婚約者が好きな女性がいると言って惚気話を始めました〜閣下。それ私のことです〜

白雲八鈴

閣下。それ私のことです。

 目の前には黒髪の男がいる。その男は不機嫌であることを隠すこともせずに、隻眼を私に向けてきていた。


 私を睨みつけても、私も嫌々ながらここに来たのだ。睨まれ慣れているとはいえ、流石に居心地が悪い。


「この縁談がご不満であれば、閣下から断ってくださいませ」


 私はニコリと笑みを浮かべ、目の前の男に断るならさっさと断れと言葉にした。若干口元が引きつっているが、それはお嬢様言葉を言い慣れていないからと思って欲しい。決して、目の前の男に睨まれて怖気付いたわけではない。


「不満ではないが……」


 不満ではないだって! 目の前の男は幾度となく縁談が組まれるものの、ことごとく破談しているのだ。原因は色々あるだろうが、ひとえにこの男の目つきが悪いからだと、私は思っている。あと口も悪い。

 だから、私にまで縁談が回ってきてしまったのだ。私は頑なに結婚などしないと言っていたのだ。しかし、国王の勅命となれば、私に断る権利はない。

 仕方がなく、私は正装の姿で、婚約者となった男の前に出るはめになったのだ。


「俺には好きな女がいる」


 ……貴方の部下歴五年になる私は、そんなこと聞いたことはないが? これは断るための方便か?


「そうなのですね。では閣下からこの縁談を断ってくださいませ」

「俺には断る権利がないので、できれば、ミレーヌ嬢から断ってくれないだろうか」


 この男は何を言っているのだろうか。国王陛下の勅命を断ることができると思っているのか?


「まぁ? 私から国王陛下の命を断ることができるとお思いでしょうか? 王弟殿下であらせられるヴァンルクス将軍閣下から国王陛下に願いでて、いただきたいものです」

「……はぁ」


 とても大きなため息を吐かれてしまった。ため息を吐きたいのは私のほうだ。何が悲しくて上官の婚約者に収まらなくてはならないのだ?


 というか、好きな人がいるなら、さっさと告白して結婚しろ! もう二十八歳だろう! そうすれば、私は貴族の令嬢が着るような窮屈なドレスではなく、着慣れた軍服を着る!


 いや、私は貴族の令嬢であることに変わりはない。




 私はオルトロス侯爵家の三女にあたる。ミレーヌ・オルトロスだ。普通であれば侯爵令嬢はお嬢様教育を受けて十六歳から二十歳までには結婚するものだ。しかし、私は今年で二十二歳。貴族で言えば行き遅れ。結婚できない人には言えない理由があるのだろうと、おかしな噂が立つ年齢なのだ。


 親から結婚話をもってこられる前に、結婚しないと言ってあるし、病弱ということにしておいて欲しいとも言っていた。それに両親は無理に結婚しなくてもいいと言ってくれたのだ。

 それは娘の私に理解を示してくれたというよりも、私の姉の立場があったからだ。私の姉、マリアベルは国王陛下の元に嫁いだのだ。第三側妃としてだ。

 この事により国王と繋がりを持とうと次女の姉に多くの縁談が持ち込まれることとなった。これには両親も困り果て、三女の私は自由を認められた。


 なので、姉が私の名を国王陛下に出さなければ、王弟閣下との縁談は無かったはずなのだ。

 普通であれば権力が、我が家に偏ると他の貴族から文句が出てくるところだが、目の前の男が頑として結婚を拒んでいるため、私まで縁談が回って来てしまったのだ。

 さっさと好きな女に告白しろ!


「閣下。その女性に告白されたのですか?」


 というか、それを私ではなく国王陛下に言えば、私がこのような場に来なくてもよかったはず。そう王城の整えられた庭園が見渡せる一室に、肩身が狭く居座ることなどなかった。姉に一時間はここで過ごすように言われているのだ。

 一時間も上官と何を話せばいいのだ?


「いいや」


 ……告白をしろ! いったいどこの誰だ! 王弟ともあろう閣下が告白するのを躊躇するような人物とは。もしかして人妻だったりするのか? それはヤバイな。


「そうなのですね。この縁談を断る口実として、告白されたら如何でしょうか?」

「しかし、何を言えば……」


 普通に好きだから結婚してくれといえば、地位的に断る女はいないだろう。さっさと告れ!


「その方の好みの物でも贈って、好きだから結婚して欲しいとおっしゃれば、閣下ほどの方の想いを無下にする女性はいらっしゃらないでしょう」


 すると閣下は大きくため息を吐いて項垂れる。何故に!


「頭に虫でも湧いているのかと言われそうだ」


 ……どういう女性なのだ? 王弟である閣下にそんなことを言う女がいるのか? っていうかそんな女が好みなのか? 上官の趣味を疑うな。


「あの? どういう方なのですか? 贈り物次第で、女性の心は変わったりしますわよ?」


 私の言葉に閣下は顔を上げ、部下歴五年の私が見たことがない朗らかな笑みを向けてきました。もし、仕事中にこんな笑みを向けられたら、即行に窓から脱出しているな。絶対に碌なことがない笑みだ。


「部下の一人でな」


 ……職場恋愛ですか。それは危険ですね。閣下。私はいざこざに巻き込まれたくないので、辞表でも叩きつけることにしておきます。


「俺が一般からスカウトした女性だ」


 ん? そんな女性いましたか? 軍では一応軍学校を卒業した者が入軍するはず。確かに一部はその腕を閣下に認められて、軍に入った者は居るが、その殆どは男だ。そもそも女性の軍人は少ない。


「すごく可愛い」


 上官が笑顔でのろけやがった。すごく気持ち悪い。


「勿論仕事もできる。戦闘技術も軍の中でもトップクラスだ」


 私は再び心の中で首を傾げる。そんな女性は居ない。これは閣下の妄想か?


