第17話 お手をどうぞ、レディー
王城に戻ったマクシミリアンは回廊で待ち伏せるレオネルに微笑みかける。
「将軍自らお出迎えとはありがたいね」
「あの子は?」
「レーヴェ様が迎えにきて先に帰ったぞ。それよりどうして俺たちが出かけたことを」
「父上が、あの子がお前とデートに行ったと教えてくれた」
レオネルの周りのアイグナルドたちが目を吊り上げる様子に、レーヴェはどういったのだろうとマクシミリアンは本気で不安になった。
「ちょっと頼まれごとをしただけだよ、デートじゃない」
「デートだったら消し炭だ」
「やだあ、怖い」と茶化せる雰囲気でもなく、本気だと悟ったマクシミリアンはため息を吐きながら皴のよったレオネルの眉間を筒状に丸めた紙で叩いた。
「なんだ?」
すぐ傍で揺れる赤いリボンをレオネルはジッと見る。
「レオ宛てのお茶会の招待状」
「俺?」
手紙を優しい手つきで受け取ったレオネルにマクシミリアンは忠告する。
「レオ、あの子はもう限界だ。大人と対等にやり合っているがまだ十五歳だ」
「……そんなところまでアイシャに似なくてもよかったのに」
『アイシャ』を辞書で引いたら強情と書かれているに違いない。
そう思えるほどアイシャは人に頼らない強情な女だった。
マクシミリアンにとっては。
「だからさ、アイシャがお前にだけは甘えられたように、あの子にも甘えさせてやれよ」
「……」
「あの子には
レオネルは何も言わなかったが、言ったことでスッキリしたマクシミリアンは「じゃあな」といって回廊を先に進んでいった。
一人になったところでレオネルは壁に寄りかかり、手紙をひらく。
「南の温室か」
懐から時計を出して時間を確認する。
招待状に書かれている時間はいまから
男の支度だから三十分あれば準備は十分。
しかしレオネルは城にある自分の部屋にはいかず、自分の馬をつないでいる厩舎に向かった。
「いらっしゃいませ、オジサマ」
国王のプライベートスペースといえる南の温室。
おそらく事後承諾だっただろうが、この場所をエレーナ主催のお茶会に提供したことでレオネルはヴィクトルの応援を感じ取った。
エレーナが立つテーブルにはショートケーキとクラッカー。
思い出のある組み合わせにレオネルは胸に手を当てて礼をし、持っていた花束をエレーナの傍に控えていた侍女に渡す。
「ありがとうございます」
「贈り物は慣れていなくて、花といえばバラしか思いつかなくてな。君がバラを好きだといいのだが」
「バラは一番好きな花です、私も母様も。北方砦には地熱を使った温室があって、母様が王都から持ってきた白いバラを育てているんですよ」
―――花を贈るといったら普通花束なんじゃない?何で鉢植えなのよ、重いじゃない。
―――その何倍も重い槍をぶんぶん振り回すお前が何を言う。
文句をいいつつも嬉しそうに花を受けとってくれたアイシャ。
目の前の少女は容貌こそ自分に似ているが、ふと見せる表情はアイシャにそっくりだとレオネルは思った。
「アイシャは植物を育てる才よりも枯らす才があったが」
レオネルの口から自然と出た母の名前にエレーナは驚いた。
まるで口に出すのが禁忌のように、頑なに母の名前を呼ばなかったレオネルの心境の変化をエレーナは測りかねた。
「エレーナ嬢」
レオネルがイスをひき、これが淑女向けの教本に載っていたエスコートなのだとエレーナはやや緊張気味にイスに座る。
「このお菓子は?」
「オジサマは甘いものが嫌いだからと仰っていました」
甘いものが嫌いだとしてもわざわざこのクラッカーを用意することはない。
これがマックスの応援なのだとレオネルは友に感謝する。
「十七になるまでケーキ屋には足を踏み入れたことがなかった。騎士になったときの初任給でアイシャにここでケーキを奢ったのが最初だ」
「ショートケーキが母様は一番好きです」
「神に捧げる芸術品といって、あの日三個ショートケーキを奢らされた。安月給の身にはなかなか厳しい出費だったな」
メニュー表の値段を思い出したエレーナは苦笑する。
「母様、ときどき『ショートケーキが食べたい』って叫ぶんです」
「それはまた迷惑な。北部は酪農が盛んだが、ケーキ屋となると北部辺境伯領まで南下しなければないだろう」
