第21話 眠り姫は夢を見る

 レオネルが凍った池の中からアイシャを見つけてから三日後。


「アイシャ様がこんなところに」


 アイシャを見つけた場所は大勢の騎士が行き交い、


「この近くまでキノコ狩りに来たが、気づかなかった」

「この先の温泉に毎日通っていたが、気づかなかった」


 物々しい雰囲気に好奇心が刺激された周辺住民が集まって、その結果、物々しい雰囲気は消えてアットホームに賑やかだった。


「おお、こんな僻地に三将軍が」

「いや、アイシャ様もいらっしゃるから全将軍が揃っているぞ」


(……いまにも敷物と酒を持ってきて物見遊山を始めそうだな)


「せっかくだからサインを、うちの店の家宝にしたい」


「バカ野郎、騎士の遠征隊だぞ」

「そうだ、炊き出しの準備を。かかあたちを呼んで、手の空いている者は焚き木を集めろ」


(理解のある住民で助かる)


「サインはあとだ」

「そうだな」


(サインはするのか)


 野次馬の会話に気の抜ける思いをしたが、すすり泣く声が響く悲壮な現場の何百倍もマシだとレオネルは思った。



「閣下」


 自分が引き連れてきた南部軍の待機所に行くと、書記官の一人が走ってきたる。


「竜の生態に詳しい学者たちは明日にでも到着しそうだと連絡がありました」

「ずいぶん時間がかかったな」


「ここが湖か池かの判断に時間がかかったため、あちらも湖の専門家を送るか池の専門家を送るか悩んだようで」


 学者たちの区分は細かい。

 専門性を保つためだとしても、書記官の呆れた顔にレオネルは深く同意した。


「どっちでも同じだろう……と言ったら、二日前のやり取りが再発するんだろうな」

「はい」


(報告書って本当に面倒くせえ)


「どちらにせよ、討伐対象が竜というのは変わらないのだがな」


 アイシャを発見したレオネルは直ぐに砦に戻り、騎士たちを叩き起こした。

 「何の騒ぎだ」というレーヴェの傍にはエレーナがいて、レオネルは一瞬誤魔化そうかと思ったが、ここまで準備を整えてきたエレーナをのけ者にはできないと全員の前でアイシャの発見を報告した。


 眠れぬまま夜を過ごし、夜明けとともに砦を出発。

 池について見た光景に全員が息を呑む。


 アイシャの下に巨大な竜がいた。


 アイグナルドたちが灯す光では池の深いところまで視えなかったため、レオネルもその後継に驚いた。



「北部では竜がよく出るというのは本当だったのですね」

「そうだな、南部はあまりでないから東部の騎士たちが中心になり南部は補佐する形になるだろう」


「閣下は竜討伐の経験がありましたよね」

「ああ」


 竜の討伐経験は何度かあるが、竜の巨大さにレオネルはイヤな予感がしていた。


(イヤな予感に限ってよく当たるからな)


―――レオって全体的に恵まれているけど運が悪いし、総括すると不幸体質よね。


 かつてアイシャに言われたことを思い出していると、


「南のオジサマ」


 アイシャの声を幼くしたエレーナの声に振り返ると、湯気の立つ料理ののったトレーをもつエレーナがこちらに向かってきていた。


「お昼ご飯です」

「ありがとう……エレーナ嬢、大丈夫か?」


 一時期に比べれば表情が落ち着いたエレーナに声をかければ、エレーナは小さく笑った。 


「大丈夫です、とりあえず生きていることは分かったのですから」


 砦周辺でアイシャの魔力があった。

 フウラの証言をもとに魔力計測器を持ってきた一行は周辺の魔力を計り、アイシャが生きていることは確認した。


 同時に膨大な魔力。

 アイシャの下にいる竜も生きていた。


「明日専門家が到着する予定だ。そうすれば氷から出すか方法の話し合いが進むだろう」

「それじゃあ明日に備えて鋭気を養わないと。オジサマ、ご飯を食べてください。お腹がすいていいことはないですよ」


「それ、アイシャがよく言っていたな」

「母様のうけうりですから。母様って本当に食いしん坊ですよね。あ、イヴァン、こっちよ!」


(『イヴァン』?)