「仕事ができる女性であれば、仕事に使うものを贈るのは如何でしょうか?」

「鼻で笑われる自信がある」


 とても具体的な妄想だな。仕事に使うものでも駄目なのか?


「その方の趣味とはかないのでしょうか?」


 仕事の物が駄目なら、趣味で何かをしているのであれば、それに付随するものを贈ればいいだろう。


「趣味……あれは趣味なのか?」


 閣下は首を傾げている。その女性は趣味と言えない趣味があるようだ。


「休みの日は近場のダンジョンに潜っているな」


 ……その人と友達になりたい! 絶対に話が合いそうだ。近場のダンジョンということは、未だに全階層未攻略のミラッジョの大迷宮だよな。攻略の仕方によって時々レアアイテムが出現するから、休みの日はダンジョンに入り浸っている。


 しかし、そんな趣味を持っているということは、これはこれで問題だ。


「もしかして、その女性は身分が無い女性ですか?」


 私の質問に閣下は頷いて答える。これは王弟という身分を持つ閣下には厳しい。


「それは女性に何処かの貴族の養女になってもらうことから、始めないと難しいですわね」

「そんなことを言おうものなら、背中から刺されそうだ」


 男女の揉め事ではなく、身分を与えることで閣下を刺す女性ですか。私はそんな女性を妄想している閣下が恐ろしいです。


「……それは諦めて、上官と部下の関係のままの方がいいような気がしてきましたわ」


 もう、閣下の妄想に付き合うのも疲れた。この縁談を断る妄想の女性だとしても、明日から閣下の部下を辞めようかと思ってしまうな。


「しかしミラは可愛いし美人だから、他の男に横取りされるのは我慢ならない」


 ……ミラ……みら……ミラだって!

 私は持っていた扇を広げ、顔を隠す。


「ミラの一番いいところは、戦っている姿が綺麗なところなんだ。見たことの無い魔術は目を引くのは勿論のこと、魔力がとても綺麗なんだ」


 やめろ! いきなり何を言い出すんだ!


「始めはただの魔術師かと思っていたが、剣の腕も中々いい。己の欠点をよく理解して、それを補うための……」


 人の戦い方を何観察しているんだ!


 そう、ミラとは私の別の姿の名だ。

 結婚せず好きなことと金を得る為に、姿を変えて軍に籍をおいている。

 それが、ヴァンルクス将軍閣下の書記官である私だ。


 普段は閣下の事務作業の補佐をしているが、戦場に立てば中尉の立場で軍を率いることもある。


 っていうか、私は何故上官から自分の惚気話を聞かされているんだ? 恥ずかしすぎるだろう!

 そもそも私が可愛いってなんだ? 普段は伊達メガネで茶色の長い髪を後ろで一つに丸めているのだ。可愛げもなにもないはずだ。

 因みに本来の私は金髪だ。


 駄目だ。私の精神の方が先に限界がきそうだ。閣下から好意なんて一度も感じなかったぞ。日々睨まれているとしか思わなかった。


「あの……閣下。取り敢えず、贈り物から始めるのは如何でしょうか? 受け取ってもらえるかは閣下のセンス次第ということで、私はこれにて失礼します」


 私は逃げるように王城の一室から出ていく。これ以上聞いていられない。早足で廊下を歩き、見知った背中を見つけたので、腕を掴んで物陰に引きずり込む。


「うわっ! 何ですか!」


 私が物陰に引きずり込んだのは、我が兄ルーフェスだ。次男であるこの兄も軍務についている。


「おや?ミレーヌではないですか。閣下とのデートは如何でしたか?」

「閣下の好きな女って誰だ?」

「ん?」


 私が閣下の好きな女が誰かと問うと、兄は目を泳がした。これは兄は知っていたということだ。

 因みにこの兄とは母親が違う。第二夫人を母親に持つ兄は、第一夫人が母親である私に敬語で話してくる。


「これを仕組んだヤツは誰だ! 兄は知っていたってことだよな。閣下の好きな女ってヤツを」

「ミレーヌ。言葉遣いが乱れていますよ」


 兄は私の質問には答えず、私の言葉遣いを指摘してきた。

 これはどちらに転んでも私は結婚しなければならない。閣下がこの縁談を断ったとしても、しなくても、ミレーヌもミラも結局どちらも私なのだ。


「では、閣下の好きな女が部下のミラっていうことは何処まで広まっている?」


 私はこの兄が知っている時点で嫌な予感がしている。兄の所属しているところは軍部と言っても補給部隊を管理している部署だ。私がいる実働部隊の方ではない。


「本人以外は知っていると思いますよ」


 詰んだ。これは完璧に詰んでいる。明日から私は興味本位な視線にさらされるのだろう。そして、閣下自身ミラが貴族の令嬢とは気がついてはいない。


「私がミラだと知っているヤツはいるのか?」

「その辺りはミレーヌが上手く隠しているので、バレていないと思いますよ」


 この事に私は救われた気分になった。


「わかった。今から辞表を書いて、総統閣下に提出してくる」


 要はミラが軍を辞めればいいということだ。これで気分が晴れた。


「ミレーヌ。それは駄目ですよ」


 何故か兄に止められてしまった。何故だ。これで全てが解決するはずだ。


「血の雨が降るから駄目です」

「いや、私が辞めることで何かが起こることはないだろう?」

「絶対に駄目です。それに総統閣下はミラの辞表は受け取りませんよ」

「ただの書記官の辞表ぐらい受け取ろうよ」

「明日は絶対に普通に出勤してくださいよ。絶対にですよ」


 何故か兄から強く念押しされてしまった。元々は身分がないミラだ。誰も困りはしないだろう。いや、副官は仕事が増えると愚痴られそうだな。




 翌朝私は重い足取りで、軍本部に出勤する。結局あのあと直ぐに総統閣下の元に辞表を持っていったが、その場でビリビリに破られてしまった。それもとてもいい笑顔でだ。

 クソジジイ。何が何枚出されても同じだと? 何故私が何枚も辞表を用意していることがバレているんだ! このクソジジイは侮れない。軍部の頂点に君臨しているのは肩書だけではないということだ。



