第18話 微笑みは万能の言葉

「お帰りなさいませ、旦那様」


 エレーナやレオネルと共に北部に行く。

 ヒョードルが妻のフウラにそう言うと、フウラはひと足先に東部にあるトライアン伯爵領の領主館に向かい一行を迎える準備を整えていた。


 北部と王都の間には険しい山脈があり、北部に行くには西部か東部から迂回していくしかない。


「ただいま、フウラ」


 妻の視線が自分の後ろ、エレーナに向いたのに気づいたヒョードルは勇気づけるために笑顔でフウラの頬に口づける。


 夫の応援を受けてフウラは一歩前に踏み出す。


「いらっしゃいませ、エレーナ様。お部屋の準備はできています、旅装を解いてお寛ぎください。私の見立てで恐縮ですが、ワンピースなどをご用意させていただきました。クローゼットにありますので、中のものはご自由にお使いください」


「……お気遣いありがとうございます」

「良かったじゃないか。フウラ夫人はとてもセンスがいい、アイシャも悪くはないが実用性重視なところがあるからな」


 エレーナの緊張を感じ取ったレーヴェがからかいを込めて声をかけ、


「フウラ夫人、私からもお気遣いに感謝する」

「いいえ、私には男児しかいないため女の子の華やかな服を選ぶのはとても楽しゅうございました」


 にこっと微笑むフウラをエレーナはジッと見る。

 そして体の力を緩めるとペコリと頭を下げる。


「女の子の服選びはしたことがないから僕も参加したかったな。子どもたちは?」

「イヴァンは部屋におります。ダミアンとアントンは私の実家に行きましたが……あの子はどうしても残って旦那様たちと一緒に行くと聞かなくて」


 ヒョードルとフウラには三人の息子がいる。

 イヴァンは長男で十六歳、次男のダミアンと三男のアントンはまだ十歳にならない幼い少年だ。


「イヴァンも参加するつもりなのか?遊びではないんだぞ」

「申しわけありません、何度もそう説明したのですが……」


 学院に通ってイヴァンが実戦経験をしたいと思っていることはヒョードルにも分かっていたし、その願いをかなえるために近いうちに東方砦に連れていくことも検討していた。


(よけいな揉め事は避けたいが……どうしたものか)


 悩めるヒョードルに解決策を与えたのは意外にもレーヴェだった。


「トライアン伯爵、ご子息の得意とする武器と熟練度は?」

「剣もそれなりに使えますが得意とするのは弓です。弓ならば東方砦の弓兵たちと肩を並べられます」


 風の妖精ゼフィロスの加護をもつ東方将軍の守る東方砦には昔から熟練の弓兵が配置される。


「想像以上だ。伯爵、ご子息にエレーナの護衛を頼めないだろうか。年の近い子どもがいた方がエレーナにはいいと思ってな。私もエレーナの傍にいるからご子息の出る幕はないだろうが、いい経験にもなるだろう?」


 「しかし」と悩むヒョードルにレーヴェは語りかける。


「ご子息は今回のことで思うことがあるのではないかな、いまの子どもの情報収集力は大したものだし新聞社を経営する貴殿の周囲には情報が溢れている」


 レーヴェの言葉にフウラの顔が強張る。


「子どもの気持ちを大事にするのも大人の役割だ。『親の心、子知らず』とはよく言うが、子どもの心を親が見くびるのもよくあることだ」


「父上が言うと妙な説得力がありますね」

「ほら見ろ、ご子息がこいつのように捻くれて育ってもいいのか?」


 最後は茶化して場を笑わせたレーヴェにヒョードルとフウラは揃って頭を下げる。



「今朝この手紙が届きました」


 妻から受け取った手紙をヒョードルが裏返すと、裏にはある人物の印が押された封蝋。


「内容を要約しますと、旦那様たちがいつトライアン伯爵領に着くか、レーヴェ様にお会いしたい、エレーナ嬢の目的は何か、レーヴェ様に会いたい、でございます」


「おじい様に会いたいという圧がひどいですね」

「そういう女なんだ。あの女が離宮で大人しくしているとは思わなかったが……俺たちの行動を知っているところは、枯れても社交界の花は花ということか」


 憎々し気なレーヴェの言葉にエレーナはため息を吐く。


「おじい様、女性の前で『枯れる』というのは禁忌だそうですよ」

「ああ、すまない。二人とも若々しいのだから爺の失言を許して欲しい」


「手紙の女性ひとに会ったことはありませんが、みなさんの表情かおをみる限り胃にもたれそうな性格の方のようですね。


「見た目は知らんが脂ぎった性格で、とにかくシツコイ。目をつけた相手は徹底的に逃がさず、ねっとりべっとりとこびりつこうとする。とにかく、邪悪と性悪を迷惑という名の油で揚げるて油を切らずに皿にのせられた様な女なんだ」


 なんとなくギットリしていることは分かったが、この場にいる全員がレーヴェほど調理に明るくないので理解度は八割ほどだった。


 それでも会いたくないとおもったのだから、相当なんだとエレーナは理解した。


「脂のニオイはしつこいので絶対に会わないようにします」

「そうだな、それがいい。エリーは本当に賢い」

「おじい様、毛がぐしゃぐしゃになるからやめて……あああ」


 わしゃわしゃと頭を撫でられたことでエレーナの髪はぼさぼさになる。

 

