第15話 愚かは薬じゃ治らない

注)暴力的なシーン(拷問)があります。



 王都にあるウィンスロープ公爵邸の正面玄関の前でレオネルは馬から下りると、軽鎧を身につけた騎士数人が走り寄ッて手綱や外套をレオネルから受け取る。


「閣下」


 胸に手を当てて敬礼する騎士にレオネルは目線で『行くぞ』と合図を送り、レオネルを先頭に騎士たちが続く。


「ルネ、奴は何か歌ったか?」


 レオネルは先ほど拝礼した騎士に訊ねる。

 武官というよりも文官の風情のあるルネはレオネルの部下の一人で、南方砦の雑事を一手にこなす優秀な書記官だった。


 万が一に備えて周りと同じ鎧を身につけているが、軽鎧でも鎧に着られているといった感じが拭えない。



「いいえ」

「尋問はサイスがやっているんだよな」


「はい。騎士でもないのにとみな驚いています」

「腐っても医者ということか。何か薬を仕込んでいたのかもしれないな」


 レオネルは屋敷には入らず、建物を迂回する形で裏庭に行く。

 裏庭はさながら軍隊の野営地と化していて、正面から見た煌びやかな貴族に相応しい屋敷の佇まいとのギャップがすごい。


 レオネルの登場に騎士たちが沸く。

 アイグナルドと共に南部を守る将軍で公爵という高い地位にありながら、庶民の騎士との距離が近いレオネルは部下たちに人気があった。


「ルネ、不便はないか?」

「全くありませんよ。酒も食い物も困らないどころか全て高級品。参加者全員こんな快適な野営は初めてだと、当たりくじだと砦待機の者たちに自慢の手紙を送っているほどです」


「それならいい、まだしばらく待機となる。公爵邸の食糧庫も年代物のワイン樽も空にして構わないと通達してくれ」


 そう言って憎々し気に公爵邸を見るレオネルにルネは黙って頭を下げる。

 十数秒後、「行くぞ」といってレオネルが歩き出すまでルネは頭を下げ続けていた。



 二人が向かったのは公爵邸の北の端にある古びた小屋だった。

 窓もない物置のような小屋には不似合いの頑丈な造りの鍵を開けて扉を開けると、中央には大きな穴があり、地階に下りる階段だけがある。


「ずいぶんと賑やかだな」

「三日前に比べればマシです。あの女性が最後の挨拶にきたあとは騎士数名の耳がおかしくなりましたから」


 サルビアが王都を出た原因は社交界の噂などではなかった。

 そんな繊細な神経が実母に無いことが分かっていたレオネルは、顔色一つ変えずに彼女に剣を向けて王都から追い出した。


―――飛ぶ鳥あとを濁さずというでしょう、最期のご挨拶を。


 追い出す前、ここに彼女を連れてきてそう言い放ったレオネルを思い出したルネは表情を厳しくする。



「夫人の助けがないことを理解したのでしょう、あのご挨拶以降は素直に歌う者が続出しました。ここもずいぶんと寂しくなりましたよ」


 囚人を囲っているのも費用がかかる。

 証言によって「この程度の罪を裁いていたら日が暮れる」とレオネルが判断した者たちは罰金を支払わせ、この件について他言しないことを約束させて解放している。



「しかし、あの者たちの誓いを信じるのですか?」

「まさか。このことを他言されても別に痛くもかゆくもないけど、罰金だけで釈放するのは悔しいから脅しただけだ。ここにいるのは氏刑で裁ける者だけだから当主権限で捕らえるのは罪じゃないし、この世論の中で被害者だと騒いでも逆に叩かれるだけだ」


「彼らから徴収した金は全て、アイシャ様がいらっしゃった孤児院に匿名で寄附しました。十数人いる先生のうち二名がアイシャ様をご存知でしたよ」


 その報告にレオネルの胸に満足感が広がったが、


「閣下!」


 思考に割り込んだ女の声に不快感がせり上がる。


 ガシャガシャと鉄格子を揺らす音に不快感を隠さずレオネルとルネが顔を向ける。

 牢の中では薄汚れたお仕着せを着た女が媚びた表情をレオネルに向けていた。


「閣下、なぜ私を出してくれないのですか?アイシャ様が男と出かけたと証言した侍女は罰金ですまされたではありませんか。花宿での逢引きに協力させられたと証言した馬丁だって」