 私はまだ誰も居ない部屋の扉の鍵を開け入る。ここはヴァンルクス将軍閣下の執務室だ。

 この執務室には前室があり、そこは応接スペースなっている。大抵が閣下に媚びるヤツが居座るスペースだ。

 その奥にはもう一枚扉があり、ここが本来の執務室となっている。私は部屋の空気を入れ換えるために、窓を開けた。そして、部屋に入ってくる風を利用して、床のゴミを一箇所にまとめる。


「『絡め取る風アウラー』」


 これは簡単な魔術で床掃除をするものだ。しかし、普通はそんなことで魔術は使わない。魔力の無駄遣いはあまりしたくないというのが理由らしい。私には関係の無いことだが。


 私は前室に戻り、応接スペースにあるローテーブルの上に積み重なっている書類を、仕分けをする。仕分けと言っても、閣下のサインが必要なもの、書記官の私の確認で賄えるもの、副官が見るべき書類に、一目で不備があるとわかるものは、各部隊に送り返す用に分ける。分け終わったら、書類を個人の執務机の上に置いて、私は私の分をチェックするために、私に充てがわれた机の前に立つ。


 そう言えば、そもそもがおかしかったと……。


 ヴァンルクス将軍閣下執務机が部屋の一番奥にあるのはわかる。しかし、その隣に書記官である私の執務机があるのだ。逆に副官の執務机が入り口付近にある。これ絶対に副官と書記官の位置が逆だろう。


 後で場所移動を願おう。


 自分の席についてさっさと書類を捌いていく。昨日は閣下と私が休んだために、いつもよりも溜まっている書類が多いのだ。

 いや、副官がサボったに違いない。本来なら閣下のサインが必要な書類以外、残っていないはずだ。


 四分の一程の書類を見終わったぐらいに、執務室の扉が開く。ノックもせずに入ってくるということは、閣下が入ってきたのだろう。


 視線だけで上げて挨拶をする。


「閣下。おはようございます。昨日の溜まっている書類は机の上に置いているので、さっさとサインしてください」


 やはり閣下だった。いつもの黒い軍服にこれでもかという勲章をつけて、威圧感たっぷりに着こなしている。そして、黒い眼帯も相乗効果となり、私を睨んでくる隻眼の眼光は相変わらず鋭い。本当にコレが笑顔で惚気けていた閣下かと思うぐらいだ。


 私はそれだけを言って再び、書類に視線を落とす。


 カリカリカリカリ……ペラリ……カリカリカリカリ……ペラリ…………なぜ、未だに私の前に立っているのだ。今日は何か特別な予定があっただろうか? いや、特になかったはず。始業開始後に訓練をして、その後に十時から会議。その後はいつもどおり残りの書類をさばいて業務終了のはず。


「閣下。どうかされましたか?」


 私は書類から目を離さずに尋ねる。


「……」


 何故にだんまりなんだ? 私はため息を吐きながら、顔を上げる。そこにノック音が聞こえ、返事を待つこと無くガチャリと扉が開く。これは副官が入ってきたのだろう。


「おっはよーございますー!」


 朝からでかい声で挨拶しなくていいと言っているのに、毎日毎日うるさい。


「昨日はお二人が休みだったんで、もう散々だったんですよー」


 何が大変だったのだろうか。大変だったと言う割には書類がそのままのような気がするが?


「休み? 俺は聞いていないが?」


 閣下が私を見下ろしながら聞いてきたが、閣下には言っていない。昨日は朝早くから第三側妃の姉に呼び出され、そのまま有無を言わさずにドレスに着替えさせられ、化粧を塗りたくられ、閣下の前に差し出され、婚約の書類にサインをさせられたのだ。恐らく私の休みは兄経由か弟経由で伝えられたのだろう。


「急遽決まった休みだったので」

「急遽決まった? そんな用事がミラにあったのか?」


 そんな用事。確かにそんな用事だった。私の口からは絶対に何で休んだかは言わない。面倒なことになることが目に見えている。今日は業務終了後にもう一度、総統閣下のクソジジイのところに行って、辞表を突きつけてくる。今度は簡単に破けないように工夫した。これはもう受け取るしかないだろう。


「閣下。私の用事など、どうでもいいことなので、さっさと仕事をしてください」

「どうでもいい?」


 はいはい。どうでもいいので、さっさと席について欲しい。そこに軽快に廊下を駆けてくる音が聞こえて来た。この足音は……


「ミラ! 昨日の見合いど……ぐはっ!」


 いらないことを言おうとした金髪の侵入者に持っていたペンを投げつけ、眉間に命中した。私は席を立ち、馬鹿なことを言ったヤツの元に赴き、胸ぐらを掴んで引きずって、部屋の端まで連れて行く。


