第25話 夢は欲から生まれる
池に飛び込んだ冷たさは直ぐに消え、ドプッと粘度の高いものに飛び込んだ感覚に襲われる。
何かを探るような不快な感覚に、これが夢だとレオネルは覚る。
沈むのが止まったと思った瞬間、世界が薄っすら明るくなる。
『レオ』
レオネルが誰よりも愛しく思う女性の甘い声で名前を呼ばれる。
『レーオ』
揶揄うような、楽しそうなアイシャの声に喉が詰まって応えれずにいると、腰に温かいものが触れる。
この瞬間、レオネルが自分が裸でベッドの上に寝転がっていることに気づいた。
そして自分が目を閉じていると。
『寝ているの?あなたって意外と朝に弱いのね。これを知っているのが私だけなんて、少しだけ嬉しいわ』
鈴の音のような軽やかな笑い声。
あの頃と変わらない細い指が髪をすく感触。
目を開ければ、そこにいるのはあの頃いつも見ていたアイシャで、
『おはよう、ねぼすけさん』
甘い声で、優しく甘やかす。
目が覚めただけなのにスゴイことをしたように口づけのご褒美をくれる。
(毒々しいほど甘美な夢だ)
『どうしたの?』
こてりとアイシャが首を傾げると、銀色の髪のカーテンが影を作る。
何度も見てきた光景。
世界に二人きりのような幸せな錯覚。
こんな朝が永遠に続くと思っていた。
『レオ?』
ずっとここにいたい。
夢と分かっているのにそう思ってしまう弱い自分をレオネルは戒める。
これは過去でしかない。
そしてこれが『夢』と認識できていることで、古竜はいまレオネルに集中できていない、集中できない事態であることを理解する。
「ごめん」
レオネルは腰に手を伸ばす。
目には何も身に着けていない素肌の腰があるだけなのに、手には剣の柄が触れた確かな感覚がある。
「ごめんな」
アイシャの瞳に涙の膜が張る。
『レオ、私と一緒にいて。お願い、私をまた捨てないで』
アイシャの言葉にレオネルは顔を歪め、目に見えない剣を構える。
『所詮はニセモノだな』
(アイシャにそう言ってもらえる機会はとうに失った)
時間は決して巻き戻らない。
レオネルは振りかぶった剣に思いきり魔力をこめると、アイシャに叩きつけるように振り下ろした。
世界が弾け飛ぶ。
『レオ……』
半分かけたアイシャが名前を呼ぶ。
「ん?」
『愛しているわ』
パキパキと音を立てて世界がひび割れ、パラパラと散っていく世界にアイシャの声が響く。
「アイシャ、俺も……」
レオネルの言葉を遮るように唇にアイシャの指が触れる。
触れた細い指の先からパラパラと崩れていく。
「アイシャ」
名前を呼ぶのを待っていたようにアイシャが砕け散り、パラパラと降る破片は受け止めたレオネルの手のひらの上で水になる。
『全く、最近の人間ってのはどうなってるんだ?』
知っているような知らないような声にレオネルが振り返ると、
「俺?」
『アタリだけどハズレ』
「どっちだ?」
『この夢の主が思うお前。嫌いだったり、最愛だったりと忙しいね、お前』
「つまりこの状況の犯人ってことだ、なっ」
まだ手に持った感触がある剣で、型も何もなく力任せにぶん回す。
『うわっ』
「余裕で避けておいてそれはないだろ」
『えー、普通なら“彼女は俺をどう思っているのかな”とか気になるんじゃないの?』
「俺の顔で軽い口を叩くな」
『あはは、それ、この子にも言われた』
《レオネル》が右手を掲げると、手品のようにパッとアイシャが現れる。
『レオ、愛し……』
レオネルは再び剣を振り、アイシャの体を胴で真っ二つに切る。
十五年以上苦楽を共にしてきた愛剣。
見えなくてもその長さや重さがレオネルには手に取るように分かった。
『うっわ、容赦ない』
「気色悪いものを見せるな」
『本物かも、とか思わないわけ?』
「俺の中の彼女なんだろ?……全く、イヤなものを見せてくれる」
レオネルの苦々しい言葉に《レオネル》はニヤッと嗤い、《アイシャ》に姿を変える。
『愛してると囁いて』
「やめろ」
『柔らかい体に触れて、甘い蜜の滴るなかに……んもう。短命だからかな、人間って切れやすいのね』
黙って振られたレオネルの剣に切られた髪の一房を《アイシャ》は呆れてつまみ上げる。
『本物だったらどうするの?』
「だから、気色悪い真似をするな。アイシャはもっと可愛い」
『え〜、人間の男はほとんどこれで堕ちるのよ?ほらほら、この子の胸って大きいのに形がいいし、柔らかいのに弾力あるし』
「知ってる」
『んもう、つまらない、つまんなーい。そうだ、脱いで見せてあげようか』
婀娜っぽく着ているワンピースの肩紐に《アイシャ》が指を絡めると、レオネルはアハハハと声を出して笑う。
「やってみろよ、できるものならな」
レオネルの挑発的な言葉に《アイシャ》の口元が引きつる。
「俺は彼女に限って独占欲が強いんだ。さて、今度はどんなアイシャを見せてくれるんだ?」
『ちょっと、待ってよ。もー、やってらんなーい』
「だから、その顔で喜色の悪い喋り方をするなっ」
大きく振りかぶった剣は《アイシャ》が消えたことで空振りに終わり、
「うわっ」
反射的に飛びのいて、その場に突き刺さった氷の槍の太さと量にゾッとする。
「ちっ、逃がしたか」
その声に、レオネルがその声がした方角に顔を向ければ、槍を構えた白いワンピース姿の女性が仁王立ちしていた。
その顔は先ほどの《アイシャ》と同じ作りだが、思わず逃げたくなるくらい怒りに満ちた表情で、その姿に安堵する自分にレオネルは苦笑する。
「あの顔が恋しかったって……俺ってマゾだったんだな」
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