第22話 騎士の泣きどころ

 四日目の夜


 「池の水が急に赤くなって氷が溶けた?」


 池を監視していた騎士たちの報告にレオネルたちは急いで池に向かった。

 しかし、そこにあったのはいつもと変わらない透明な氷の池だった。


「ア、いや、北方将軍や竜は出てきたのか?」

「いえ、氷が溶けたのは一瞬でした」


「池の水は報告する者たちが出発したあと半刻三十分ほどで赤色がなくなりましたが、それまでは血の池のようでした」


「血の、池……」


 暗くては確認は難しいということで、この先は夜が明けてからになった。



「池の水が一度溶けてまた凍ったのは本当にようだな」


 翌朝、池を観察していたレーヴェの静かな声にその場にいた者たちが全員そちらに向かう。


「花ですか?」


 そこにあったのは氷に閉じ込められた白い花。


「あの木に咲いている花だ、この池の監視を始めた頃はまだ蕾だった。開花したのは二日前、花弁が氷の中にあるということは一瞬でも解けたのは事実だろう」


「赤くなったというのは?」

「それについては確認しようがないが、信じてもいいだろう。レオネル、話しがある」


「はい?」

「マクシミリアン殿、ヒョードル殿、エレーナを任せていいか?イヴァン、君もエレーナと一緒にいてくれ」


 エレーナにも聞かせたくない話。

 どの話か想像がついたレオネルはこぶしを握り、「砦に戻る」というレーヴェのあとを黙ってついていった。



「少し散らかっているが入ってくれ、飲み物は?」

「面倒でなければコーヒーを」


 コーヒー。

 国全体では馴染みがないが、南部で育つ樹からとれる豆から作るコーヒーは南部地域ではよく飲まれていた。


 コーヒーが入るのを待つ間、レオネルは好奇心で部屋の中を見渡す。

 リビングの一角には小さな厨房があって、レーヴェがアイシャやエレーナに気を遣わずのんびりと過ごせるようになっていた。


「外に風呂があるんですか?」

「湯がありあまっているからな、源泉かけ流しの露天風呂だ。いいだろう」

「羨ましいです」


 露天風呂も羨ましいし、アイシャとエレーナが暮らす砦に自室があるのも羨ましい。



「さて、何の話かは想像ついているようだな」

「俺とアイシャが古竜を討伐したときの話ですよね。報告書はお読みに?」


「ああ」

「それならもうご存知ではないのですか?若輩者の報告書ですが、何回も手直しさせられて満足いく形に整えたと思うのですが」


「『夢』に囚われたアイシャが発狂してスフィンランたちが暴走したそうだな」


 その言葉にレオネルはレーヴェを静かに見たが、何の感情もうつさないレーヴェの目にレオネルはため息を吐いた。


「口頭報告だったのに、国王が漏らしたら意味がないですね」

「かなり強引に聞き出した。俺以外には漏れる心配はない」


「昔から思っていましたが、王家は父上に甘いですよね」

「王家の問題児を預かってやった礼だろう」


「それならもっと俺に……いや、母親というあの女のことで忖度されるのは気分が悪いです」


 『母親というあの女』。

 レオネルはいつも母サルビアのことをそう言っていた。



「俺はあの女が嫌いです」

「そうだろうな」

「どうして嫌いなのか、その理由をいくつも言えます。そんな女が俺を生んだ母だということが不幸だとさえ思っています」


―――私も母親が嫌い。


 自分の過去を話したとき、アイシャもそう言った。

 レオネルは『自分と同じ』だと思った。


 周囲の者、特に親類や使用人は「命がけで産んでくれた母親を嫌うことはよくない」とレオネルを咎めた。


 自分が母親に抱く嫌悪感を理解してくれたのはアイシャが初めてだった。

 初めて共感してくれた人がアイシャであることが嬉しかった。


「不幸を比べても意味がないと分かっていますが、『あの女』と言えるだけ俺は幸運だったんです」


「どういうことだ?」

「俺は母親を知っていて、知った上で嫌っているんです。でもアイシャは母親を知りません、『自分を捨てた』という事実だけで嫌っているんです」


―――私を捨てた者を好きになれと言うの?


「母親を知らないことがアイシャに希望を与えていたと?」

「はい、アイシャもそれに気づかなかった。『夢』はそんなアイシャの無意識の希望を無残に暴き、粉々にしたのです」



 その日、アイシャとレオネルが古竜に遭遇したのは偶然だった。

 二人は騎士団の新人騎士になったばかりで、他の新人たちと同じように哨戒業務をしているときに古竜に遭遇した。


 アイシャとレオネルが組んで行動しているのも異例だった。

 氷と火の二人は共闘する面では相性が悪く、水を凍らせたり氷粒を飛ばしたりなど協力して効果を上乗せできないので個々の火力頼りになる。


 二人が組んでいたのは、ヒョードルもマクシミリアンも家の都合で休みをとっていたから。

 この日はそういう意味でも異例続きだった。


「若い竜の討伐は数回経験していましたが、古竜は初めてでした」


 年齢を重ねて何度も脱皮を重ねたから体は若い竜と比較にならないほど巨大だった。

 巨体を飛ばすための三枚羽は大きく、羽ばたきだけで吹き飛ばされそうになった。


 古竜は発見後すぐに隊に報告するために一時退避、改めて討伐隊を組むことになっている。


 それでも逃げなかったのは、すでに古竜が集落を襲っていたから。

 小さくない集落は無残に荒らされ、何人もが犠牲になっていた。


 二人は連絡用の鳩を飛ばしたあと、古竜を集落から離して時間稼ぎをすることに決めた。



「『夢』のことは?」

「知っていました」


 古竜の得意とする幻惑魔法は騎士たちの間では『夢』と呼ばれる。

 ことは授業でも習っていたし、騎士養成学校でも教わった。

 騎士団に入ってからは先輩の経験談を何度も聞いた。


「お前も『夢』を見たのは?」

「アイシャの『夢』をガラス一枚隔てたところから観察していた感じです。『夢』を見せるためには記憶を読まなければならず、その古竜は俺たち二人の記憶を読めなかったのでしょう」