「お前は奴ら以上に罪深いからだ」


「勘違いしたことが罪ですか?アイシャ様の月経日を間違えて覚えていただけです、それがそんなに罪深いのですか?」


「女主人の専属侍女にとって月経日の記録は義務だ。お前が書いた本物の記録を手に入れた。仮に勘違いだとしたら、なぜ偽物の記録を用意した?」


 レオネルの問いに女が黙り込むと、ルネが一歩前に出て女に対してニッコリと微笑む。


「本物の記録は数年前に手癖の悪さで解雇された洗濯係の下女が持っていましたよ。あなた、あの記録をたてに彼女に脅されていたのですってね。貧民層に堕ちた女ははした金であなたを売りましたよ。金払いが悪いからあなたを裏切るそうです、せいせいするほどのクズですね」


「私は貴族です!貧民の女や、そこの庶民上がりの男よりも私のほうがよほど閣下の役に立ちますわ。愛していますわ!私こそが公爵夫人に相応しいですわ!」


 気が狂ったように笑い出す女にレオネルはため息を吐き、女に背を向けて奥へと向かう。


「モテますね、閣下」

「俺も父も昔から気ちがいに好かれる運命らしい。帰りに騒がれるのはイヤだから薬で眠らせておけ」



 ***



「静かだな」


 牢の最奥にある他とは隔離された小部屋に入ったレオネルは、部屋の中にいた騎士に目を向ける。


「サイス、気絶しているのか?痛みに強いようだと報告を受けていたが」

「昨日から少しずつ態度に変化がでておりましたが、劇的に変化したのはつい先ほどです。痛いのはイヤだと叫び、私に対して怯えを見せております」


「薬がきれたか」

「おそらく。いま起こしますので、しばしお待ちを」


 サイスは傍にあった火鉢の中の鉄の棒を手に取る。

 そして壁にはりつけにしていた初老の男の裸の上半身に強く押し当てる。


「ぎゃああああああああっ」


 つんざくような悲鳴が肌が焦げるイヤな音を消したが、不快なにおいは消せずにレオネルは反射的に眉間に皴をよせる。


「お目覚めですか?」

「う、うぅ……よ、よせ……もう、やめて……くれぇ」


 恥も外聞もなく涎を垂らしながら泣きわめく男、公爵家のお抱えの医者であるロンダールにサイスは首を傾げる。


「後ろめたいことは何もないから痛みを感じないのでは?」

「そ、それは……」

「私の持ちうる技術を駆使しても痛みを訴えないあなたを見て、あなたの仰る通り貴族の青い血とはすばらしいものだと思いましたよ」


 くすくすとサイスが笑うとロンダールの顔が青くなる。


「私のような薄汚れた血の庶民とは話したくないのですよね。それは閣下とお話をしたいということだと私は判断しました」

「ち、違う」


 剣ひとつを携えて公爵邸を血で染めあげたレオネル。

 顔色一つ変えずに逃走防止といって両脚の腱を切ったレオネルを思い出してロンダールは首を横に振る。


「呼ばれてきたのに、つれないではないか」

「ひっ」


 ずっとサイスと二人きりだったため、自分たち以外に二人の男がいることに漸くロンダールは気づき、その一人がレオネルだと分かると悲鳴をあげた。


「ぼ、坊ちゃま」

「『坊ちゃま』ねえ。そうだな、お前には小さい頃から世話になったな」


 昔を懐かしむようなレオネルの言葉に、ロンダールの顔に喜色が浮かぶ。

 そんなローンダールにレオネルは近づき、手かせのはまった左手の指に触れる。


「母というあの女を諫めて俺を守ってくれたお前を俺は信じていた。あの子が俺の前に現れる瞬間まで、俺はお前のことを疑いもしなかった。知りたいことはひとつだ」


 レオネルはロンダールの左手の指を握る手に力を込める。


「俺を失望させるなよ」


 レオネルは力任せにロンダールの左の指を折る。

 悲鳴をあげて痛みにのたうち回るロンダールをはりつける鎖が揺れて音をたてる。


 ガチャガチャという音が先ほどの元侍女が揺らした鉄格子の音と重なる。



 アイシャの腹の子の父親を巡って泥沼になっていた裁判に終わりが見えた頃。

 証言台に立っていたアイシャが痛みを訴えて気を失った。


 直ぐに休廷したヴィクトルは近衛に命じてアイシャを裁判所の休憩室に運び、医者のロンダールに診察させた。


―――出血だ、流産したんじゃないか?