 エレーナの声をかけたほうを見れば、レーヴェと共にエレーナの護衛をしているヒョードルの息子のイヴァンがいた。


(十七……あの小さな子がもう成人とは)


 ヒョードルは学院を卒業すると直ぐに長く婚約していたフウラと結婚し、その翌年に父親になった。


―――フウラ様に似ているわね。


 そう言ってアイシャがおっかなびっくり抱っこしていた赤子は青年になり、輪郭が鋭くなって男性的な面が優勢になったからかヒョードルにも似ていた。

 

「エレーナ、君の分のご飯を持ってきた」


 そしてエレーナを『エレーナ』と呼ぶイヴァンにレオネルは複雑な思いを抱く。


「プリン?」

「レーヴェ様に作り方を教わった」


 伯爵令息の手作りと聞いてレオネルとエレーナが驚いていると、


「作るの面白かったよ。閣下もよろしければどうぞ」

「あ、ありがとう」

「適度な糖分は疲労回復に役立つと学校で習いました。砂糖が貴重で甘さ控えめです」


 名前呼びとか、親し気な雰囲気とか。

 何かモヤッとしたが、プリンを差し出すイヴァンのはにかむような笑みに『この子はイイコだ』とモヤモヤを消した。



「エレーナ、レーヴェ様が僕らの分も用意してくれたよ」

「冷める前に食べよう。南のオジサマ、失礼します」


 連れだって去っていく、認めがたいが『お似合い』だと思ってしまう二人を複雑な心境で見送ったレオネルは、


「ん?」


 父レーヴェが補給部隊の鍋のふたを開けているのが見えて、


「レーヴェ様、料理は私たちがっ」


 そんなレーヴェに騎士たちが慌てて走り寄る。

 隊服は赤、白、青で全体的に幼さが残る顔立ち。

 食事作りは見習い騎士や新人騎士たちの仕事である。


「気にするな。何かやっていたほうが気が紛れるし、先ほどの炊き出しで困っているようだったからな」


 そう言うとレーヴェは慣れた手つきで包丁を扱い、

 

「こういうスープは野菜多めにして塩多め、隠し味にバター、これとこのハーブを入れると美味くなる。野菜が煮込まれると味が深まるが、少し味見をしてみろ」


 慣れた手つきで小皿にスープを少しすくって周囲で鍋をのぞき込んでいた者たちに渡す。


「ああ、味が洗練されて……うっ」

「泣くな!何か物足りないと言われるのは仕方がない……ううっ」


「辛かったな」


「お前たちは庶民だから味は分からないと嘲笑われ……うううっ」

「ろくなものを食ったことがないからバカ舌だと……ううっ」


 騎士には貴族の他に庶民もいる。

 規則では『平等』と言ってはいるが身分制度がある以上は『平等』はありえず、食事担当の騎士が庶民ばかりということは、そういうことだ。


「そんな愚か者がいるのか、結構な人数か?」

「それなりに」


 それならばとレーヴェは数人の者に手伝わせて鍋を二つに分ける。


 何をするのだろうかと、周囲とレオネルが見ている目の前で、一つの鍋にまな板の上にたくさんあった肉の脂身を大量に投入した。

 バターも隠し味レベルを通り越す量を投入する。


 遠征費は大丈夫かと思ったが、北部は酪農が盛んだと思い出した。


「油は貴重だからか貴族たちはこぞって油っぽい料理を好む。美食家を気取るヤツほどたっぷりの脂で『コクがある』と満足する奴が多い。脂をたっぷり入れて煮込め、バターは北部の特産品だが最高の調味料だぞ。予算に余裕があればたっぷり使用するといい、オリーブオイルでもいいぞ」


(料理教室を開きながら、信者を増やして、バターを宣伝している……我が父ながらすごい人だな)


 『太れ、豚野郎』とか『非常食になりやがれ』とか言いながら脂身を投入する者たちを見ながら、あっちの鍋を食べるのはやめようと思った。


 妖精の加護で体は二十代だが、レオネルのメンタルは三十代。

 脂身は最近少し苦手だった。




 四日目の昼、ヴィクトルが派遣した専門家たちが到着した。



「絶対に、絶対に、間違えても絶対に怒らないでくださいよ」


 半泣き状態で何度も念を押す眼鏡の男性を前にレオネルはため息を吐いた。

 隣にいたレーヴェも同じく呆れているようだ、ため息が深い。


「そう何度も念を押すな、鬱陶しい。それで結果は?」


「処罰は?」

「与えないから早く話せ」


「本当の本当ですね」


 二人が頷くと、裾が土で汚れた白衣を羽織るメガネ男は一枚の紙を二人の前に出し、絵を描き始める。


「氷の断面図と思ってください。この氷は、このように二層に分かれています。もしかしたら三層以上あるかもしれませんが、いまは上の二層が重要なので確認していません」


 メガネ男は断面を二つに割り、上にスフィンランとアイシャの名前を書く。


「上の層は氷です。アイシャ様とスフィンランの魔力、そして池にいたと思われる微小な生物が目視で確認できました。池の水が魔力で凍ってできた氷と考えて間違いありません」


