第16話 宝物であり、救いでもある

「東のオジサマ、『ミシュアの樹』に連れていっていただけませんか?」

「ミシュアの樹って、あのケーキの?」


 エレーナからお願いがあると聞いてきてみたら、お願いの内容は貴族街の近くにある王都で人気のケーキ屋さんに行きたいというものだった。


「母が東のオジサマは甘いものがお好きだと言っていました」

「まあ、好きだけれど」

「王妃様から季節のフルーツタルトの話を聞いたら食べたくなりまして」


 城のパティシエにリクエストしたらどうかと思ったが、わざわざ『ミシュアの樹』を指定したのには何かあると思った。


 なにしろ『ミシュアの樹』はアイシャのお気に入りのお店で、


「構わないけれど、俺でいいの?」


 アイシャとレオネルの思い出深い店だとマクシミリアンは知っていた。

 だから遠回しにレオネルを誘わなくていいのかと訊ねたのだが、


「デートと殿方と二人でいくものでしょう?」

「デート!?」


 エレーナの無邪気な笑みとは対照にマクシミリアンは顔を青くする。


(冗談でも『デート』とかやめて!今日が俺の命日になっちゃう、レオなら火葬場の予約は要らないだろうけど)


 人間は火葬場の予約が取れてから死ぬわけではない。

 そのくらいマクシミリアンは動揺していた。



「デートはさすがに……ほら、こんなオッサンと」


 普段は絶対にオジサンと認めないが、ここはそれで逃げを打つ。


「オジサマの見た目は二十代半ば、十歳差くらいは普通なのでは?」


 私と母も仲の良い友だちか姉妹と言われたのですよ。

 そう言われて最後に会ったときのアイシャを思い出し、目の前のエレーナと比べて納得しかけたが、


「オジサマが私の初めての彼氏になるんですね」

「そんなパワーワードを無邪気に並べるのはやめて!」


(確かにエレーナ嬢は可愛いし、俺は女の子が大好きだ。でも親友の娘は『女の子』ではない、断じてない!)




(なんでこんなことに)


 ショーケースを楽しそうにのぞき込み「美味しそう」と微笑むエレーナに苦笑いを返しつつ、店内の客たちがこちらを見ながらヒソヒソと話す姿にため息を吐きたくなる。


 王都の話題を独り占めしているエレーナ。

 彼女の外出は目立つので個室を利用するつもりだったが、「早くいきましょ」とエレーナに急かされて事前に手配できずにこうして店舗入口で準備を待つことになった。


(親戚のようなオジサンの立場を維持しなければ俺に明日は来ない)


 自分たちの名前にデートという単語が並んだらレオネルがブチ切れるだろう。

 マクシミリアンはふるりと震えた。


(しかし)


「そうやってケーキをきらきらした目で見る姿はアイシャに似ているな」

「あまり母に似ていないので、そう言われると嬉しいです」


 ようやく個室に案内されたマクシミリアンはメニューをエレーナに渡す。


「いくつでも好きなだけ注文していいぞ」

「ここからここまでって言っちゃいますよ」


 上から下までざーっとなぞるエレーナにマクシミリアンは笑う。


「アイシャに似てよく食うな」

「母様、あ、母に「太るわよ」ってよく言われています」


「それ、俺たちがよくアイシャに言ったな」

「わ、オジサマたち勇気がある」


「アイシャは訓練で消費するからいいのっていつも言ったんだ。でも将軍の訓練って基本的に将軍同士の組み合わせでさ、俺とヒョードルはボロボロ。最後にアイシャはレオと日が暮れるまでやり合って」


 懐かしいな、とマクシミリアンは笑う。


「オジサマ」

「ん?」

「これを覚えていらっしゃいますか?」


 エレーナが小さな鞄から出したのは青色の小瓶。


「神殿で売っている回復薬だな」

「とてつもなく高額で、売る相手も選んでいる希少なものですよね。北方将軍の名を出しても購入を断れるほどの」


 北部は資源が豊かだし、その北部を一人で守るアイシャの資産は少なくない。

 だから問題は「売る相手として認められていない」ということ。


「孤児には過ぎたる品ということなのでしょうね」

「十五年経っても神殿の奴らはまだそんなこと」


「いまの神殿長はオジサマの母方のご親戚ですよね?」

「恥ずかしい……本当に俺の身内が申しわけない」


 神は万人に平等といって国民からお布施を集める神殿の実態は選民意識の高い貴族の集まりだった。


「オジサマはそれを分かっていたから、北部に行く母様にこれをくださったのではありませんか?」


 アイシャとレオネルの裁判の終わりは後味の悪いものだった。

 それまでアイシャは周囲の証言に毅然としていたが、子どもは流れたという医師の診断の後は公に姿を現すことなく裁判はアイシャの負けで終わった。


―――困ったらいつでも言ってくれ。


 北部に発つアイシャにマクシミリアンはそう声をかけた。

 裁判では友を裏切ったとアイシャを責め立てたくせに、そんなことを言う自分は偽善者だとマクシミリアンは思った。


―――ええ、分かったわ。


 俯いたアイシャの感情のこもらない返答。

 アイシャが自分たちを呼ぶことはないと理解して、なんとなくそれを予想していたから、マクシミリアンは用意していた回復薬を三本アイシャに押し付けるように渡した。

 