「ミラ、酷いなぁ。俺、昨日の結果聞いていィ!!」


 みぞおちを殴って黙らさせる。見た目は貴族らしく綺麗な顔をしているが、その脳みそはプリンでも詰まっているのかと思うほど考えが軽薄だ。


「誰の指示だ?」

「え?」

「誰の指示だと聞いている」


 すると金髪の侵入者は目をオロオロとしだした。私には情報を売れないということか。

 空気を入れ換えるために開けていた窓のところまで行き、侵入者を片手で持ち上げ、窓の外に吊るし上げる。


「ちょっと待って! ここ三階。死ぬ! 絶対に死ぬ」

「別にオルトロス侯爵家の三男なんて、居ても居なくてもいいよな」

「酷い! 本当のことだけど! 酷い!」


 そうこの侵入者は私の弟だ。弟の母親は次男の母親と同じ第二夫人。次男の兄は教養が行き届いているのに、三男は甘やかされていたからか、いつまで経っても馬鹿だ。これはきっと第三側妃の姉に引っ掻き回してこいとでも言われてきたのだろう。私が王城に一時間も居られなかった罰とでも言うように。


「さようなら」


 そう言って私は掴んでいた胸ぐらを放す。


「ギャー! 人殺しー!」


 叫んでいるが、これぐらいではかすり傷も負わないことぐらい知っている。なんせ弟は特殊部隊に配属された戦闘馬鹿だからだ。まぁ、先程の私の攻撃は甘んじて受けたということだろう……が、たとえ弾こうとしても強固な結界と麻痺攻撃を合わせていたから、そもそも触れた時点でアウトだった。今頃麻痺で動かない四肢でなんとか着地をしたぐらいだろう。


 さて、書類の続きをしようかと振り返れば、私のすぐ背後に移動して威圧的に見下ろす隻眼と目が合った。そして、その閣下の背後ではアワアワとしている副官がいる。


「閣下。邪魔です」


 そもそも私は閣下の肩の辺りの背ぐらいしか無いのだ。普通にしていても見下されるというのに、そこに威圧まで混ぜないで欲しい。イライラする。


「見合いとはなんだ?」

「閣下には関係ないです」

「ミラは俺の書記官だが?」

「書記官ですが、プライベートは関係ありません」


 というか。化粧をしていたとは言え、ミレーヌ・オルトロスがミラとはわからなかったのだろうか。まぁ、髪の色も目の色もミラは変えているので、わからないか。 


 私は自分の席に着くために、横にズレると、閣下も横に移動した。いったいなんだ?


 私の邪魔をするなという視線を、目の前の隻眼で睨みつけている閣下に向ける。


「ミ……ミラは今日の就業時間後は暇か?」

「暇ではありません」


 いきなり話が変わったな。今日の仕事が終わったら、即行に総統閣下の執務室に突撃する予定だ。クソジジイが帰る前に、今日こそは辞表を受け取ってもらわなければならない。


「では昼休憩は?」

「何ですか? 閣下? はっきり言ってもらわないとイライラします」


 もうすぐ始業時間になる。あと少し書類をさばいておきたかったが、はっきりとしない閣下と弟の所為で進まなかったことに、イライラしてくる。


「一緒に食事をしないか?」

「ん? 何か? 幹部方と会合か何かですか?」


 時々お偉い軍部幹部との話し合いには食事をとりながら、密談が設けられることがある。その席では私は閣下の背後に控えることが多いが、今回もその部類だろう。


「いや違う」

「違うのですか? 先日あった保存食の試食会の第二回とかですか?」


 遠征に行くときに携帯する保存食でも美味しいものが食べたいという要望が以前からあったために、開発チームが作られ、先日試食会が行われたのだ。まぁ、マシにはなったが、美味しいかと言われれば、不味くはないという程度だった。


「違う」

「はぁ、なんなのですか? もうすぐ始業時間なので、私は訓練場に行きます」


 おい、そこの副官。私に何故可哀想な子を見るような視線を向けてくるんだ? ったく、二人して今日はなんなんだ?


「ミラ。俺と一緒に昼食をとらないか?」

「いつも向かい側の席に座ってきますが、それは一緒に昼食をとっていると言わないのですか?」


 はっきり言って、仕事の間は閣下と共に過ごしていると言って良い。私が昼食に行くときは、閣下がいつも付いてくる。別に文句を言うことではないので、放置していた。

 そして、目つきの悪い閣下がいる所為で、私と閣下の周りには誰も近寄らず、異様な空間ができあがるのだ。そんな空間が食堂のど真ん中にあるのは邪魔だと思うので、食堂の端っこが今では定位置になってしまっていた。


「食堂ではなく、別のところだ」


 それは何かの下見か何かか? まぁ、断ることではない。


「閣下の奢りならいいですよ」


 そう言って、私は閣下の横を通り抜け、訓練場に向かっていった。



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ヴァンルクス将軍 Side



「ヴァン。今日はどうしたんだ?」


 隻眼の男の副官が気安く上官である男に話しかける。


「昨日の見合いはいつも通り断られたんだろう?」

「相手が悪かった」


 ヴァンと呼ばれた隻眼の男は、機嫌よく笑みを浮かべて、振り返った。言葉と表情があっていない。


「相手? 今度は誰だったわけ?」

「オルトロス侯爵家の三女だ」

「ああ、総統閣下のお孫さんは流石に肝が据わっているっていうことか……三女? 三女って病弱で領地に引きこもっているという噂の三女を、ヴァンの相手に引っ張り出してきたのか?」


 その言葉の中に、病弱といえ軍部のトップである総統閣下の孫を王都に呼び出してまでも、この男に結婚させたいのか、という驚きが含まれている。


「いや、恐らくそれは嘘だ。ヒューズ。ミレーヌ嬢のことを探れ、きっと何かある」


 しかしヴァン自身はそれ自体に何か裏があるのではと勘ぐっているようだ。


「上官の命令だとしても嫌だね。ミラちゃんを調査した時もかなりヤバかったんだよ。総統閣下の遠縁ってことだから、閣下の身辺に入ったら、捕まっちゃったし、嫌だよ」


 上官の命令を聞かないヒューズという男に呆れるが、話の内容から以前に痛い目に遭ったので、勘弁して欲しいと言われれば、それもまた理解できる。軍部のトップの親族の調査は調査する側にも危険が伴う。それは軍に歯向かう行動と同意義に捉えられるからだ。


