第14話 盛者必衰は理である

「そんな大量の魔石を、しかも激安価格で手に入れるとは」


 報告を聞いたヴィクトルは感心と驚きの混じった声をあげる。


「一体エレーナ嬢は何をしたんだ?」

「自分の父親ならば養育費と慰謝料を払えと言って」


「それで?」


「金額を算出するために十五年分の税務記録を確認すると仄めかした」

「さすがアイシャの娘。それで?それで手打ちということはないだろ?」


 ヴィクトルもアイシャの性格はよく分かっている。

 敵に対して慈悲も容赦もないのだ。


「魔石もその価格もガルーダ商会が勝手に申し出たことだ。税務記録の確認をやめて欲しいということだろうが、それを汲んでやる義務はないとさ」


 ヒョードル経由でガルーダ商会と前商会長カルゴの税務調査の依頼を受けたヴィクトルは苦笑する。


「慰謝料を請求するということか」

「アイシャとエレーナの当然の権利ですからね。養育費はさておき、慰謝料については詰んでいるんですよ」


 カルゴの証言が事実なら、母娘を放置した慰謝料を支払う必要がある。

 逆に嘘ならば、アイシャの名誉を損ねた慰謝料を支払わなければならない。


 慰謝する相手は国民に人気が高い北方将軍。

 どちらに転んでも相当高額な慰謝料が発生することは明らかだ。


 どっちも相手は将軍の一人、どう転んでも慰謝料地獄なのである。



「格安での魔石の提供が慰謝料にあたると主張される可能性は?」

「魔石は交渉によって購入したものだ。価格についてはエレーナが再考を三度促し、北方将軍のご令嬢のためならばとガルゴ殿が厚意で値引いた。慰謝料やそれにまつわる調査の取り下げは約束していない。これは僕とレオが証言できるし、録音記録もある」


「さすがアイシャの娘」


 ヒョードルのため息交じりの説明に、同席していたマクシミリアンは感心した。




 一カ月後。


 ガルゴが裁判を起こした。

 当時自分が会っていた女性は「北方将軍アイシャを名乗るニセモノ」で、自分は彼女に騙されていた被害者だと主張した。


 王都はエレーナの登場で盛り上がっている。

 当然、庶民も貴族も漏れなくこの裁判に注目した。


「騙されたのはガルゴ殿の問題で、ガルゴ殿によって北方将軍の名誉が穢されたことは間違いない。裁判記録にも残っているから慰謝料の撤回はしない……と裁判所で代理人が発言、か。その代理人が幻の公爵と言われるおじい様だから新聞各紙がにぎやかね」


 愚かだなとエレーナは思う。


 騒ぎを大きくしたことで慰謝料算出のために商会とカルゴ個人の税務記録が調査されると報じられ、多くの者はそれを聞いて「そうとう後ろ暗いことがある」と推測する。


 商売で最も大切なことは信用。

 この不用意な悪あがきでガルーダ商会の信用は急降下した。


「商会が傾こうと慰謝料はびた一文まけませんけれどね」


 新聞社から取材を求められたエレーナは涙ながらに母親の不遇を訴える。

 情に訴えるならオッサンの涙よりも乙女の涙。


 「もっと慰謝料を請求すべきだ」という声に従って、エレーナは涙を堪えながら慰謝料の増額を新聞記者たちを前に誓った。


「嘘を吐いたのだもの、責任を負うべきだわ。もっと早く、素直に償えばよかったのに」

「ひとつ嘘をつくとどんどん広がっていく見本だな」


 新聞を置いたレーヴェはエレーネに微笑む。


「これからは何もせずとも愚か者たちが勝手に自滅する。序幕は『トカゲの尻尾切り』だな」


 ウィンスロープ公爵家の主治医。

 そして裁判で手紙の鑑定を行った筆跡鑑定師。


 真っ先に切り落とされそうな二人はレオネルがすでに捕えて、どこかに囚われている。


 エレーナの存在は主治医の証言を嘘にする。

 だからエレーナが王妃に呼ばれた日に彼を捕まえた。


 そして先日、ガルゴが裁判を起こした日に筆跡鑑定師を捕まえた。

 ガルゴ本人が「女性はアイシャではない」と証言したことによって女がガルゴに送った手紙の筆跡鑑定結果がおかしくなるからだ。


 ひとつの悪あがきが矛盾を生み、矛盾が嘘つきたちを釣りあげる。



「捕まえたのはオジサマなので彼らは大人しく渡しますが、彼らはどうなるのです?裁判ですか?」

「奴らはウィンスロープ一門の家に連ねる者、おそらく氏刑となるだろうな」


 氏刑とは「氏族の刑」で、被害者も加害者も姻戚を含む身内の場合に筆頭家門の長がその罪を裁く裁判である。

 下位の家門が上位の家門に対してやらかしたときに執行されることが多い。


 刑罰は無期懲役でも斬首でも当主次第。

 しかし執行には細かい条件が決まっていて一門の生まれ以外の者は裁きにくい、特にレーヴェの妻であるサルビアは元王族であるため氏刑で裁くと後々面倒臭くなること必須。


「氏刑のほうが楽ではあるのだが」

「サルビア様やカレンデュラ様は母様を大勢の前で貶めたのです。人知れず裁かれるよりも、公に裁かれるべきですわ」


「高慢な二人は斬首刑でさくっとこの世とお別れしたほうが楽だったかもしれないな」



 数日前、王宮内の最も格式高い庭で王妃主催のお茶会が開かれた。


 最高位のお茶会に参加できるのは政治にも経済にも大きな影響を与える家のご夫人たち。

 彼女たちは王妃が「特別なお客様」と紹介したエレーナに驚いた。


 彼女たちは家に帰ると夫と実家の父にエレーナのことを語る。

 「アイシャ様の娘はウィンスロープ公爵閣下によく似ていた」、巷を騒がせる流言よりも実物を見た妻や娘の言葉は重みが違う。


 北方将軍の子どもではあり得ないと証言した主治医は?