―――不義の子だ、丁度いいじゃないか。


 周囲のざわつく声を聞きながら、レオネルはアイシャが点々と残した血の痕をぼんやりと見ていた。



「裁判所で出血して倒れたアイシャを診たのはお前とアイシャ付きの侍女だった」

「は……はひ……ひっ」


 レオネルが違う指を握ると、ロンダールは短く悲鳴を上げる。


「あのとき子が流れたと言ったのは誰の指示だ?」

「いたっ」


 当時を思い出したレオネルが無意識に込めた力にロンダールは痛みを訴えた。

 しかしそれをレオネルの本気を感じさせた。


「あれは誰の指示でもありません!アイシャ様の出血量はおびただしく、あの状態では私でなくても医師ならば『流産』と判断したでしょう」


「それならなぜ子は無事に生まれた?」


 エレーナが存在する時点で流産の診断が間違っていたことは確かだ。

 だからレオネルはロンダールが誰かの指示で嘘の診断をしたのだと思っていたが、


「そんなことなど分かるわけないだろう!」


 突然ロンダールは気が狂ったように笑い始めた。

 長く拷問されたことと体を蝕む痛みで気が触れたのだ。


「あの女が化け物なんだ!あの化け物さえいなければ、なんで今さらっ、ぎゃああっ!」


 ロンダールの悲鳴に眉ひとつ動かさずにサイスは鉄の棒の床に投げ捨て、痛みに嗚咽するロンダールの顔をルネが殴りつける。


「「お前がアイシャ様を語るな」」


「ルネ、サイス」

「指示がないのに申しわけありません……でも、アイシャ様を悪く言うことは許せません」


「だからといって慣れないことをするな。ペンが持てなくなったら俺が困る」


 レオネルの言葉にルネの目に涙が盛り上がる。

 そんなルネの肩にサイスが手を置く。


「村のいじめられっ子が慣れないことをするもんじゃありませんよ」

「うるさい、サイス!ついでに言うけど、その気持ち悪い口調をやめろ!」


 ルネは北部の小さな閑村の出身だ。

 いまその村はない、十五年ほど前に魔物に襲撃されて村は焼けて姿を消した。


「八つ当たりはやめて欲しいな」

「八つ当たりくらいさせろ。だって、十五年前だぞ。俺の村が襲われたときアイシャ様のお腹には……あれは裁判のすぐあとだ、流産しかかっていたっていうのに」


 十五人もいない小さな村だ。

 臨月での流産は自分の命も危うくなる、その十五人を見捨てても誰も文句は言わない。


 アイシャが生きていれば何百、何千という命がこれから救われる。

 北部は魔物の出没率が高く、治政が安定しないせいで治安が悪く盗賊かぶれの蛮族が村を襲うことも多い。


 

「分かってるよ」


 サイスが幼い子どもを相手にするようにルネの髪をグシャグシャにする。

 ともすれば自分も泣きそうだったからだ。


 村が魔物に襲われる十年前にサイスは村を出ていった。

 生意気な世間知らずは成功を夢見て王都に行ったが、後ろ盾となる縁もないサイスは気づけば下町を牛耳る反社会組織の一員になっていた。


 相手が金持ちと知れば直ぐに脚を開く女。

 食い扶持減らしに子どもを売る親。


 社会の汚さに純朴なサイスの心は悲鳴をあげたが、時が経つと慣れて何も感じなくなり、アイシャの裁判は下町でも話題になったが「あんな美人がもったいない」と哂うだけだった。


 村が襲われたのをサイスに教えたのは「息子がいるから」と言って北部辺境伯家の騎士に護衛されて王都にきた母親だった。


 久しぶりの再会と魔物に襲われたショックで母親は最初は何も言わなかったが、数日するとその逞しい肝っ玉母ちゃん気質を取り戻して鉄拳制裁と共にサイスに足を洗わせた。


―――あんたがまともになれたのはアイシャ様のおかげ。


 母親の不思議理論でサイスは北部辺境伯家に行き、辺境伯経由で北方砦の兵になりたいと志願したのだが「採用していません」という簡単な返事で不採用になった。


 そして手紙の一番下にあった「腕に覚えがあるなら南方砦をおすすめします」とアイシャの言葉に従って南方砦に向かった。

 そこでルネに再会し、ルネも同じ経由で南方砦に来ていた。


(当時南方砦は砂漠の蛮族の襲撃の対応に追われていた。あの人は自分が救いに行けないから、せめてと俺たちを南部に送ったのだろう)


 南方砦の兵士の多くは南部出身者だが、その他の地域の者は北部出身者が多い。

 その異様な偏りの背後にはアイシャがいた。



「二人とも頭を冷やしてこい」


 十五年前のことを思い出し、しゃがみこんで泣きたくなったサイスはすでにボロボロ泣いているルネの首根っこを掴んで部屋を出た。


 それを見送ったレオネルは天を仰いで呟く。



「あー、目の奥が痛え」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る