 そして下に『竜?』と書く。


「この下の層は氷はありません。粘度の高いもの、いま言えるのはこれだけです。液体のようですが、布で触れても吸い込まなかったので液体と判断しがたいです」


「生物は?」

「目視では確認できません。上の層の氷と比較すると何もいないのは不自然なので、この下の層は池の水とは考えられません」


「魔力は?」

「魔物のものとしか分かりませんが、この状況では竜と推測するのが自然です」


 竜の魔力が含まれるドロリとしたもの。



「『夢』でしょう」


 専門家が天幕を出て将軍位をもつ者だけになると(レーヴェ含む)、レオネルがおもむろに口を開いた。


「千年竜が会得する精神魔法」

「これは古竜だというのか?」


「そう考えるのが自然だな。厄介だが、確かお前とアイシャには古竜の討伐経験があったな」


 「あります」とレオネルは頷く。


「しかしその古竜は水属性の竜で、私とアイシャの魔法との相性が悪くありませんでした」


 水の動きは凍らせて止められる。

 火の力で蒸発させて消すこともできる。


「氷属性ではそうはいきません。そしてこの状態をみれば氷属性の可能性が高いです」


 氷対氷では勝負がつかない。

 決め手に欠けて、膠着状態が続けば巨大な竜に比べて小さな人間の体では体力の限界が先にくる。


 だからアイシャは池に自らと一緒に竜を封じることを選んだ。

 それがレオネルの推測だった。


「しかもこの竜は巨大です。倒した古竜は体も小さく、三枚目の羽がまだ小さい若い古竜でした。この竜の羽は四枚目まで確認できています。もし五枚羽なら?五枚羽の古竜の『夢』など伝説の代物。語り継がれる夢の醜悪さを考えれば、老獪な竜のみせる『夢』はさぞかし悪趣味でしょうね」



 ***



 ぐわんっと魔力の揺れる感触にアイシャは閉じていた目を開けた。


「頭痛がする、目もチカチカする」


 視界は白ばかり。


 白い壁紙に白い絨毯。

 白いリネンでまとめられたベッド。

 見下ろせば着ているのは白いワンピース。


 白いカーテンがついた、白い木枠の窓から見える空だけが青い。


「下着が白でも驚かないわ。誰の趣味よ、全く」


 大きな声で独り言を言う。


「呆れたらお腹すいた……ショートケーキが食べたい、あ、いやいや、なしなし、あ―あ」


 目の前にショートケーキがポンと出てきた。

 真っ白なクリームに赤い苺がのった可愛らしいケーキ。


「よりにもよって『ミシュアの樹』のショートケーキ」


 アイシャはため息をついた。


「当然か、あそこのケーキが一番美味しいもんね」


 再びため息をついてアイシャは体の力を抜く。

 しかし姿勢があまり崩れないのは、


「この手じゃ食べられないじゃない、私のバカ」


 両手をまとめ上げらあれて頭上で凍りつかされているから。


 アイシャに氷を割る力はない。

 氷を作るのは得意でも溶かす魔法は使えない。


 つまりずっとこの状態で、寝たり起きたりをずっと繰り返していた。


「レーヴェ様みたいに火魔法が使えればいいのに」

『相変わらず素直じゃないな』


 アイシャが顔を上げると、窓の前にレオネルが立っていた。


「出た」

『出たって、幽霊じゃないんだからさ』


「その顔で軽薄な口調はやめて」

『ん?』


「そのニヤニヤ笑いも嫌いよ」


 アイシャの言葉にレオネルの姿をした男は自分のほっぺたの肉をほぐしてみせる。


『そんなこと言って、俺の顔が大好きなくせに』

「それはそうよ。最愛の娘にそっくりだもの」


 アイシャの言葉に《レオネル》は首を傾げ、


『娘?どんな?』


 そんな問いかけにアイシャは笑い、


「誰って、決まっているでしょう?」


 鼻で笑ってアイシャはエレーナを思い浮かべようとしたが、思い浮かばなかった。


 記憶にない。

 まるで最初から存在しなかったように。


「嘘……嘘よ!」


 見下ろせば、ベッドに敷かれた白いシーツが赤く染まっていく。

 赤はどんどん広がり、白いワンピースも赤くなっていく。



『嘘かなあ』

「嘘よ、そんなはずない!」


 アイシャの絶叫は可愛らしい白い部屋には似合わなかった。


「あの子はちゃんと産まれたわ!!」

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