 先日ウィンスロープ公爵が直々にとらえて、公爵邸の地下に捕えられているらしい。


 エレーナ嬢はガルーダ商会にいったんですって。


 ガルーダ商会は信用できるのか?

 ガルーダ商会と懇意にしたらウィンスロープ公爵の不興を買うのでは?


 十五年前の嘘は真実で、真実は嘘。

 どんでん返しに彼らはワクワクする。


 夜が明け、彼らが己の利になる真実を探すために動き出すタイミングで王妃レアは王城に勤める侍女たちに訊ねる。



―――昨日のお茶会で聞いたのだけれど、公爵家の主治医を買収したのはサルビア夫人だったらしいわ。いくらお嫁さんが気に入らないからって酷いわよね。


 王城に勤めて、王妃の傍にいる侍女たちは全員が貴族の娘。

 自分が政略結婚する可能性が高い彼女たちは嫁姑が不仲の話題にとても敏感だ。


 買収の証拠がなくてもエレーナの存在によって嘘は真実にひっくり返っている。

 それっぽい理由をつければ証拠がない「らしい」の話も真実になる。



―――それに筆跡鑑定師はミゲル子爵のご友人らしいって話よ。閣下と離縁したカレンデュラ夫人が直ぐに子爵夫人におさまったときは驚いたけれど、そういうご縁なのかしらね。


 二度の離婚歴があってもレオネルは社交界で人気が高い。

 特に管理職クラスの侍女たちはレオネルがアイシャと離縁したあとに彼の再婚相手を夢見た者が多く、その座についたカレンデュラを面白くないと思っていた。


 僻み嫉みは噂を過激化させる絶好のスパイスだ。


 嘘でまみれた言葉でも真実がひとつ混ざると本当のように聞こえる。

 噂は背びれをつけて社交界を悠々と泳ぎ、尾びれ・胸びれをつけて元の形がどんどん分からなくする。



 貴族たちは分かっている。

 自分たちも十五年前にアイシャを不当に責め立てた罪人であると。


―――北方将軍閣下は十五年もお一人で北部を守られた清廉な方。公爵閣下の子だと思っていましたわ。


 だから彼らはアイシャを褒めたたえる。

 自分は信じていたとアピールし、エレーナたちの復讐の鎌から逃れようと躍起になる。


 一番効果的な策は彼らに得物を与えることだ。



―――サルビア夫人は王女時代からご自分の欲望に忠実ですもの。気に入らない相手はそれはもうひどい目に。聞いた話ですが、前公爵閣下に色目を使ったとあるご令嬢を殺害したとか。

 

―――カレンデュラ夫人はご自分の立場が悪くなると直ぐに前妻の不貞を話題にしましたが、夫以外の方との口憚れる行為ならばあの方だってねえ。



 『お友だち』としてサルビアやカレンデュラを阿っていた夫人たちは必死だった。


 彼女たちのおかげで甘い蜜を吸っていた。

 いつか誰かが噂の中で自分の名前を出すかもしれない。


―――昔からあの方が嫌いでしたわ。元王女様でしたし、夫の事業の都合でお付き合いがあったので仕方なくいろいろご一緒しましたが、大変な苦痛でしたわ。


―――私もカレンデュラ夫人が嫌いでしたわ。夫人は学生の頃から高慢で、侯爵令嬢という身分をかさに着て好き放題。ここだけのお話ですが、殿方との逢引きの見張りをさせられたこともありますの。


 仕事の都合で仕方がなかった。

 自分は彼女の下僕のようなものだった。



「ミゲル子爵が夫人と離縁したそうだ」

「カレンデュラ夫人も尻尾というわけですね。サルビア夫人のほうはなかなかしぶといというか」


 もともと嫌われてはいたがサルビアはそれを知らない。

 父親である先々代国王に溺愛され、元王女で公爵夫人という身分が彼女に勘違いされた。


 だから正面から「嫌い」と言われたことはショックだった。

 しかも仲のいいお友だちだと思っていた夫人たちから「嫌い」と言われたのだ。


 自分に都合のいいことしか聞いてこなかったサルビアは打たれ弱かった。

 彼女は傷心を理由に領地に引きこもろうと王都を発ってウィンスロープ公爵領に向かったが、無人の領主館を前に愕然とすることになる。


―――あの女の辞書には事前に連絡という言葉はないからな。


 レーヴェの助言を受けてレオネルは領地返還に必要な書類を整え、領政の機能を全て領都を治める市長と領官たちに委ねて領主館を無人にしておき、サルビアが王都の公爵邸を出ると同時にヴィクトルに提出して領主館を国のものにした。


 国のものとなった領主館に国王の許しなく入ることなどできず、サルビアは異母兄である先代国王を頼って離宮に逃げ込んだ。



「先代国王は事なかれ主義だし、離宮はそれなりに広いからしばらくはあそこにいるだろう」

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