後編
加納くんは、黙ったまま目をしばたたかせた。
枯木花さんは顔を赤く染めて――などということはなく、今にも倒れ込んでしまいそうな錯覚を受けるほど青白い顔で、言葉を絞り出した様子だった。
そんな枯木花さんを見て、残念ながら加納くんはとても「いたす」気持ちにはなれなかった。
明確に、性欲よりも、枯木花さんを心配する気持ちのほうに軍配が上がる。
「枯木花さん、体調悪いんじゃないの?」
「そんなことない……」
「いや、どう見ても顔が青白いし……」
枯木花さんはやはり頬を紅潮させることはなく、むしろどんどん血の気が引いて、顔が白くなっていっているような感じだった。
加納くんは今、目の前にいる枯木花さんが心配で、先ほど脳裏をよぎった、夢の中で見た彼女の艶姿の幻影はどこかへ飛んで行った。
「体を休めたほうが……」
加納くんはそう言って、枯木花さんの私室の奥に配置されたベッドへ視線をやる。
しかし枯木花さんはいつになく強情だった。
いつもであれば、加納くんを心配させないためか、無理をしたり強がったりはせずに、そう言われればベッドに寝そべりそうなものだったが、このときばかりは違った。
「じゃ、じゃあ……わたしじゃ駄目なのか……教えてください」
「……枯木花さん?」
加納くんは、枯木花さんが単に具合が悪そうなだけでなく、様子がおかしいことにもようやく気づいた。
「加納くん、最近様子がおかしいから……」
今にも倒れてしまいそうな顔をして、枯木花さんが言う。
「よくない夢」のせいで枯木花さんに対する態度が、少しぎこちなくなっていた自覚のある加納くんは、彼女の言葉にドキリと心臓を跳ねさせる。
図星を突かれた形となった加納くんは、一瞬だけ息を詰めた。
その、わずかな沈黙をどう解釈したのか、枯木花さんはますます具合の悪そうな表情になる。
「……別れたいんじゃないかなって――」
「――そんなことない!」
枯木花さんが言葉をすべて言い切る前に、加納くんはかぶせるようにして珍しく声を張った。
そして大きな声を出してしまって、すぐに後悔した。
これではまるで、後ろめたいことがあると自白しているような態度だ――と。
しかし加納くんにとっては、非常に、由々しき事態である。
取り乱さず、冷静さを保てと言われても、それ実行するのはたやすいことではない。
それでも加納くんはなんとか狼狽する気持ちを押し込んで、枯木花さんを見やった。
「どうして、そんな誤解を?」
加納くんは、自分が穏当な声を出せているか、自信がなかった。
それでもせいいっぱい、優しい顔をして枯木花さんを見る。
「なんか……態度が違うので……。上手く言葉にできないけど……」
枯木花さんは違和感を上手く言語化できないことに後ろめたさを感じている様子だった。
しかし枯木花さんのその直感は、正しい。
実際に加納くん自身も、枯木花さんにぎこちない態度を取っていた自覚があるのだから。
枯木花さんはしばらく目を泳がせたあと、やはり具合悪そうに「間違ってたら、ごめんなさい」と言った。
そんな枯木花さんを見て、加納くんは心を痛めた。
枯木花さんにいらぬ負担を強いてしまったと思ったのだ。
けれども、ぎこちない態度を取ってしまった理由を、どう説明すべきか、あるいは嘘をつくべきか、加納くんは悩んだ。
そして――
「枯木花さん……あの、軽蔑しないで聞いて欲しんだけど――」
加納くんは、枯木花さんに元凶たる「よくない夢」について、ふわっとした表現で話した。
枯木花さんは、加納くんの突拍子もない「夢」の話を呑み込むのに時間がかかったらしい。
加納くんはそのあいだ、戦々恐々としていた。
たかが夢、されど夢。
夢の中とは言えど枯木花さんに無体を働いたと知られるのは、正直に言えば怖かった。
幻滅まではいかずとも、多少呆れられることを覚悟の上で、加納くんは話した。
しかし、枯木花さんは
「……それは、もしかしたらわたしのせい、かも、しれないです……」
と、つい今しがた加納くんが話した夢の内容以上に、突飛なことを言い出したのだった。
今度は加納くんが、その話を呑み込むのに時間をかけなければならなかった。
「願いを叶えてくれる蔵」の話……。
そしてそこで枯木花さんが願ったこと――。
加納くんは頭から枯木花さんの話を信じたわけではなかったものの、あの連夜続く、執拗に同じ内容の「よくない夢」を思い出すと、そういったオカルトじみた理由もありえるかも、と少し思ってしまったのだった。
「わたしも、その、それが理由かはわからないけど、もしそうだったら、悪いのはわたしだから――」
「枯木花さんが悪いとは思ってないよ」
「そう言ってくれるなら……。いいんだけど……」
枯木花さんの顔色が多少よくなったのを見て、加納くんは安堵する。
しかし――お互いに恥ずかしいことを言ってしまった、という意識はある。
加納くんは「よくない夢」の中の枯木花さんを少しでも「かわいい」と思ってしまったことについては言っていなかったものの、夢を真に受けて真剣に悩んでいたことは事実。
そして枯木花さんは加納くんと「いたし」たいという願掛けをしたことを暴露した上に、直接加納くんにもそのような旨を言ってしまったのだ。
これは、ちょっと――いや、けっこう、恥ずかしかった。
「まあ、そういうわけで」
「はい……」
「別れたいとか、そういう願望はどこにもないから」
「うん……」
お互いぎこちない態度で向かい合う。
それでもここ一週間のあいだにあったわだかまりは、ちゃんと消えていた。
「その……『する』ことは前向きに考えたいけど、枯木花さんに無茶をさせたり負担にはさせたくない……っていうのはわかって欲しい」
「うん……」
うつむきがちになっていた枯木花さんの目が、加納くんへと向けられる。
「……すごく体調がいいときは、加納くんに言うね」
「うん……」
やはり小恥ずかしい気持ちにはさせられたものの、そこには多少なりとも喜びが伴った、くすぐったい恥ずかしさだった。
――後日。
加納くんは夢の中で正体不明のなにものかに謝られることになるのだが――それが、枯木花さんの話した「願いを叶えてくれる蔵」と関係しているのかまでは、結局最後までよくわからないのだった。
カノカレすれちがう やなぎ怜 @8nagi_0
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。