「だから、俺はヴァンがミラちゃんを好き過ぎて身辺調査しているって情報を渡したら、それから見合い三昧になったよね。ははははっ」


 先程からの話からすれば、ヴァンの見合い話には、軍部のトップの意見が組み込まれているようだ。

 軍の立場的にも王弟という立場でも、身分がない者より、貴族の令嬢を嫁にしろという意向が見える。


「総統閣下の孫ねぇ。そのミレーヌ嬢はどんな令嬢だった? 同じ孫のルーフェス少佐はしたたかだもんね。さっき居たアルフォンス軍曹は狂犬だと噂されているしねぇ」


 先程侵入してきたミレーヌの弟は特殊部隊に配属されているが、その特殊部隊でも狂犬と言われているのであれば、かなり手を焼いている者なのだろう。しかし、その狂犬を黙らせて片手で締め上げていたミラは、ヴァンの下についているだけあって、普通ではないということだ。


「普通だった」

「え? 普通の令嬢と変わらず、ヴァンを見て気絶したってこと? だからさぁ言っているじゃないか、右目だけじゃ見にくいんだろう? だから目つきが悪くなるんだ。高性能の魔眼をいい加減に入れろ」


 どうもヴァンは右目だけで視界を補うために、どうしても眼光が鋭くなってしまっているようだ。そんなヴァンに以前からヒューズは義眼となる魔眼を入れろと言っているらしい。


「必要ない。あれはあれで、必要のない情報まで取り込むから面倒だ。それからミレーヌ嬢が普通だったというのは、普通に会話ができたということだ」

「それは凄いじゃないか。さすが総統閣下の血筋ということか。ヴァンと会話できる貴族の令嬢は稀だな。もう、ミラちゃんを諦めてそのミレーヌ嬢でいいのでは?」


 貴族の令嬢はヴァンと話をすることもままならないとは、目つきが悪いだけが原因ではないだろう。強者が纏う雰囲気というものは、必然的に発せられるものであり、蝶よ花よというふうに育てられた貴族のご令嬢方にはいささか、圧迫感があったために、気を失ってしまったと推測できる。しかし、軍部トップの総統閣下の血筋となれば、多くの軍人を輩出する家系でもあり、強者の覇気というものには慣れている。ならば、選択肢は一つしかないのでは?


「何故にそうなる!」

「だってさぁ、さっきヴァンは普通に食事に行こうと誘ったのに、あれは絶対に何かの仕事だと思っているよね。上官とは見ていても異性とは見ていないのが俺でもわかる」

「うぐっ」


 そう、残念なほどにミラにはヴァンの気持ちは一切伝わっていなかった。そして、その本人の前で本人を褒めて惚気け話をしていたということには、ヴァンは気がついてはいない。


「ヒューズ。親友として頼みたい。ミレーヌ嬢を探って欲しい」

「はぁ。恐らく何も出てこないと思う。ミラちゃんの時も綺麗なぐらいに何もなかった。それが不自然な程に。だからミレーヌ嬢も何も出てこないと思う」

「それでもいい」

「はいはい」


 そう言ってヒューズもまた部屋を出ていった。不自然なほど何も出てこない。それは何かを隠している証拠でもあった。



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ミラ Side


「何ですか? ここは?」


 昼食にと連れてこられたのは、幹部のお偉い方が会食に使うような高級レストランだった。軍服は仕事着であり、何処に行っても受け入れられる格好とは言え、流石に閣下と書記官でくるようなところではない。


「レストランだ」


 いや、それはわかっている。何故ここなのかと聞きたい。わざわざ閣下自ら自動車を運転して、私を連れてきたのだ。建物の外見を見ただけで、ここが以前会合で使ったことがあるレストランだとわかる。


「昼食に来るような場所ですか?」

「ミラが夕方は用事があると言ったからだ」


 私の所為か! いやいやいや、ちょっと待とうか。

 そもそも夕食にここに連れてくるつもりだったのか? この高級レストランに……部下の私を……ないわー。部下に夕食を奢るなら下街の酒場にしろ! これだから王弟殿下は常識からズレているんだ。


 しかし、来てしまったものは仕方がない。私は居心地が悪そうなレストランに足を踏み入れる。足が取られそうなほどの毛の長い絨毯に上を見上げれば、必要なのかと思ってしまうほどの大きなシャンデリアが玄関ホールで出迎えてくれた。場違いすぎる。夕食で無くて良かったと心底思った。


 店の者が出迎えてくれ、案内されたところは、個室だった。……何故に個室。


 既に料理の注文が入っていたのか、飲み物だけ聞かれ、店員は個室を出ていってしまった。


「で、閣下。ここに連れてきた理由を聞いていいですか?」


 不服感を思いっきり出して、目の前の上官に尋ねる。


「昨日、五十回目の見合いをしてきた」

「そうですか。切りがいい数字になりましたね」


 その相手は私だったけどな。


「婚約者ができた」


 ん? その言い方は今までのご令嬢は婚約者ではなかったということか?


「おめでとうございます。閣下」

「しかし、互いにこの縁談には不服でな」


 まぁ、そうですね。そうなのですが、閣下は何を言おうとしているのでしょうか?


「俺には好きな人がいると言えば、色々アドバイスをくれた」


 はい。言いましたが?

 すると、閣下は私に小さな箱を差し出してきた。


「ミラ。俺と結婚してくれないか?」


 箱の中に入っていたのは指輪だった。それも閣下の色である黒い宝石が居座っている指輪だった。


「一度、死んで来い」


 いきなり指輪を出すヤツがいるか! 私は好みそうな物を贈れと言ったんだ! 誰が結婚指輪を渡せと言った!


