第26話 夢は現実に勝てない
証拠と言われたら困るが、レオネルはいま目の前にいるアイシャは本物だと分かった。
どうして突然アイシャと対峙させたのか古竜の意図が分からなかったが、アイシャが槍を構えた瞬間に全身を覆った凄まじい殺気に察してしまった。
(おそらくこの
「ちょっと、待て!」
「その顔でバカなことを言うんじゃないわよ」
その言葉に顔は関係ないと言いたかったがそんな余裕はなく、絶え間なく繰り出される槍の攻撃を必死で避ける。
(せめて槍じゃなくて剣になれば……そうだ、これが古竜の『夢』ならば)
剣同士ならばレオネルに分があるが槍はアイシャが得意とする得物。
攻撃を避けながらレオネルは頭の中でアイシャの武器を槍から剣に変えてみる。
「……くそっ、古竜の野郎、役に立たねえ」
槍は槍のままだった。
「逃げるな」
「逃げるだろう」
本物だからと攻撃できないレオネル。
こんなところにレオネルがいると思わず偽物(古竜)と思って攻撃に躊躇がないアイシャ。
アイシャのほうが圧倒的に有利な状況であるし、
「さっきはエレーナ、今度はあの
「『さすが』って何だ?お前が温厚だと思ったことは過去に一度もないぞ」
ブチ切れたアイシャは倒すことしか考えていない。
「相変わらず細かいことを気にする男ね」
「細かくねーよ」
「その顔で」
「この顔は自前だって、顔は関係ねえだろ。とにかく攻撃を止めろ、俺の話を聞け!」
氷の檻に閉じ込められそうになり、レオネルは炎の環でさっくりと切る。
(氷の檻……俺の知らない魔法。やはりこれは本物か)
レオネルの記憶の中のアイシャが、レオネルの知らない魔法を使うはずがない。
レオネルの勘が確信に変わる。
確信に変わるのだが、生憎と状況は変わらない。
「もちろん聞くわよ。十五年前に『短気は損気』をたっぷり学びましたからね」
「学習の成果がでてねえよ!」
アイシャをケガさせるわけにいかず、レオネルは防戦一方になる。
そして「攻撃は最大の防御」という考えを持つレオネルの持つ防御系の魔法はこの十五年で増えておらず、アイシャが知らないものはない。
戦いは長引くと予想された。
(外の様子も気になるしどうしたものか……え?)
容赦なく急所を狙った突きを体をひねって躱したとき、目に入ったアイシャのいまにも泣きそうな瞳にレオネルの足元が乱れる。
たたらを踏んだあと、飛びのいて距離をとる。
(もしかしてこれも偽物か?)
もしそうならと、攻撃に切り替えるために剣を持ち直したとき、
「記憶の中のあなたくらい私のことを知っていてよ」
ポツリと落ちた言葉にレオネルの思考が止まり、槍の先がレオネルの頬を掠る。
血が弾け、浅くはない頬のキズから血が流れる。
しかしレオネルはそれを拭わず、静かに涙を流すアイシャから目を離さなかった。
「バカみたい……口喧嘩なら記憶の中のあなたとできるのに、記憶の中のあなたは私の質問に答えてくれない」
「アイシャ」
「どうして私の言葉よりも周りを信じるの?私を愛していると言ったあなたを愛して、あなたなら信じてくれると信じた私がバカだった」
自分を責めるアイシャの声にレオネルの心が痛む。
これは十五年前に己がアイシャに与えたキズに他ならなかった。
「ごめん」
それしか言えなかったレオネルの言葉にアイシャが返したのは泣き笑い。
「やっぱり謝るのね。当然ね、私は答えを知らないもの。だから、私の中のあなたはいつも謝るだけ。どうして?、と聞いているのに」
「俺がバカだったんだ」
「本当にそうよね。私はあなただけを愛していたのに、周りの言葉を信じてあんな男たちと関係を持ったと信じたんだもの。私の愛には証拠がなくて、他の人の言葉には証拠があったから」
愛って何なのかしらとアイシャは自嘲的に笑う。
「孤児だから私は愛を求めて何人もの男たちと関係を持ったんですって。顔さえ知らない男に口づけて、名前も知らない男に愛して欲しいと縋ったと。孤児だから、卑しい身の上だからって。貴族は不思議ね、名誉も
アイシャは手の中の槍を見上げて呟く。
「武器を持って戦おうとも、農具を持って土を耕そうともしない貴族は何の役に立つのかしら。名誉と矜持で命が守れるわけがないのに、意味がないのにバカみたい……そんな
「アイシャ、俺は君を愛している」
告白へのアイシャの返事は氷の弾丸だった。
左の太腿を撃ち抜かれて、たまらずにレオネルは膝をつく。
「幻が愛しているなんて言わないで。自分が大嫌いになる」
氷の塊で抉られた傷跡を炎の魔法で焼く。
激痛は走るが出血を抑えなければならず、これほど深いキズは滅多にないが応急処置には慣れていた。
(心臓を撃ち抜かなかったのはそれなりに情があるからか?)
