは自分が母親にとって大事な存在であることは分かっていたが、甘えられる存在でないことも分かっていた。


 母親が誰かに身を委ねている姿をエレーナは知らない。

 エレーナにとってアイシャは一人で凛と立つ憧れの存在だ。


 だけど、レオネルが羽織っていたマントをアイシャにかけて抱き上げる姿はエレーナの目にもとても自然に見えた。

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