中編
***
近ごろの加納くんには悩みがある。
連夜、「よくない夢」を見ることに悩まされている。
夢は夢。しょせんは脳が作り出した幻でしかない――とは思うものの、もしかしたら自覚していない隠された心理が反映されているかもしれない、と加納くんは思いつめていた。
それというのも「よくない夢」の内容が本当によろしくないためである。
口が裂けてもだれにも言えない――。決して口を割らず、墓場まで持って行くような内容だと、加納くんは判断している。
加納くんを悩ませる、「よくない夢」の内容はシンプルに表現できる。
恋人である枯木花さんに強引に迫って、「いたす」という内容だ。
「いたす」というのは無論、性交渉のことを指している。
加納くんは初めてその夢を見たときには起きてから罪悪感でいっぱいになって、そんな夢を見た自分を恥じた。
困惑し、弱弱しく抵抗する枯木花さんの態度を無視しして、本懐を遂げる――などという真似は、彼女を心から愛して、その意思を尊重している加納くんには、できない。
たとえ途中から夢の中の枯木花さんが艶やかな喘ぎ声を出したとしても、「強引に迫った」という事実は加納くんにひどい罪悪感を覚えさせた。
夢の中の自分が、そんな枯木花さんをいっときでも「かわいい」と思ってしまったことも、より罪深いという意識に拍車をかける。
加納くんは、自分にはそんな願望はないと思っている。
間違っても「それ」は片方の意思を押しつけたり、理不尽に思いや欲求をぶつけるための行為ではない――というのが、加納くんの見解だった。
そういう認識だったからこそ、その夢は加納くんにとってショックだった。
そして自分にはそんな隠された欲求が存在するのかと、疑った。
現実の枯木花さんと、加納くんはまだ「いたして」いない。
付き合って三か月目に加納くんから枯木花さんに問うてキスを交わして、それ以上先には進んでいない。
加納くんももちろん、健全な男子高校生として恋人と「いたす」ことについては関心がある。
それでもキスより先へ進まないのには理由があった。
枯木花さんが虚弱すぎるのだ。
枯木花さんが疲労から熱を出すのはしょっちゅうで、登校しても具合が悪くなって早退することもしばしば。
そんな枯木花さんと「いたす」のは、加納くんにはためらわれた。
もちろん、いずれはしたいとは思っている。思っているが、枯木花さんに無理をさせたいわけではないのだ。
それに、急いで「する」ものでもないし――と、加納くんはどこか達観していた。
だからこそ、その「夢」は加納くんにとって衝撃的だった。
しかも連夜、見る。それはもう執拗に「見させられて」いる――という認識になるほど、加納くんは追い詰められていた。
加納くんは、枯木花さんを大切にしたいと思っているし、そうしていると思っている。
生まれつきの虚弱さを言い訳にしたりせず、なにごとにも一生懸命で、そうそう弱音を吐かない枯木花さんのそばにいて、彼女の支えのひとつになりたいというのが、加納くんの願いだった。
間違っても枯木花さんを泣かせたいとか、いじめたいとか、加害したいなどという欲求は――ない、はずだった。
しかし連夜、そのような夢を見た加納くんは、自らの意思に疑いを持ち始めた。
――本当は、強引にでも枯木花さんと思いを遂げたいを思っているのだろうか?
加納くんはひとり、勝手に追い詰められていた。
そして枯木花さんの無垢な――加納くんにはそう見えている――顔を見ると、なんとなく心の内側がざわついて、落ち着かない気分になった。
加納くんは、どちらかと言えば取り繕うことが上手い。
けれども、今までに感じたことのない罪悪感に振り回されて、枯木花さんには少しぎこちない態度を取ってしまった。
失敗したという自覚は、加納くんにもあった。
けれどもしかし、その態度の理由を枯木花さんに説明するわけにもいかない。
加納くんにも、人並みに「好きな女の子の前では格好をつけたいし、カッコイイと思われたい」という欲求があるのだ。
それにきっと、夢の内容を話しても枯木花さんを困惑させるだけだろうし、最悪、幻滅される恐れだってあった。
だから加納くんはすべての理由を黙っていることしたのだが――。
「加納くんはわたしのこと、どう思っていますか?」
枯木花さんの問いは、加納くんには唐突に聞こえた。
体調を崩して早退した枯木花さんを放課後に見舞った加納くんは、今、枯木花さんの私室で彼女とふたりきりの状態である。
再び顔を合わせたときは、早退したときより少しは顔色がよくなったと思ったが、今また枯木花さんの表情はすぐれないものに変わっている。
加納くんは思わず黙り込んで、それからその脳裏に「よくない夢」に出てくる枯木花さんの姿がよぎって、罪悪感でこの場から消え去りたくなった。
「どうって……好きだけど」
そんな気持ちを押し殺して、加納くんは完璧に微笑んで答える。
枯木花さんの問いの意図はわからなかったものの、なにやら彼女が思いつめた様子であることだけは、手に取るようにわかった。
「じゃあ、わたしと…………その…………『して』くれますか?」
長い長い間を置いて、枯木花さんは加納くんが心配になるほどの、喉からようやく絞り出したような、蚊の鳴くような声で、そう言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。