「そもそも、私は閣下の部下の一人ですが? なんです? 結婚して欲しいとは? 頭に虫でも湧いているのですか?」


 ……閣下の酷い妄想女。ここに居たな。思わず、頭に虫が湧いているのかと言ってしまった。


「はぁ。やっぱり言われるよな」


 分かっていて、それを出す閣下も閣下ですね。

 閣下はテーブルの端に置いてある呼び鈴を鳴らし、指輪が入っていた箱を懐にしまった。


 これは閣下も予想していたのだろう。素直に引き下がり、開けられた扉から食事が運び込まれ、店員はさっさと退出していった。

 恐らく部屋の中の話が聞こえていたのだろう。居心地が悪そうにさっさと料理の簡単な説明をして出ていったのだ。


「それで、そんなことを言いに、ここに連れ出したのですか?」


 私は出された食事をさっさと食べ始める。休憩時間は決められているし、午後の仕事も溜まっている。ここでうだうだと食事を楽しんでいる場合ではないのだ。


「今回の縁談は流石に断れなくてな」

「閣下とあろう御方がですか? それはどこのお貴族様なのでしょうか?」


 私だけどな。しかし、おかしいなぁ。たかがオルトロス侯爵家の三女だ。断れないこともないだろう。私は国王陛下が一枚噛んでいると思っているのだが、違うのか? 


 興味なく定型文のように聞き返すと、閣下がフッと笑った。笑った?


「俺に対して物事をはっきり言う令嬢だったな」


 ……いや、大したことは言ってはいない。さっさと告れというイライラは出ていたかもしれないが。


「オルトロス侯爵家のミレーヌ嬢だ」


 何故私の名を上げている時に、笑みを浮かべているのだ?


「流石オルトロス侯爵家だな。噂とは全く違っていた」

「噂ですか?」

「病弱といわれているが、あれは武人だ」


 ……はっ! 病弱設定だった。しくじった!

 あまりにもの展開の早さに、その設定が頭から抜け落ちていた。

 くっ! これも姉の作戦の内だったのか! いや、そもそも病弱設定なら、化粧でもう少し顔色を悪くしても良かったのではないのだろうか。


「剣を交えれば、面白そうだと感じた」


 そう言って楽しそうに笑っている。まぁ、閣下が強者を好むのは知っているので、何も言わないが、私がその婚約者でなければ、そのまま結婚しろと言っているだろう。


「そうですか。よい婚約者の方だったのですね」

「……あ……いや。そうではなくてな」

「閣下。閣下は将軍という地位で軍の第一師団から第九師団をまとめてる立場です。私のような者ではなく、貴族のご令嬢との婚姻が望ましいでしょう」


 食事を詰め込むように食べ終わった私は、すっと立ち上がる。そして、困惑の色を持つ隻眼を私に向けてきている閣下に、私は笑みを向けた。


「閣下。私は辞表を総統閣下に突きつける予定なので、貴族のご令嬢と仲良くしてくださいな」


 そう、私以外の貴族の令嬢と結婚してくれ。すると、今まで向かい側の席に居たはずの閣下の姿が直ぐ目の前にあった。まるで瞬間移動したようにだ。


「それはどういうことだ?」


 殺気を交えて見下さないで欲しい。


「それはオルトロス軍曹が言っていたことと関係するのか?」


 ああ、誰かの指示で動いていた馬鹿な弟の話ね。関係するのは関係する。全ては閣下の所為なのだから。


「さぁ、それはどうでしょうか?」


 私は首を傾げて、言葉を濁す。さっさと戻って残りの書類を見てしまおうと、一歩踏み出すと、景色が一転した。なぜかいつもより高い視線。その視線のまま背景が前方に流れていく。いや、麦袋のように肩に担がれた私が閣下にそのまま運ばれている。


 はぁ、時々閣下はこういうところがあるのは困ったものだ。何も説明せずに私を何処かに連行する。初めて会ったときもそうだった。




 あれは五年前。私は身分のない平民の娘に成りすまし、冒険者なんていう者をやっていた。当時は十七歳。冒険者を始めて二年が経った頃だった。


 王都から遠く離れた南の領地に大蛇が出たから討伐して欲しいという依頼を受けたときだ。大蛇と言ってもその身は谷を通る道を塞ぎ、街道を通る領民や商人の通行を阻害し、大きく迂回しなければならない状況が既に二ヶ月にわたって続いている状態だった。

 だから、王都の冒険者ギルドまで依頼が回ってきたのだが。


 面白そうな依頼だと、即行に受け、騎獣で駆けること三日目で、その目的地に着いたのだ。


 その場で私が見た光景は……


「ヤマタノオロチじゃん!」


 この世界ではない異界の神話で出てくる頭が多数存在するヘビだった。いや、これは大蛇ではなく、ヒュドラの部類に入るだろう。


「これ絶対に依頼料ケチってるよね。後で絶対に上乗せ請求しよう」


 取り敢えず、様子見で一撃入れてみようと、魔力を練り呪を言葉に乗せる。


「『氷牙撃グラキエース』」


 ただの氷の刃だ。尖った氷を複数作り出し、攻撃する。大したことはない攻撃だ。


 氷の刃が頭が複数あるヘビに向かって行くが、その内の頭から炎が吐き出され、氷の刃が消えた。


 では次は火の矢だ。一つの頭から水の膜が張られ消失した。


 これはもしかして、頭ごとに属性が違うのか。


「面白い。いいだろう」


 断然やる気が出た私は、腰に差していた二本の剣を鞘から抜いて、頭が複数あるヘビに向かって駆け出していった。地を蹴り、一つの頭に向けて、炎をまとわした剣で断ち切ろうとしたところで、黒い影が目の前に現れ、私の剣を弾き返したのだ。


 私は地面に着地をし、邪魔してきたヤツに剣を向けて文句を言う。


「どこの誰か知らないが邪魔をするな! これは私の獲物だ!」


 横取りは許さないという意味だ。先程までは絶対に誰も居なかったのだ。ということは、他の人の獲物に手を出すことはタブーのはず。たとえ、黒い軍服を着てどう見ても軍人に見えるが、それでも関係ない。


「ここは危険だから去れ」

「はぁ? 私は討伐の依頼を受けた冒険者! 去るのはアナタ!」


 誰だよ。黒髪の隻眼って、クソジジイに後で聞いておくか。部下のしつけがなっていないぞと。


「ふん! こんな小娘が討伐するだと?」

「ああ? 軍人が口出すことじゃないよね!」

「王都に帰る進路に邪魔なモノがあれば排除するだろう」

「今は迂回路を通るようになっているはずだけど?」

『シャァァァァ』

「この俺に遠回りしろと?」

「どこの俺様か知らないが、領主の指示に従え!」

『シャァァァァ』

「将軍の地位を賜った俺に命令できるのは、総統閣下と国王陛下ぐらいだ」

「ただの冒険者に軍の地位なんて意味ないよね。そんなこともわからないなんて馬鹿?」

『シャァァァァァァァァァァ』

「「うるさい!」わ!」


 人が話しているというのに、さっきからシャアシャアとうるさい物体に向けて、剣を投げつける。一つの頭の眉間に突き刺さり、その頭部が崩れている横で、黒髪の軍服を着た男が一つのヘビの頭を切り落としていた。


「だから、これは私の獲物だと言ったはず!」


 そこから、どちらが相手より早くヘビの頭を落とすかの競争になり、一瞬で決着がついてしまった。この男、中々強い。もしかしたら、クソジジイより強いかもしれない。


 その隻眼の男が近づいてきた。ちっ! これ結局報酬はどうなるんだ? 半分しかもらえなかったりするのか?


「お前、名前は何だ?」

「なぜ教えないといけない」


 それにしても、そんなに不服なのか? 殺気混じりで見下ろすな。

 私は足元に落ちている握りこぶしほどの魔核を拾い、討伐した証明とするために、腰につけているカバンにしまう。この男は放置して王都に戻ろう。

 と、顔を上げたところで、首元に手をかけられていた。思わず身を引くも、背中を押さえられ、身動きが取れない状態だ。なんだ? 私は殺されるようなことはしていないぞ。


「鋼クラスのミラか。お前が鋼クラスとはおかしくないか? 銀クラスが妥当だろう」


 隻眼の男は私の首にかかっている冒険者の身分証と言って良いタグから、私の情報を得ていた。

 私のタグを持っている男の手をはたき落とす。


 鋼クラスというのは下から二番目という意味だ。いわゆる、ひよっこの殻が取れたぐらいのレベルという意味だ。そして、銀クラスというのは、上から三番目。そこに至る者は上級者と言われる部類だ。 


「私は冒険者になって二年目だからね。それは鋼だろうね」


 昇級試験は年に一度しかない。次の昇級試験は来月。もちろん受けるつもりだ。

 すると男は私を肩に担いで、移動を始めた。先程も思ったが、この男の速さに私が付いていけない。普通なら肩に担がれるという愚行を許すはずはない。


「おい! 降ろせ」


 身を捩るも、私の鳩尾に男の肩が食い込んでいくだけで、身体が解放されない。しかし、私の身体が腹以外痛いわけじゃないので、男なりに気を遣っているのだろう……が、この運び方はない。


「私は荷物ではないぞ! どこに連れて行く気だ! 私は王都に帰るのだからな!」


 すると、私の鳩尾は痛みから解放され、男を見上げる角度となった。そう、いわゆるお姫様だっこというものをされている。


「こっ恥ずかしい抱え方するな! 私をさっさと降ろせ」

「いちいち文句を言うな。ミラ。お前は俺の部下になれ」

「イヤだし」

「お前の力を鋼クラスとしか評価しない冒険者ギルドなんかより、俺の下にいた方がいいぞ」

「イヤだし」

「給金は一月、五十万でどうだ?」

「……」


 五十万……今なんて一ヶ月十万稼げれば良いほうだ。鋼クラスが受けられる依頼は素人に毛が生えたような者でもできる依頼しかない。結局そんなに高額の依頼は無いということだ。


「階級も与えよう。中尉でどうだ?」

「……」


 中尉。中隊クラスを率いる階級か。若しくは副官クラス。

 かなり高待遇だ。どこの馬の骨ともわからない私を高待遇に? 意味がわからない。


「そちらの利点がないな。ただの冒険者を軍人にする利点がな。冒険者は何処まで行っても自由人だ」

「俺が気に入った、それだけだ」


 ずいぶんわがままが通る男のようだ。先程も命令できるのはクソジジイと国王陛下だけだと言っていたな。

 そんなわがままも受け入れられてきたのだろう。これは逆らうと後が面倒だな。クソジジイに任せるか。誰だか知らないが、クソジジイの命令を聞くのであれば、ジジイから言って貰えば良い。変な拾いものをするなと。


 その後男の部隊と合流し、王都に連行される事となった。そして、ジジイの前に引きずり出されたのだ。今と同じように。




「ヴァンルクス・グラン・ハイレイシス将軍。ミラ中尉に手を焼いているようじゃのぅ」


 白髪の矍鑠とした老人が琥珀色の軍服をまとい、もう勲章をつけるところはないだろうというぐらいに前面が勲章に覆われている。その姿だけで、目の前の人は威圧している。執務机を挟んでいるが、それぐらいでは勲章の威圧の効果は薄れない。


