カノカレすれちがう
やなぎ怜
前編
恋人という間柄の同級生である
加納くんが枯木花さんを一途に思っていることは、ふたりを知る人間ならだれもがわかっていることだ。
けれども中には枯木花さんのポジションを押しやって、あるいは奪ってしまおうと邪心を抱く女の子もいた。
生まれつき体が弱くて学校も休みがち。いつも精彩を欠いた顔色の枯木花さんより、自分のほうが上等だと思って、加納くんにアプローチする女の子は……かつていた。
しかし加納くんはそういった女の子を、笑顔で切って捨てた。
「俺に好意を抱いてくれてありがとう。でも俺には枯木花さんがいるから」
はにかみつつも、アプローチしてきた女の子になびく気配は一切感じられない、一刀両断だった。
「それに……枯木花さんっていう彼女がいるのに、別れもしないうちから他のひとになびく俺のことを、あなたが好きになるとは思えないな」
バッサリと断りながらも、アプローチしてきた相手を慮ることも忘れない。
そういうところがあるから、加納くんは女の子にモテる。
けれども加納くんが一心に愛をそそぐ女の子は、ただひとり。枯木花さんだけなのである。
加納くんが枯木花さんを愛しているように、枯木花さんも加納くんを愛している。
思いやりがあって、優しく穏やかな加納くんだからこそ枯木花さんは好きになったのだが、一方加納くんのその性質は、枯木花さんの悩みの種でもあった。
かと言って、「女の子にモテないようにして!」などという要求は無茶苦茶だということを枯木花さんは理解している。
枯木花さんは、加納くんのだれにでも優しくできるところに惹かれたのだ。
たとえば生来からの虚弱がすぎて、クラスメイトに疎まれていた枯木花さんの面倒を率先して見てくれるところとか。
だから枯木花さんは懊悩する。
加納くんは決して博愛主義者ではない。恋愛対象として一番に愛しているのは枯木花さんだと、そこは譲らない。
けれどもやっぱり、枯木花さんはときどき加納くんの優しすぎるところが、不安になる。
加納くんを信頼していないわけではないけれど、頭で理解することと、心で受け入れることとはまた別なのだった。
その不安の根源には、枯木花さんの自分への自信のなさがある。
生まれつき虚弱で、間違っても頼りになるとは言えないスペック。枝のように瘦せ細った青白い四肢。それから貧乳。
だから、いつか優しい加納くんにすら見放されるのではないかという不安は、足元から伸びる影のようにつきまとう。
だから、枯木花さんは思い余って自宅の庭にある「願いを叶えてくれる蔵」の扉を開けた。
枯木花家は奇妙に開発を免れた土地の、武家屋敷風の邸宅に代々住んでいる。
そしてその「願いを叶えてくれる蔵」も代々、枯木花邸の敷地内にあるのだった。
「願いを叶えてくれる蔵」は、特に恐ろしげな曰くつきというわけでも、「開けてはならない」と言われているわけでもない。
流石に防犯のため、蔵の扉には南京錠をつけられていたが、その鍵は家人であれば普通に手にできる位置にいつもある。
「願いを叶えてくれるけど……」みたいな話も聞かない。
ではなぜだれもそんないわれのある蔵を開けないかと言えば、単にみんな、そんな与太話を信じていないだけであった。
実際、枯木花さんも眉唾物の話だと思っていた。
けれども人間、切羽詰まればどんな怪しい話も一度信じたくなってくる。
だから枯木花さんは、思い余って「願いを叶えてくれる蔵」の扉を開けた。
南京錠は半ばさびついていたので開けるのにひと苦労したし、油の切れた蝶つがいを動かすのにもたいそう汗をかいた。
もとより体力も腕力もなく、虚弱な枯木花さんは「願いを叶えてくれる蔵」の扉を開けただけで、もう半死半生、みたいな顔になってしまった。
大粒の汗をかいて、ぜえはあと肩で呼吸をする。
蔵の中はホコリっぽいし、土くさいし、空気が明らかによどんでいて、長居すれば虚弱な枯木花さんはたちまち体調を崩しそうな具合だった。
「願いを叶えてくれる蔵」は、扉を開けた者の願いを叶える。
枯木花さんはそう祖父母や親戚から聞き及んでいたものの、蔵はしんと静まり返ったまま、沈黙を守り通す。
幽霊や化け物の類いが現れる気配もないし、なにか超常のものの声が聞こえる、ということも起こらない。
枯木花さんは沈黙を前に、我に返って気恥ずかしくなった。
「願いを叶えてくれる蔵」のいわれが本当ならば、今ごろ枯木花家は大金持ちで、自分だって虚弱なわけがない――。
枯木花さんはそう結論づけて、「願いを叶えてくれる蔵」をあとにすることにした。
しかし蔵から出る前に一度だけ振り返る。
「加納くんがその気になってくれたらいいのに……」
ホコリっぽい空気にすぐ溶けてしまいそうな、蚊の鳴くような声で枯木花さんはひとりごつ。
枯木花さんの目下の悩みは、つき合って三か月目にキスをして以降、加納くんとの関係に一切の進展がないことだった。
あけすけにそんなことを相談できる相手を持たない枯木花さんは、思い余って「願いを叶えてくれる蔵」を開けたのだ。
しかし正気に返ると途端に恥ずかしくなる。
ありていに言ってしまえば、「彼氏とセックスしたすぎて『願いを叶えてくれる蔵』を開けた女」なのだ、自分は――。
枯木花さんはそれを認識して、恥ずかしさに内心のたうち回りながら、「願いを叶えてくれる蔵」をあとにした。
もう二度と自分が「願いを叶えてくれる蔵」を開けることはないだろうし、しばらくは近づきもしないだろう。そう思いながら枯木花さんは蔵の鍵を所定の位置に戻した。
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