「私が助かったのはこの回復薬のおかげだそうです。裁判が終わったあとも痛みが止まらず、ダメもとで飲んだら痛みが引いて胎動を感じたと。そのあともう一回流産の危険があって飲んで、これは最後の一本です。医者の少ない北部で暮らす私に母がお守りといって持たせています」


「役に立ってよかった……本当によかった」


 経緯はさておき腹の子がアイシャにとって大事な存在だということは明らかだった。

 その子どもがレオネルとの子だと分かったいま、あのときのアイシャがどれほど絶望したのかと思うとマクシミリアンには後悔しかなかった。


―――孤児だから家族には憧れるんだよね。旦那は要らないから子どもは欲しい。


 訓練中の何気ない雑談。

 それを聞いて「レオネルが聞いたら泣くな」と苦笑したことをいまでも覚えている。



「オジサマ、回復薬を用意してもらえませんか?」

「わざわざそう言うってことは、一本や二本ということではないんだな」


「はい」

「そのための大量の魔石か。回復薬の生成には大量の魔石が必要で、神官の出し惜しみという点を除いても回復薬が高額になってしまう理由だからな」


「お願いできますか?」

「分かった。マーウッド伯爵家の名に懸けて回復薬を用意しよう」


 伯父である神殿長は渋ることは容易に想像がついた。

 しかし妹であるマクシミリアンの母が国内で人気の高い北方将軍アイシャを卑劣な罠にはめたと露見すれば彼も、そして神殿もただではすまない。



「ケーキがきたな、さあ食べるか」

「……」

「どうした?」

「いえ……意外とあっさり交渉がすんだと思いました」


 マクシミリアンおよびマーウッド伯爵家の逃げ道を塞いだ上での交渉だったのに、上手くいったことに戸惑うエレーナにマクシミリアンは小さく笑う。


(そうだよな、まだ十代の女の子なんだよな)


 裏に誰のどんな思惑があるにしろ、エレーナはまだ十代半ば。

 社交界にも足を踏み入れたことがない少女が王妃を相手にし、王都一の勢力を誇るガルーダ商会を破綻寸前まで追い込んでいる。



「美味しい」


 そう言って表情を緩めたエレーナからは大人びた表情が消え、年相応の可愛らしさが垣間見える。


 明らかに気が抜けた様子に、エレーナには終わりが粗方見えてきたのではないかとマクシミリアンは思った。


(アイシャに会う準備が整っていないと言っていたな)


 準備が整う。

 つまりアイシャにもうすぐ会えるかもしれない。


 マクシミリアンの心が沸きたつ。


 アイシャに恋をしているわけではない。

 ただこの十五年間ずっと欠けていたものが戻ってくる感覚に、ずっと不安定だった自分の土台がある程度安定するような気がした。



(十五年、完全に元通りにするのは無理だろうし、これは余計なおせっかいだろう)


「本当にひとつでいいのか?」

「オジサマ、ここのケーキひとつで私のお小遣い二月分なんですよ」


 声を潜めたエレーナの言葉にマクシミリアンはくすっと笑い、机の上のベルを鳴らして店員を呼ぶ。

 すると来たのは『ミシュアの樹』のパティシエで店主のロシェだった。


「久しぶりだな、ロシェ」

「お久しぶりです、マクシミリアン様。話題のご令嬢を店にお連れしてくださるとは」


「アイシャの娘だ。そこでこの一番上から一番下まで、全てひとつずつ、持ち帰りで」

「お、オジサマ!?こんなお高いケーキを七、いえ八個なんて……うひゃあ」


 年相応の反応を見せたマクシミリアンは店主と笑みを交わし合う。


「安心しろ、俺は高給取りの独身貴族だ。ケーキの大人買いで痛む懐はしていない」

「大人買い、これが大人買い」


「店主、追加で」

「え、まだ追加ですか?」


 驚くエレーナにマクシミリアンはにっこり笑う。


「例のクラッカーとショートケーキをひとつ、別の箱にいれてくれ」

「これはまた久しぶりの注文に腕がなりますな」

「おいおい、素人が作った簡単な酒の肴づくりに貴重な腕をふるわないでくれよ」


 「酒の肴?」とエレーナが首を傾げるから、


「奥様とケンカするといつもご来店くださる方がいたんです」

「……いた」


「お買いになるのは決まってショートケーキをひとつ、奥様の好物でご機嫌をとるのだとか。ご本人は甘いものがお嫌いで、店内のニオイにさえ眉をしかめているのに……週に二回は必ず来ましたね」


 「ケンカ多い」と呆れるエレーナに二人は笑う。


「そんな甘いものが嫌いな夫のために、妻はクラッカーをウイスキーで焼くだけの簡単なツマミを用意する。そうして毎回仲直りしていたんだ」


「妻の作るクラッカーは世界一とあまりに褒めるのだから、どれほど美味しいかと思って奥様本人にレシピを聞いて作ってみたんですよ。驚くほど簡単にできて、驚くほど普通の塩味が効いただけのクラッカー」


「それでもソイツにとっては何よりも美味いものだったんだろうよ」

「それって」


 エレーナにマクシミリアンは優しく笑う。



「エレーナ嬢。アイシャに何があったのか、あいつに話してやってくれないか」

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