「そうなんです。ちょっと買い物という距離ではないのに、『買ってくる』といって竜にのって……嬉しそうにぐちゃぐちゃなケーキを持って帰ってくるんです」
「まあ、味は変わらないから」
―――味は変わらないからいいじゃない。
そう言って二人でケーキにフォークを突き刺して、スポンジとクリームをすくうように食べたことをエレーナは思い出す。
鼻の奥がツンッと痛んだ。
(このひとにもぐちゃぐちゃのケーキの思い出があるのかしら)
ほんの少し遠くを見るレオネルの瞳に、エレーナはそんなことを思う。
「オジサマ」
「ん?」
「……オジサマ」
「なんだ?」
少し笑いを含んだ声で応えるレオネルの優しい表情がエレーナの視界でゆらりと歪む。
「どうして?」
「……」
「どうして分かっているのに何も言わないのですか?」
「どうしてだろうな」
茶化しているのか。
カッとなったエレーナは目をぎゅっとつぶって涙を絞り出し、レオネルを睨んで動きを止める。
「図々し過ぎるだろう?」
後悔のにじんだレオネルの顔にエレーナは何も言えなくなる。
そんなエレーナに気づいて、レオネルは短く息を吐いてからニッコリ笑う。
「なにを都合のいいことを言っているんだとアイシャに怒られるのはイヤだから。怒ると怖いからな、あいつは」
レオネルの気遣いをエレーナは受け取る。
「母様が怒っていると空気が震えるというか、静かに名前を呼ばれるだけで背中がピッと伸びるんですよね」
「身に覚えがあるなあ」
その様子が容易に想像ついて、レオネルの口元が自然と緩む。
「アイシャは短気で、怒ると直ぐに拳や槍が出てくるんだ」
「槍は命がけですね」
「槍ならいいんだ。たまに本気で怒らせるとさ、しずーかに怒るんだ。謝らなきゃマズイと思うのに、あいつときたら泣いているのに謝らせてくれなくて……毎回毎回後悔するんだ。三十半ばになるのに呆れるほどに進歩がない」
「私は母様が泣いているのを見たことがありません。正確には、母様は私の前では絶対に泣かないんです……プリンを食べたときは涙目になるけれど」
「プリンは二番目の好物だからな。アイシャが大好きだったプリンの店が一昨年閉店したんだが、ショックだろうな」
「それはショックですね」とエレーナは笑う。
「母様はこっそり泣くんです。夜にこっそり、一人で温室で。決まって泣く場所は温室で……明かりもつけずに泣いているんです」
温室で泣く母をエレーナが見たのは偶然だった。
月の光に照らされた白いバラだけが光る空間で泣く母は美しかったが、悲しみに満ちていて、でも母の子どもである自分には何もできなくって。
エレーナにできるのは知らなかったことにして、母の泣ける場所を守ることだけだった。
「ごめんな」
「なんで私に?」
「……」
「……私に謝られても困ります。謝罪することがあるなら母様に……母様に、直接……直接……」
エレーナは自分の語尾が震え、次の言葉が出ずに唇をキュッと噛む。
そして俯いて表情を隠す。
「うん」
至近距離から聞こえた声に驚いて顔を上げると、頭をポンポンと叩かれる。
母親よりも大きな手の感触にエレーナの心の琴線が揺れる。
「俺はアイシャに謝りたい」
「オジサマ……」
エレーナの手が自分の袖をつまみ、少しだけ心を赦してくれたエレーナの行動にレオネルは一層緩んだ口元を引き締める。
「アイシャに何があった?ケガか病気か?」
「……分かりません」
「分からない?」
レオネルの問いに頷いたエレーナの目から涙がこぼれる。
「母様、いなくなっちゃったんです」
エレーナの言葉にレオネルの視界が真っ暗になりかけたが、母親を探すためにここまできたエレーナを安心させるために無理矢理笑った。
「いい年して迷子か。どこそこに行くとか言い残さなかったのか?」
「何も。母様は一番近い村にいくときも一声かけてくれるので、おそらく砦周辺にいると思うのですが」
砦周辺にいるにもかかわらず帰ってこられない理由。
一番高い可能性を考えないようにレオネルは精一杯笑う。
マクシミリアンから、エレーナから回復薬の入手を頼まれたことを聞いた。
回復薬は死者には効かない。
つまりエレーナはアイシャのことを諦めていない。
「オジサマ、北部に来ていただけませんか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます