第19話 竜の花嫁がみる夢
「母様が竜の花嫁?」
夫婦の推察をヒョードルがエレーナに語ると、
「竜が私の
「いや、そういうことではないと思う」
珍妙な理解にエレーナを動揺させてしまったとヒョードルは反省したが、
「そうだよ。俺の知り合いに愛犬と結婚したいけれど神殿に認められなかったと嘆くやつがいてな」
理解力がないと、マクシミリアンには反省を促す手刀を頭に落とした。
「エレーナ、何か心あたりは?」
「竜に求婚されたとは言っていませんでした」
「求婚されていたら吃驚だ。そうではなくて、最近砦周辺で竜を見たか?」
エレーナはレーヴェの問いに首を傾げた。
「私は見ていません。母様が見つけて討伐している可能性はありますが、素材を売る手配とかがあるので私が知らないということはないと思うのですが」
エレーナの答えにレーヴェは「ああ」と納得した。
「一人でこっそりは無理だな。俺も凍らせた竜の解体を手伝わされたが、あれはかなりの手間だった。ちまちま溶かすのがまどろっこしくて火魔法を使ったらアイシャにこっぴどく叱られたっけ」
「おじい様が尻尾を焦がすからいけないんですよ」
「俺は魔物素材の採取に慣れていない、火はどうしても素材を傷つけるから」
「剣で倒せばいいではありませんか。仕事はコツコツ、小銭の積み重ねが大金になるんですよ」
「世知辛い」
「北部からくる魔物素材が高額で取引される理由が何か分かった」
「マックス、レオ、話の脱線に巻き込まれるな」
『そうだった』と四人の目が集まったところでヒョードルは咳払いをする。
「北部を調査した結果に推察を混ぜ、アイシャは何者かに捕えられていると私は考えます」
「……捕えられている」
ヒョードルの言葉の一部を復唱したレオネルはギュッと拳を強く握る。
そして大きく息を吐いて力を抜いた。
「アイシャを捕えているのは人か、それとも人以外か」
「ここにいる者に心あたりがなければ、竜と考えるのが妥当だろう。竜には精神魔法があるからな」
レーヴェの言葉にヒョードルとマクシミリアンは顔を見合わせる。
「僕とマックスではアイシャを捕獲できない、可能性があるのはレオだけだ」
「一応確認するが……レオ、やっていないよな」
「冗談が過ぎるぞ」
レオネルの声に「それはない」というレーヴェの声がかぶさる。
「公爵邸と南方砦は俺が確認した。スフィンランが一匹もいなかったからアイシャはいないといっていいだろう」
「父上も笑えない冗句はおやめください」
父親の言葉に一瞬喜んだ自分がバカみたいだと思ったレオネルだったが、ヒョードルの推測のもとになった『ピレーネ村』に心あたりがあった。
「ピレーネ村に伝わる竜の花嫁ですか?」
恐縮しながら領主館に入ってきたサイスとルネは首を傾げた。
「お前たちの同郷の老婆が『竜の花嫁』の話をしたそうだ。ピレーネ村の周りには小さな村がいくつかあって、順番に若い女性を花嫁として竜に捧げていたという」
確かに二人はピレーネ村の出身だが、十五年前に滅びた村。
サイスにとっては二十五年も前に出た村のこと、覚えていることは少ない。
「俺の母が子どもだった頃は周辺にいくつも小さな村があったそうですが」
「花嫁といえば聞こえがいいですが『生贄』ですよね。村長あたりが秘匿していたのでしょうか」
ピレーネ村の出身者なら何か聞きかじっているかもしれない。
その期待が空振りになってレオネルはいささか落ち込む。
「ここは『生贄の風習があった』と仮定しましょう」
「フウラの意見に賛成だ。ここで次の質問、物語に出てくる生贄は山の入口や滝や湖などの何となく象徴的な場所に捨て置かれる。ピレーネ村周辺にそういったところはあるか?」
竜はそこにいるのではないか。
その推察と二人の答えに全員の期待が高まる。
「山はそこかしこにあって分かりませんが、湖なら村の北にあったような」
「湖?村の北に湖なんてありましたか?」
「あったよ、父さんに何度か釣りに連れていってもらったから」
「あなたのお父上は五歳のときに亡くなったのでは?」
「まあ、子どもの記憶だけど」
「うーん」と悩む二人とは別に、北部を知るレーヴェやエレーナも悩む。
「ピレーネ村の北なら北方砦の南ですよね、湖らしきものに覚えがないんですよ」
「す、すみません。俺の勘違いかと」
「……エレーナ様には妙に素直だな、気持ちは分かるが」
ルネの手の平返しにサイスは呆れ、
「村の北部はよく土砂崩れが起きていました。地殻変動で枯れた湖も北部にはいくつもあります」
「その意見が妥当だろうが……水のない湖か」
ふむとレーヴェが悩む。
「人間の場合、普通は花嫁を得たら家に迎え入れるよな。俺は例外だが」
「おじい様、個性は大事です。竜にとって家といえば巣ですが、北方砦よりも北にある険しい山脈のどこかにある巣にいる可能性があるというのですか?」
絶望的な顔をするエレーナの頭をレーヴェがポンポンと励ますように叩く。
「アイシャがそこに連れていかれるわけがないと言いたかったんだ」
「そうですね。不意打ちで竜に捕まったとしても、竜の足や羽を切り落としてに墜落することを選ぶような女です」
「オジサマの中の母様像ってどれだけアグレッシブなんです?」
「アイシャはエレーナ嬢の前ではおとなしい母親だったんだなあ」
「アイシのモットーはどんな手を使っても勝つ。甘いものを賭けて勝負したときはそれはもう卑怯なもので」
「母様……」
***
「オジサマ」
竜の世話のために竜舎にいたレオネルはエレーナの声に振り返った。
一瞬、悪戯を見つかった子どものような気分になったが、大人の意地で何でもない振りをする。
「朝早くに北方砦に向かうのだから早く寝たほうがいい」
「オジサマもでしょ?」
「俺は慣れているから」
「ふーん」といいながらエレーナはレオネルの隣に立つ。
傍にいた竜がグルルッと喉を鳴らし、エレーナは隠し持っていたリンゴを竜に与える。
「母様の竜なのに、オジサマに懐いているのね」
「十五年も会っていなかったのに、これは俺を覚えていてくれたらしい。それとも兄弟のニオイがするからかな」
「兄弟?」
「この竜は俺の竜は兄弟なんだ」
「どうして兄弟って分かるの?」
「同じ巣にあった卵から孵ったからさ」
レオネルとアイシャは竜同士のケンカに出くわしたことがある。
竜に乗りたい騎士は自分で竜を探すしかない。
竜の巣の目撃件数は年に数回しかなく、巣を発見したと聞くと若い竜を求めて騎士たちはこぞって巣に向かう。
「巣に辿り着いたらそこで竜が二匹ケンカしていてさ、これがまた激しいケンカで俺たちは二日間の足止めを食らったんだ」
「ケンカの結果は?」
「共倒れの上に、卵は巣ごと地面に落下していた」
―――二日も待たせた挙句に共倒れ。しかも巣を落として、子孫繁栄は生物の本能じゃないの?この二匹は何のためにケンカしたのよ。
―――見なかったことにするか?
―――卵を見捨てるというの、血も涙もない、ろくでなしの冷たい男ね!
「落ちた卵から孵った竜って縁起が悪いと聞いたことがありますが」
「そうなんだが、それを墜落の理由にするのは技術のない証拠ってアイシャは主張してね。売り言葉に買い言葉で、じゃあ一つは俺の騎竜にするってね」
普通は筋肉質で健康的な若い雄の竜を捕まえて、訓練して自分の騎竜にする。
もちろん卵から孵して騎竜に育てる者もいるが、卵の場合は雌の可能性もあるし、雄でも貧弱な個体の可能性もある。
「実際にこの竜は他に比べて少し筋肉が弱い」
「記録に残っている母様の騎竜戦の成績が悪いのはそういう理由だったんですね」
「アイシャが勝てない理由には不器用で手綱をつけるのがヘタというのもあったがな」
レオネルの言葉にエレーナは笑って、少し離れたところでこっちを見ている灰色の竜に目を向ける。
「オジサマの竜にもリンゴをあげてもいい?」
「ああ、アイツも喜ぶよ」
エレーナを優しく見る目には気づいていたのでレオネルは許可を出す。
「おいしい?」
南方砦ではレオネル以外に世話をされるのを嫌う気位の高い竜。
竜舎付きの騎士の胃痛の原因でもある問題竜が、借りてきた猫のようにエレーナから渡されるリンゴを食べている。
「初めまして、私はエレーナ。アイシャの娘よ」
竜はぴくっと耳を揺らし、エレーナの背中のほうに首を伸ばす。
まるでそこにアイシャが隠れているんじゃないかというように。
「ああ、すまん」
世話が途中だと咎めるようにアイシャの黒色の竜に咎められ、レオネルはブラッシングを再開する。
黒いウロコで覆われた皮膚はまだ若々しく艶やかだが、ところどころにキズがあったり、淡い色のウロコがあったりと年齢を感じさせる。
竜の寿命は人間よりも遥かに長い。
しかし騎竜となった竜は乗せた騎士が死ぬと同時に衰弱して死んでしまう。
メカニズムは分かっていない。
ロマンチストな者は『竜が人間と心を通わせた代償』といっている。
「お前たちは人間よりもよほど一途だな」
竜の花嫁の風習が本当だとしたら。
どんな女性が花嫁として竜に捧げられたのか。
貧しい家の口減らしか。
それとも孤児か。
(竜の一途さは有名だ、女たちは愛されることを夢みて生贄になったのかもしれないな)
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