「『夢』の観察、珍しい事例ではあるが過去に何度かある。醜悪な夢に壊れていく仲間を見ているしかできないことへの絶望で心を壊すことが多いというが……まさかお前がそんな経験をしていたとは」


 醜悪な夢。

 レーヴェの言葉にそれを思い出したレオネルは唇を噛み、口に広がる鉄くさい味に少しだけ冷静になる。



「アイシャの『夢』には母親が出てきました。現実でもアイシャの母親を名乗る女は何人も来ましたが、呆れてしまうくらい似ていなかったり、孤児院の名前などアイシャの質問に応えられなかったり……でも『夢』の母親はそんな粗悪なニセモノたちと違いました」


 『夢』の中の《母親》はアイシャによく似ていた。

 赤子のときに孤児院に捨てられたアイシャにそんな記憶があるわけがなく、これはアイシャがかつて夢みた理想の母親だとレオネルには分かった。


 《母親》はアイシャの質問にも全てよどみなく答えた。


 孤児院があった町の名前も、孤児院の名前も。

 当然だ、《母親》はアイシャの記憶なのだから。



「アイシャは『夢』に気づいていなかったのか?」

「気づいていました。『夢』の中でアイシャは《母親》に向かって自分を捨てた女に化けるなど愚かだと言っていました」


 そんなアイシャの前で《母親》は「捨てた?」と不思議そうに首を傾げた。


 そして《母親》は「疲れているのね」と慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 愛し子として毎日頑張っているから、疲れて寝たから変な夢をみたのだと。


 そこで初めてアイシャは動揺した。


 そんなアイシャの動揺を《母親》は見逃さなかった。

 「哨戒中に遭遇した古竜の討伐で疲れたのね」と言った。



―――アイシャ、私はあなたを愛している。愛し子だからじゃない、あなたがあなただから大好きなのよ。



「アイシャは自分自身を、愛し子じゃなくても愛してくれる誰かを、母親を欲していた。だから『夢』に囚われた。母親が自分を捨てたなど悪い夢を見ていたのだと、自分は孤児の愛し子ではないと思ってしまった」



 自分にそう言い聞かせて微笑むアイシャの姿にレオネルは胸を突かれた。


 自分を捨てた母親なんてキライだ。

 孤児のどこが悪い。


 そういって張る虚勢の影には母親の愛情に期待する寂しがり屋の女の子がいた。



「アイシャが発狂したキッカケが母親の死か」


「お祝いだからアイシャの好きなショートケーキを買ってくると出かけて事故にあって……自我を失い、世界を恨み、スフィンランたちが暴走しました」


 スフィンランが暴走した結果の破壊力は古竜の想像を遥かに超えたものだったのだろう。


 急いで幻惑魔法を解除したが一足遅かった。


 外に吹っ飛ばされる形になったレオネルは、同じく吹っ飛んできたアイシャを抱きとめた瞬間に古竜の巨体は凍りついた。



「吹っ飛ばされて崖か岩かにぶつかってしばらく気を失って、目を覚ましたときには古竜の氷像がありました」


「そこからは報告書通りか。古竜を集落から離したもののお前たちは負傷して止めがさせず、そこに応援にきた当時の北方将軍ノクトが古竜を凍らせて討伐完了……真実を織り交ぜた矛盾の少ない見事なシナリオだ」


 ほわほわと笑って飄々と無茶をする幼馴染のノクトを思い出したレーヴェは懐かしさに目を細める。



「ノクト様には感謝しています……あのあと直ぐに病気で亡くなってしまいましたが」


「あれでも長く生きられたほうだ。幼年時は成人するのは無理だと医者に言われていたのだから、スフィンランたちはとても頑張ったよ……それで、本物の母親はどうしたんだ?」



 この件で『母親』がアイシャのアキレス腱だということが露呈した。

 


「本物の母親とは?その後も彼女の母親を騙る女は幾人も現れましたが、その中に本物の母親はいませんでしたよ。恐らくですがとっくに亡くなっているのでしょう」


 レオネルの冷たい笑みにレーヴェはそれ以上は何も聞かなかった。


 愛し子に与えられる特権は家族にも与えられる。

 過去にいた庶民の愛し子の家族は王都の一等地に豪邸を与えられ、多くの使用人を国が派遣し、王侯貴族並みの生活を送ったという。



(だからこそホンモノが名乗り出ないことが気になっていたが……俺の知らぬ間にずいぶん貴族らしくなったものだ)



「しかし、これで理解した。どんな悪夢ならあのアイシャを捕まえられるのか不思議だったが……エレーナだな」


「アイシャは最低でも一回流産しかけています……悪夢に飲み込まれるには十分です」

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