殺したいほど憎い男でも実際に殺すのは躊躇するのだろうか。
アイシャが?
(バカなことを)
自嘲的に笑ってレオネルは座り込み、丁度よく背後に突き刺さっていた氷の槍に寄りかかった。
「
「冷たいさ、当たり前だろ」
レオネルの言葉にアイシャの顔がイヤそうに歪む。
「相変わらず憎たらしい」
「光栄だ。忘れられるより憎まれていたほうがいい」
「なにそれ、バカみたい」
「本当にバカだよな、何で俺は君に忘れられようとしたんだろう。俺を忘れて幸せになって欲しいなんてどうして思えたんだろう」
レオネルの言葉をアイシャは嗤う。
「他で幸せになって欲しい?自分勝手なあなたが?そんなことあるわけないじゃない。なに勝手にいい人シフトしているのよ、私の記憶。この男は公爵家がイヤで私と恋仲になったはいいものの、実際に妻にしたらいろいろ足りなくて、私の不貞なんてバカバカしい話に乗って離縁して結局は貴族の奥さんを迎えた最低男でしょう」
「は?」
「またそんな反応を。やだ、私ったらあんなことがあっても信じているわけ。いい加減にしなさい、あの屈辱を忘れたの?私に公爵家のことは任せられないからって家政の管理も社交も全て他の人に任せたじゃない」
「いや、それはお前も将軍の仕事があって忙しいと思って」
「そうよね、そこは
違うわね、とアイシャは自嘲的に笑う。
「期待されていないのは私が足りないからだと思った。私には何もないのは事実。だから学校の講師も引き受けた、ホテルで開催されているマナー講習にも通った。でも、それは貴方に離縁の口実を作ってあげただけだった」
「知らなかった」
「当り前でしょ、舞台裏を見せる訳ないじゃない。できるようになって自慢したかったの、女心くらい理解しなさいよ、このバカ」
小さな氷の粒が飛んできてレオネルの頭にあたる。
コンコンコンと軽い痛みはあったが、叱るような感じだった。
「ごめん」
「聞き飽きた。違うことを言ったら?」
「ミシュアのショートケーキ、一緒に食べよう」
「甘いもの嫌いなくせに」
「最近は食べられる。あそこの店主が俺のために甘さ80%カットのケーキを作ってくれた」
「ああ、あの変なケーキってあなたのために……ちょっと待って、なにそれ。どうしてここに
驚くアイシャに満足してレオネルはにっこりと笑う。
「さあ、なんでだろう」
「冗談はやめて、きちんと説明をして」
「説明?」
「そうよ、きちんと説明……いや、それよりも脚の血を止血しなきゃ。いや、止血ってどうやって?これって実体があるの?そのキズは痛むの?」
「さあ、どうだろう。どうだと思う?」
「ふざけないで」
「ふざけていない」
「ふざけているでしょ!どうしてここに来たの?二度と会わないって言ったじゃない」
「どうしてだと思う?」
「質問に質問で答えないで」
「どうせいまここで俺が何を言ってもお前は信じない。それならいろいろムダだ。質問に応えて欲しければ目を覚ますんだな」
「閣下!」
アイシャは声を荒げたが、レオネルは意に介さずにっこりと笑うだけ。
「怒るわよ」
「まあ、そうだよな」
「その笑顔の仮面、大嫌い。ひっぺがえしてやりたくなる」
「やってみろよ、っと」
目の前に炎の壁を作って氷の球を防ぎ、通り抜けてきたが力尽きて頬を濡らしただけで終わった水滴をレオネルは指で拭う。
「相変わらず短気だな」
「それを知っているなら答えなさいよ」
「答えて欲しかったら早く目を覚ませよ」
挑発しても目を覚まそうとしないアイシャにレオネルは内心首を傾げる。
レオネルの知るアイシャならば売り言葉に買い言葉で目を覚まそうとするはずだからだ。
(本当にこの十五年で喧嘩っ早さが治ったのか……いや、それはないな)
撃ち抜かれ、少しでも動かせば激痛の走る太腿に「それはない」と否定する。
「どうしてここにいるの、どうやって……」
“どうやって”
その言葉に、アイシャが目覚めない理由を理解した。
アイシャは夢から醒めるのが怖いのだと。
「エレーナ嬢が俺たちをここに連れてきた。安心しろ、君の娘は無事だ……いまのところは」
思うところがあったレオネルは言葉をつけ足す。
そしてレオネルの思惑通り、アイシャはそこに気づいた。
「“いまのところ”?」
「古竜が君の姿でエレーナたちを攻撃中なんだ」
間違ってはいないが、古竜に全ての罪を押しつけたレオネルの言葉にアイシャが目を見開き、その姿がパッと消えたと思うと、
「ははは、やっぱり短気は治っていないな」
世界は暗転し、すごいスピードで浮上する感覚にレオネルは苦笑した。
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