第23話 幸せな夢の結末

 「母様」と呼ぶ声にアイシャが目を覚ますと、エレーナがいた。


 なぜか呆れた表情であるが、


「美人ね」

「ありがとう。母様もため息を吐きたいくらいの美人よ……涎が出ているけれど」


 クスクス笑いながらエレーナがタオルをアイシャに渡す。


「今日はいい天気だから洗濯日和よ。母様、早く起きて着替えたら?」

「……そうね」


 アイシャはエレーナの揺れる長い黒髪をぼんやりと見ていた。


 カーテンを開けると陽の光が入り込み、記憶の中の男の目よりも淡いエレーナの赤色の瞳がきらきらと宝石のように輝く。


(夢よ)


 北部で採れるハーブで作った石けんと、微かに硫黄が混じる北方砦の独特のニオイ。

 周りを見渡せばどれも覚えのあるもので囲まれた自分の寝室。


(悪い夢をみたんだわ)


 アイシャのベッドに敷かれていた生成りのシーツをはがしたエレーナが涎の痕に呆れる。



「いい年齢して涎って……夢の中に美味しいお菓子が出てきたの?」


 エレーナの言葉に心臓がドクリと鳴ったが、


「女性に年齢のことを言うんじゃない」

「いいじゃない。実年齢はともかく、見た目は二十代なんだから」


「見た目って……二十代でも涎はちょっとだらしない気がする」

「それは今さらだよ。母様って私よりも子どもじゃない、偏食気味だし」


「偏食じゃないわ、甘いものが好きなだけ」

「度が過ぎているの。肉と野菜、それに野菜を食べたりして栄養に気を使わなきゃ」


 エレーナの小言じみた言葉にアイシャは「う゛う゛う゛」と呻く。

 見た目は姉妹のようなので、どちらが母親なのか分からない。



(そうよ、夢よ……この子はちゃんと産まれた。私のことを『母様』と言って、笑って……あら?)



「アイシャ、そんな服を持っていた?レーヴェ様から頂いたもの?」

「似合ってる?」


 そういうとエレーナはくるっと回ってみせる。

 エレーナの起こした風に舞って、元からふわふわしていたスカートがふわりと浮いた。


 似合ってはいるが自分では選ばないデザインであるし、寒い北部であまりこのようなデザインの服は出回らない。


 アイシャの知人の中でこんなデザインを好んで着ている女性がいた。



「フラウ様から頂いたの」


 エレーナの口からその女性の名が出たことにアイシャは驚く。


「フラウ?もしかしてフラウ・フォン・トライアン伯爵夫人のこと?なぜフラウ様がエレーナに服を?」


 二人は会ったことがないはず。

 そもそもエレーナのことをフラウが知るはずがないのに。



「母様、寝惚けているの?先月フラウ様がご家族で、お子様も連れて砦にきたじゃない……やだ、フラウ様に頂いたお菓子をあんなに喜んでいたのに」


「先月……いえ、それよりもヒョードルたちがここに来た?」


 もう二度と会わない。

 その誓いを守るためにアイシャは北方砦の周りに罠を張っている。


 空間魔法を応用したもので、アイシャが登録した者たちが森に足を踏み入れれば外に追い出すように。


「そんなバカな、ヒョードルが……あの四人がここに来られるはずが……」

「母様、またオジサマたちとケンカをしたの?」


「オジサマ!?あなた、あの四人を、いつの間に」


「母様、何を言っているの?昔からじゃない、王のオジサマだってそれでいいって」

「王のオジサマ?なにそれ、え……何で、そんなバカな……」


 友人だった男たちを「オジサマ」と呼ぶ娘。


 アイシャは混乱していた。

 国王陛下を「王のオジサマ」と呼ぶことにアイシャは強い違和感を感じるのに、何となく“ありそう”と思える。


 その気持ちがアイシャにこれは現実だと囁くのだ。



「あ、オジサマたちとケンカをしたってことは父様ともケンカしたんでしょう」

「……『父様』?」


(なぜエレーナがあのひとを『父』と呼ぶの?)


「ダメよ!ダメ、エレーナ!あのひとを父親だなんて……あなたをあんな目に……」


 驚き、哀しみ、屈辱、虚しさ、怒り……当時の感情がアイシャの頭の中をひっかきまわしてアイシャから言葉を奪う。


 「ダメよ」としか言えなくなったアイシャにエレーナが不思議そうに首を傾げる。



「どうして母様がそんなことを言うの?」

「……え?」


「父様は母様が可哀そうだから私をにしてくれたのに」

「あなたを私の娘にした?……なにを言っているの、エレー……」


 エレーナの怒った顔にアイシャの喉の奥で言葉が詰まる。


「父様のせいで母様は赤ちゃんを流産にしちゃったんでしょ?私はその子の代わり、本当のお母様はカレンデュラ夫人だけど養子縁組なんて貴族にはよくあるものね」



 あっけらかんと言うエレーナの姿に貴族の女性の姿が重なる。


 彼女を最後に見たのは新聞でだった。

 あのひとと手を重ねて、白い婚礼衣装を身につけたカレンデュラは美しかった。


 貴族らしく微笑むあのひとの隣がよく似合っていた。



(そうだ、あのひとは私を捨てて彼女と……)



「……私の赤ちゃん」

「死んじゃったね」


「違うわ!エレーナ、あなたが私の子よ。私はあなたを産んだ日のことをよく覚えているもの。あのときの痛みも、生まれ落ちた瞬間の感動も」


「夢よ」


 エレーナはアイシャの知らない顔で笑って、手に持っていたシーツを拡げてみせた。


 涎だったはずの場所は赤い血痕。


「ひっ」


 小さい血痕が大きな血の痕となった瞬間、アイシャは息を呑む。

 血の痕はどんどん広がり、やがてアイシャとエレーナの足元に血の池を作る。



「ほら、母様の本当の子どもはそこに」


 見たくない。

 見てはいけない。


 そう思うのにアイシャの体は勝手に動き、アイシャは自分の足元を見る。

 そこにはこぶし大の小さな、とても小さな頭蓋骨。



「いやあああああ!!」

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