第20話 恋愛はややこしさを生む
北方砦の大きな門の隣にある通用門の鍵をあけたエレーナは大きな声で叫ぶ。
「ただいま!母様、いるー?」
どこからそんな大きな声が?
驚いて言葉を無くす一行の耳には木霊するやまびこだけが聞こえた。
「やっぱりいないですね」
「雑な確認だね」
「いつもこんなものです」というエレーナにマクシミリアンは苦笑するが、十五年振りに北方砦に入った心情は複雑だった。
パンパンパンッ
下手すれば落ちてしまう気持ちを上げるためエレーナが手を打ち鳴らす。
「この北方砦は中央の尖塔が見張り台、見張り台を囲むように四つの建物があり、手前右側を私と母様が使っています。残りの三つは掃除してお好きに使ってください」
エレーナとアイシャ以外いないので他の三つの建物には埃しかない。
レーヴェから手渡された掃除道具に貴族出身の三将軍は複雑そうな顔をする。
「エレーナ嬢たちの建物を北として、残りの三つを東西そして南で使おう。父上は南でいいですか?」
「気遣いは感謝するが、これで言うと俺は北に自分の部屋がある」
「自分の部屋が、ですか?」
レオネルのもの言いたげな視線に気づいていたが、レーヴェはそ知らぬふりをして平然と頷く。
「定期的に湯治で利用させてもらっている」
「おじい様のお部屋は温泉付きにリフォームしてあるものね」
微笑み合う二人は仲良しの祖父と孫にしか見えない。
実際にエレーナのことを知ったレーヴェは祖父を自任し、数年間ここを拠点に生活していた。
アイシャの子育てを手伝い、特にアイシャが不得手な料理に関しては離乳食から宮廷料理まで作れるほどの腕前になっていた。
「見ての通り、北方砦には兵も使用人もいません。基本的にご自分のことはご自分で、もしくは従者や部下の方にやってもらってください」
「エレーナ嬢は自分で家事をやるのか?」
「当然です、不器用な母を持つ娘の家事力を舐めないでくださいよ。家事は母様以上にできます、すぐにお嫁にいけるレベルです」
「家事なら俺もできる。取りあえず今後の方針を決めるために三将軍の夕食は俺が準備しよう、食べられないものがあったら言ってくれ」
三人が何でも食べるというと「それは結構」とレーヴェは北の建物に消えた。
これから掃除をしてから荷ほどき、それが終わったら料理の仕込みに入るとのこと。
王女に憑りつかれた不幸な将軍のイメージがどんどん崩れていく。
「おじい様の料理は王城の料理人よりも美味しいですよ」
エレーナの言葉に三将軍は何も言えなかった。
「エレーナ嬢。ずっと気になっていたのだが、砦全体に硫黄のニオイがするということは将軍の部屋の他に温泉があるのかい?」
ヒョードルの問いにエレーナは頷き、廊下の端によると目立たないところにあった細い金属管を指さす。
「この管の中を百度を超える源泉が通っています。いまは尖塔と私たちの暮らす北の建物にしか流していませんが、各建物の三階にある大浴場の掃除が終了次第その建物にも流すので言ってください」
「温泉の熱を暖房代わりにしているのか……考えたな」
「北部は温泉があちこちにありますからね。母様が魔物討伐でどこどこ源泉を掘り当てるのでお湯の消費に躍起にならなくてはならないくらいで」
「そう言えば」とエレーナが手をポンッとうつ。
「私たちは使わないので忘れていましたが、この砦の裏に大きな露天風呂があります」
アイシャが魔法の練習中にウッカリ開けた大穴を、遊びに来ていたレーヴェが焼いて固めて暇つぶしに石を積んで作ったお手製の露天風呂だと説明した。
「ちょっと見晴らしがよ過ぎるので抵抗があるかもしれませんが泉質はいいですよ。おじい様はよく入っていますが……今日は掃除の手が回らないでしょうから入れるのは明日以降に利用できると思います」
元とはいえ公爵だった将軍に掃除させた温泉に浸かるのも気が引けるので、レオネルたちは自分たちが掃除をすると言った。
「あそこは源泉かけ流しなので、掃除方法は……工夫して頑張ってください。あ、百人位は入れる湯舟なので人数もそこそこいた方がいいですよ」
「……そこを将軍はお一人で」
「独り占めの贅沢を味わうための必要な投資だそうです」
「次は」と言いながらエレーナは三人に砦を案内する。
「なんかバカンスに来た気分だな」
