第24話 最恐最悪の眠り姫

「池が!!」


 誰かの驚いた声にその場にいた全員が池をみると赤くなっていて、


「全員、池から離れろ!古竜の夢に引きずり込まれるぞ!」


 池の氷が溶けたという報告を思い出したレオネルは騎士たちを池から退避させる。

 古竜の『夢』は代々「二度と体験したくない」と語り継がれているせいで騎士たちの恐怖の対象であり、騎士たちの退避は早かった。



「……今回は溶けないのか?」


 凍ったままの池の氷を軍靴で叩いたヒョードルは体の力を抜くように息を吐いたが、次の瞬間に感じた風の違和感に風魔法を池に向かって叩き付ける。


 ヒョードルを愛する風の妖精たちも直ぐに続き、強い風が四方八方から池の中心に向かって吹き始めた瞬間、


「エレーナ!」


 レーヴェが動いてエレーナに向かって飛んできたものを剣で叩き切る。

 しかしそれに実体はないのか、ヒョードルたちの起こした風によって直ぐに霧散する。



「な、なに、いまの……」


 魔物の多く出る北部地域の最前線である北方砦で育ったものの武器の扱いは護身程度。


 魔物と対峙した経験がないエレーナは自分に向かって飛んできたものが何かは分からなかったが、エレーナは自分が狙われたことが怖くなりカタカタと震えはじめた。


「エレーナ、僕の後ろへ。勘だけど、アレは君を狙っている気がするんだ」

「私を……殺すため?」


 イヴァンは「違う」と否定したかったが、状況も理解できていないし、万が一そうでもエレーナを守り抜ける技量がない自分が悔しかった。

 そんなイヴァンの頭をレーヴェがポンポンと優しく叩く。


「エレーナは大丈夫だ」

「なぜです?」


「あれは恐らくアイシャの夢だ。夢は見る者の意思でもある。それならあれがエレーナを殺そうとすることは万が一にもあり得ない」


 レーヴェのキッパリとした否定にエレーナの体からは力が抜け、慌ててイヴァンがエレーナを支える。



「レーヴェ様、それならさっきなぜアレはエレーナ嬢を?」


 マクシミリアンの質問に応えたのはレーヴェではなく、池の中心から目を離さないレオネルだった。


「アイシャが子どもを探しているからだ……我が子が、エレーナ嬢が無事だと確認するために」


 レオネルの言葉にマクシミリアンはアイシャが流産しかけていたことを思い出す。



「それがアイシャの悪夢だとしたら……俺、猛烈にイヤな予感がするんだけど」

「マックス、それ、どう聞いてもフラグ」


「俺、立てちゃった?」

「立てちゃったね」


 諦念混じりのヒョードルの声に全員が池の中心を見る。

 そこに浮かび上がるのは黒曜石のように真っ黒な氷でできたアイシャの姿。


 殺気を隠さないアイシャ(氷)の姿にマクシミリアンが息を呑む。


「……レオを殺しにきたとかじゃないよね」

「残念ながらそのフラグは不発だ。俺への憎しみなんてあの子への愛情の前には芥子粒みたいなものだ」


 その言葉を証明するように氷の槍が降り注ぐ。

 ただひとつ、エレーナの周りだけは除いて。



「そのようだな。よし、とりあえず全員エレーナの周囲に集まれ」

「レーヴェ様、エレーナ嬢を人質にとるような真似をしたら火に油を注ぐことになりませんか?」


 そう言いつつも他に策はない。

 バリバリと空気も凍らせそうなアイシャ(氷)にゾッとしつつも全員エレーナを中心に円となる。



「将軍以外の騎士は全員退避、アイシャの攻撃の範囲外に出ろ。文句は受け付けない、正直言ってアイシャの相手は将軍三人でも手を焼く」


 レーヴェの言葉にヒョードルが頷く。


「そうですね。僕とマックスは負け越していますし、レオだって五分五分です。アイシャが十五年間も一人でこの地を守っていたとすると実力差はもっと大きいでしょう」


「流石にマズイんじゃ」



「安心するといい、俺が勝てる。ここ最近でも対戦成績は六対四くらいだ。息子よ、そんな悔しそうな顔をするな、年の功だ」


「……何も言っていません」


 レーヴェの揶揄うような言葉に図星を刺されたレオネルはそっと視線を逸らす。



「ただし、長期戦になったら不利だ。だからお前はアイシャの本体を起こせ。アレはアイシャの夢だ、アイシャが起きれば消える」


「起こすといっても……どうすれば?」

「眠り姫を起こすのは王子の口づけと決まっているが……甘かろうが苦かろうが、とにかくアイシャの感情を揺さぶれ」


 竜の夢から目覚めた者に理由を問うと「魔力暴走を起こしたから目覚められた」という報告が多く、その魔力暴走は感情を揺さぶられたことが原因で起きる。


「……揺さぶる」


 考え込む息子の気を楽にしようとレーヴェは軽口をたたく。


「あ、お前、ちゃんと泳げるよな」

「ちゃんと泳げますよ……全く、そんなことを言うなら父上が夢の中に行かれては?」



 レオネルの言葉にレーヴェは目を見開き、哀しそうに「俺は無理だから」と自嘲的に笑う。


「俺が見る夢は想像がついている。そしてその夢を見たら俺は目覚めないだろう。死んだ者には夢でしか会えないからな」


「……あ」


 父親の見る夢を察したレオネルは自分の失言を悔やんだ。


「申しわけありません」

「いや、お前は悪くない。お前の生まれる前のことだからな」


 自分の生まれる前のこととはいえウィンスロープ家がレーヴェとその恋人にした仕打ち。

 現当主としても息子としても申しわけなさが募る。



「お前はもっと自分勝手でいい、家のこととか気にするな。お前が犠牲になって守るほどの価値がウィンスロープ家にはない。王位継承権をもつ公爵家が重要だというなら若い王の頑張ってもらえ、そもそもそれは王族の仕事だ」


 レーヴェはレオネルの目をしっかりと見て口を開く。


「妙な義務感は夢に捕まる原因になる。お前が見る夢が何かは分からないが、アイシャもエレーナも生きている。それだけは絶対に忘れるな。お前がどれだけ過去を悔やもうと過去は変えられない」


 古竜の見せる夢は記憶でしかない。

 「あのときこうしていれば」と悔やむ気持ちがみせる見る者が一番理想とする世界。


「未来はこれからのお前次第でどうとでも変わる、それだけは肝に銘じておけ」

「こんなときに父親みたいなことを……変なフラグになると困るのですが」


 レオネルの言葉にレーヴェは楽しそうに笑うと「そろそろ限界だな」とドーム状に展開していた炎の壁を見上げてため息を吐いた。


「アイシャのやつ、容赦がないな」

「仕方ありません。アイシャの感覚では、我々はエレーナ嬢の誘拐犯です」


「楽しみにとっておいたショートケーキを食べちまったときより怒っているな」

「レオ、お前な……まあ、気をつけて行ってこいよ」


「安心しろ、俺ほどアイシャを怒らせるのが上手い奴はいない」


「「だからだよ」」


 声をそろえた親友たちにレオネルは笑うと、ずっと黙っているエレーナの前に立ってその黒髪をポンポンと叩く。


「……オジサマ」

「大丈夫だ、さっきも言ったけれど俺はアイシャを怒らせるのが上手い」



「母様の寝起きは最悪ですよ。しかも怒らせるって最恐最悪の眠り姫の完成ですよ」


 アイシャが甘い口づけで目覚めてくれるタイプではないことは父も子も共通しているらしい。

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