「す、すまない」

「んもう、女の髪に断りなく触れた上にぐちゃぐちゃにするなんて……私、三つ編みは苦手なのに」


「エレーナはアイシャに似て不器用だからな、アイシャはひとつに結ぶ姿しか見たことがない」

「おじい様、反省してくださいね。母様だって三つ編みくらい……あ、伯爵夫人」


 突然声をかけられたフウラは驚きで「は、はい」と慌てて返事する。


「図々しいお願いなのですが、三つ編みのやり方を教えていただきませんか?」

「私が、ですか?」


 戸惑ったように自分を指さすフウラにエレーナはコクリと頷く。


「三つ編みのやり方を伯爵夫人から教わったと母様に聞いたことがあって。あの超絶不器用な母様に教えられたのだから、私でも直ぐに覚えられるかなと」

「……アイシャ様が」


「母様よりは器用なので、私はよい生徒だと思います」

 

 どんなに鈍い者でも分かる。

 これがエレーナの謝意を受けいれる意思表示なのだと。


「喜んで」



 ***



「エレーナ様はとても素敵な子ね。こうやってアイシャ様にも上手に謝れればいいけれど」

「そうだね、そのときは僕も一緒にいるから」


 その夜。

 夫婦の寝室でまだ興奮の残る顔をした妻の肩をヒョードルは優しくなでる。


「それで、僕が頼んだことは?」


 レオネルとエレーナのお茶会後、ヒョードルはアイシャの行方不明を知った。


 エレーナが異常に気づいたのは夜が更けてもアイシャが返ってこなかったとき。

 事前に決めていたようにエレーナはそのまま砦で二日間待ち、三日目の朝にエレーナはレーヴェに鳩を飛ばして、彼女自身は竜にのってトライアン伯爵家の領主館にきた。


―――館にアイシャ様の娘を名乗る方がいらっしゃいました。急いでお戻りを。


 領主館を管理している執事からの連絡にヒョードルは急いで領主館に行き、そこで初めてエレーナと先に到着していたレーヴェと対面したのだった。



「調べたところ、エレーナ様がここに来た日よりあとに『アイシャ様を見た』という者はおりませんでした。北部辺境伯にも問い合わせましたが、アイシャ様に討伐要請は出しておられないそうです」


「スフィンランは?」

「調査している二日間で何度も見かけました。私の感覚ですが、北方砦の南側で特に多く見かけたように感じます」


「北方砦周辺には砦に辿り着けないように結界のような魔法があった。それが解けて、北方砦の前まで行けたというのは本当か?」


「はい。全ての門に鍵がかかっていたので中に入れませんでしたが、砦の前まで行けました。周辺には旦那様の予想通り、内容は分かりませんが様々な紋がありました。アイシャ様に何かあったことで、紋に流れる魔力が途切れたということなのでしょう」


 死んだか。

 それとも意識を失うほどの瀕死の状態なのか。


「アイシャ様のご生存についてなのですが、こちらをご確認ください」

「これは?」


「東部に戻って思ったのです。妖精は愛し子の魔力が好きだと、だからスフィンランのいるところで魔力測定をするように指示を出しました。これはその結果です」


「アイシャの魔力紋だったと?」

「はい、私と友人三名にお願いして騎士団の測定記録を取り寄せました。四枚とも同じ内容なのでこれはアイシャ様の記録で間違いなく、個人を特定できる魔力紋もアイシャ様のものと思ってよいかと」


 念には念を入れた警戒に、二度と間違いは起こすまいとするフウラの決意をヒョードルは見た気がした。


「魔力紋の残存は一日から五日というのが一般的な認識です。最長五日として、アイシャ様はこの間に少なくとも一回ご自身の魔力を放出させたということになります」


「つまり、アイシャは無事?」

「その可能性は高いかと」


 断言はできないが光明が見えたことにヒョードルは肩の力が抜ける。

 


「あの、あとひとつ」

「ん?」

「これは眉唾物の話で私も信じてはいないのですが」


 ずいぶん長い前置きだとヒョードルは首を傾げる。


「聞き込みを始めて三つ目の村で少し変わった話を……そこの住民の幾人もが『竜が出た』というものです」


「竜に襲われたのか?」

「いいえ。そういう被害はなく、羽ばたきのような音を聞いたとか、唸るような鳴き声を聞いたとか」


「風の音がそれっぽく聞こえたのでは?」

「その可能性もありますが、証言した住民が多いのです。しかもその音を聞いた時期がアイシャ様が行方知らずになる前で、最近はそれを聞かないという者が多いことが気になって」


「北部は確かに他の地域に比べて竜の出没率が高い。若い暴れ竜をアイシャが討伐したという話は何度か聞いている」


―――若い竜は力技で倒せるけれど、古竜は幻惑みたいな精神魔法を使うから厄介なのよね。


 不意にアイシャに言葉を思い出す。


(竜が出たという証言……それがあのアイシャでも手こずる厄介な古竜だとしたら?)



 報告書を最後まで読んだヒョードルは走り書きのひとつに注目する。


「花嫁?」


「ああ、ピレーネ村から移住してきたという老婆の証言です。竜の花嫁探しだと老婆は言うのですが、流石に信憑性に欠けて報告書には盛り込みませんでした」


「老婆か」

「大分呆けていたので物語と混合したのかもしれませんね。竜は人里に降りてくると魔力の多い人間の女性を浚い花嫁にするのだとか」


(魔力の多い人間の女……)



「フウラ、事実は物語並みに奇なのかもしれないよ」

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