薄明りの独り言

大出春江

薄明りの独り言

 大学四年の冬。

 卒論の執筆をそこそこに終えた私は、指先を震わせながら自宅へと向かう。


 鍵を回し、扉を開く。


 すっかり忘れていた。

この時期には雪虫が多く飛ぶ。コートをそれなりにほろわなければ。

 そう思い着ていたコートを見てみると、表面に着いた白い粒はきらきらと輝き、指先で触れてみると、潰れることなく解けて消えてしまった。


 十一月の終わり。

 あれだけ鬱陶しく飛び回っていた雪虫は姿を消し、かわりに雪が降り始める。


 部屋に入り暖房をつける。

 帰り際に買ってきたコンビニ弁当を取り出し、レンジに押し込む。


 そこまですると疲れがどっと襲ってくる。

 明日は休みだからと酒でも飲もうと思い、缶酎ハイも買ってきた。

リングプルに爪を掛けた時、一つ思い出した。




「美味しいですか?」


 炬燵に潜り込み、私は問う。


「味が上手い、というわけではないね。でも、甘く染み込むようで、なによりも心を曝け出せる。……そんな感じだね」


 彼女はウイスキーを一口含む。


「あと数カ月、楽しみです」

「そう急がずとも私も酒も逃げないよ。——もっとも、君が飲める体質とは限らないわけだが」

「……実は、両親ともに、酒は飲まないんですよ」




 そんな会話を思い出した。

 レンジが鳴いて、我に返る。

 缶酎ハイを冷蔵庫にしまい、棚の端に飾っておいたウイスキーの瓶を手に取る。


 彼女が残したウイスキー。

 氷も割り材も入れない。

 そうして彼女が飲んでいたから、当然のように馴染んでしまった。


「酒は弱いと思ったんですがね、存外、飲めてしまうのだから驚きです」


 甘い香りで頭がスッと軽くなりため息をつく。


「そうだ、小説も書き終えたんですよ? まあ、駄作に違いないですが、書きたいことは全部書いたと思います。——あなたが書いたのならもっと上手くやるでしょうが、ご愛敬ということで」


 酒を飲むと独り言を呟く。

 自分自身、初めは寂しいからそんなことをしているのだと思った。


 しかし、違う。

 これは自己満足なのだ。


 寂しいだとかそんな感情ではない。

 どちらかといえば、瞑想だとか、そのような感覚に近い。


 言葉にして頭を整理する。

 誰に投げるわけでもない言葉を、思いを吐き出して。

 そうすることで自分自身の小ささを理解する。


「——卒業したら、内地に戻ります。墓参りに行く機会は減りますけど……でも、あなたは『それでいい』と、そういうのでしょうね——」


 いや、違う。


 ベッドを背にしてよしかかる。


「『それでいい』あなたは笑顔でそう返すだろうけど、やっぱり寂しいでしょうね」


 最近、頻繁に思うことがある。


 失ってからの方が、その内情を理解できる気がする。

 なんとも皮肉なことだ。

 だが、それはあくまでも想像の域を出ないものなのだから、どうしようもなく馬鹿らしく見える。


 そして、それさえも「馬鹿らしい」と笑い飛ばすのが私と貴女なのだろう。




 食事を済ませて酒も回り、包み込むような眠気に襲われる。


「寝ますかね」


 毛布にくるまり横になる。


 体の内側からウイスキーの甘い香りが昇ってくる。


 ぼんやりと影に溶け込む。

 目を閉じれば、貴女を思い出す。

 粉雪のような、太陽のような貴女が、今も変わらず微笑んでいる。

 それも纏めて影に溶け込む。

 影は僅かに白んで。

 私の心を救うのだろう。

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