「僕、引退したら妻を連れて北部で隠居しようかな。いまから貯金すれば温泉付きの屋敷が買えるかな」
***
「……眠れない」
レーヴェの作った食事のクオリティに驚きながら食事を終え、掃除後の一番風呂を堪能したがもう一度お風呂に入ってのんびりし、ポカポカの体でベッドに入ったレオネルは眼が冴えて眠れなかった。
「散歩に行くか」
これだけの将軍と騎士たちがいるのだから安全だろうということで、北方砦の大きな門は開けっ放しにしておくことにした。
早速街に飲みに行った若い騎士たちもいるが、エレーナから聞いた秘湯に向かった自称温泉通の騎士が意外と多かった。
彼らはタオルの他に道を切り開くための鎌や鉈、そして掃除用のブラシを持って出かけていった。
明日以降は整えられた道を先輩騎士が通り、きれいになった湯舟を先輩騎士たちが堪能するらしい……軍の上下関係はとても厳しい。
「南は……こっちか」
月の位置で方角を確認し、淡く発光するアイグナルドたちを篝火代わりにしながらレオネルは南を目指した。
砦の南にあるという湖。
レオネルは竜の花嫁の話が気になっていた。
「ずっとここにいるエレーナと父が知らない湖だから俺に見つかるとは思えないが」
むだ足になる確率のほうが遥かに高い。
それでも少し期待してしまうのは周辺にアイシャの魔力を感じるからだった。
そこかしこにある魔力だまりはアイシャの魔力に染まっていて、スフィンランたちが楽しそうに踊っていた。
「南とは気候が違うから植生が違うし、エサの違いか動物も種類も違うようだな……アイシャはこんなところで生活していたんだな」
何も知らずに被害者ぶってアイシャを一人で放り出した罪悪感と申しわけなさ。
これは一生背負うものだとレオネルは思いながらも、苦しい思いをさせたと思わなかったのは自慢げに嬉々と砦を自慢するエレーナの姿が影響していた。
(幸せであることを喜べばいいのに……俺がいなくても幸せな姿は複雑だな)
―――女でも家とお金を稼ぐ手段があれば、結婚なんてしなくてもいいと思うのよ。
そんなアイシャの持論を聞いたのは、アイシャのレオネルに対する評価が「いけ好かない」に変わった頃の、演習の合間のなんてことのない雑談だった。
「そうそう、それで俺が子どもは欲しくないのかって聞いたら……」
―――子どもは私が産めるから子種だけ提供してもらえれば十分。
(経緯は違うが、結果はその通りになってしまったな……ん?)
「アイグナルド?」
視界が翳ったことに気づいて顔を上げれば、篝火代わりにしていたアイグナルドたちがレオネルから離れて前方の闇の中に消えていく。
レオネルの周りはどんどん暗くなるが、妖精にも個性があるのか引っ付いたままのアイグナルドもいるので完全に暗闇に残されることはないが、
「ちょっと待て、勝手にいくと迷子になるぞ」
妖精は愛し子を見失うことがないので迷子になることはないが、エレーナの登場でメンタルが父親シフトしていたレオネルには妖精が小さな子どものように見えているのだった。
「待て待てっ、うわっ!」
地面が消えて『落ちた』と思った瞬間には、レオネルの体は重力に従って暗闇に向かって落ちていた。
「アイグナルド」
高いところからの落下なんて珍しくないし、転落死を回避する手段はいくつも思いつくので、特に焦らずレオネルはアイグナルドを呼ぶ。
「いつもより少ないが、まあいい」
飛んで行ったアイグナルドたちの行方は気になるが、まずは無事に着地するためにレオネルは羽織っていた外套を頭上で拡げる。
長年の相棒であるアイグナルドたちはレオネルの意図をしっかり理解し、外套の中の空気をやや熱めにする。
握力と腕力頼りだが簡易的な熱気球の完成。
「ずいぶんと高いな……のぼるのは大変そうだ」
崖の上は見えないし、足元の先も分からない。
腕力と握力にもまだ余裕があるからレオネルは飛び降りるのをやめた。
のんびりと落下しながら足元を見たら薄っすら紅く光っていて、
「アイグナ……は?」
アイグナルドたちが照らしたのは、長い銀色の髪を拡げて眠るように目を閉じて水に浮かぶアイシャだった。
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