 そして、私は腹が痛いと文句を言ったために、お姫様だっこというこっ恥ずかしい姿のまま、クソジジイの前に連れてこられた。これで二度目。こっ恥ずかしい姿でジジイの前に連れてこられたことになる。


「オルトロス総統閣下。ミラが辞表を提出したいそうだが、まだ契約が残っているので受け取らないでいただきたい」


 おお! 私を連れて言うことか? それに契約ってなんだ? 私は知らないぞ。


「ん? 昨日十枚ほど辞表を持ってきたのぅ」

「ミラ!」


 いや、殺気混じりで睨まれてもなぁ。


「将軍閣下。私を降ろしてください。総統閣下の前で不敬です」


 私がそう言うと、私を睨みながらも、降ろしてくれた。クソジジイでも、軍部のトップだからな。

 床に降り立った私は総統閣下の前に立ち、敬礼し懐から白い封筒を取り出す。が、叩き落とされてしまった。先程から殺気を出している将軍閣下にだ。


 まぁ、一枚叩き落されたかと言っても、まだある。


「今日は何枚用意してきたのかのぅ?」

「受け取ってくれるまで」

「だから、それはさせないと言っているだろう」


 だったら、なぜここに連れてきたのか。 


「オルトロス総統閣下。俺は以前からミラを妻にと言っている」

「は?」


 なぜジジイにそんなことを言っている? いや、確かジジイの遠縁の設定だったな。それでか。


「いやのぅ。ミラじゃろう? こやつは一筋縄ではいかないからのぅ」

「何です? その私がおかしいみたいな言い方は?」


 すると、二つの視線が突き刺さった。


「ハイレイシス将軍。儂の孫のミレーヌは駄目じゃったのかのぅ」


 私が睨み返すとジジイは別の話を将軍閣下に言い出した。

 いや、そっちを押すのも止めてくれ。クソジジイ。


「いいえ、悪いわけではないが」

「そうじゃろう? 耳にしたところによると話が盛り上がっていたそうじゃないか」


 何も盛り上がってはいない。将軍閣下が一人盛り上がっていただけだ。普段見られない笑顔でだ。


「ここは孫のミレーヌを妻にして、ミラ中尉を愛人にすればよいじゃろう?」


 その言葉に私はジジイの執務机に思いっきり辞表を叩きつけた。執務机にヒビが入ったが、これは私の怒りだ。


 ニヤニヤと笑うな。ジジイ。それはどちらも私だ!

 分かっているくせに、何を言うんだ!


「断る!」


 絶対に王弟の嫁なんて面倒くさいじゃないか!


「のぅ。ミラ中尉。儂は総統の地位にいる者じゃ。それはわかるじゃろう?」

「だから、辞表を叩きつけているのです」


 軍にいると上官の命令は絶対だ。だから、その楔から逃れようとしているのに、このクソジジイはその辞表を受け取ろうとしない。これは己の言うことが絶対だと確信しているからだ。


「クリスティーナ様に言いつけてやります」


 お祖母様の名を出すと、クソジジイはビクッと肩を揺らした。やはりお祖母様の名は絶大だ。


「私をおもちゃにしてると」

「ミラ中尉。ここでその名を出すのは卑怯じゃが、これはクリスティーナも一枚噛んでおるぞ」


 なんだって! ヤバイ。クソジジイにとって、唯一頭が上がらないお祖母様がこの話に関わっているとなれば、私に逃げ道は塞がれてしまっていることと同意義。


 これはお祖母様を説得することから始めなければ!


「緊急事態が発生しましたので、ミラ中尉は早退します!」


 私はそれだけを言って、ジジイの執務室を飛び出していった。この話はいったい誰がどこまで噛んでいるんだ!




 結局、お祖母様の説得は失敗した。かわいい孫の花嫁姿を見たいの一点張りだった。それから、将軍閣下から毎日プレゼント攻撃をされることとなり、人目をはばからず、結婚して欲しいと言ってくるものだから、部下の視線がとても突き刺さる日々を送ること一週間。私は再び王城に連行されていた。


「ミレーヌ嬢。やはりミラはプレゼントを受け取ってくれなかったのだが?」


 そう、私はミレーヌ・オルトロス侯爵令嬢として、閣下の前にいた。


「そうなのですか?」


 この二十二歳になってぬいぐるみを贈られても困る。私はそんな幼子ではない。次にガラスペンを贈られたが、そんな芸術品を渡されても真っ二つに折る自信しかない。それから重そうな宝石が付いたアクセサリーを贈られたが、軍務をしている私に渡されてもどこで使うのだろう。

 因みにジジイに突き出した辞表は、そのまま私の執務机の上に戻っていた。だから、私はまだ軍務に従事している。


「閣下。そもそも私に相談されても困るのですが?」

「そうなのだが、周りで相談できる女性はミレーヌ嬢だけなんだ」


 それは閣下の目つきの悪さの所為だと思う。あと、直ぐに殺気を出すところか。

 見た目は整っているから、女性に忌避されることはないだろうが、如何せん眼帯と目つきの悪さがマイナスだ。


「はぁ。そう言われましてもねぇ。贈り物が駄目というなら、デートにさそう……聞かなかったことにしてください」


 ヤバイ。自分で墓穴を掘るところだった。今回も姉から、一時間はこの部屋にとどまるように言われている。でないと、明日ぐらいに馬鹿な弟を閣下の執務室に送り込んでくるだろう。

 何故に私は家族から総攻撃を受けている感じになっているんだ? これは次女の姉の結婚式が終わったから、次は私ということになっているのか? そういうのはやめて欲しい。


「デートか。何処がおすすめだ?」


 王都でのデートスポットでよく耳にするのが、植物園や観劇や……ちょっと待て、これは私が行く羽目になるのだ。よく考えて口にしなければ、私に全部跳ね返ってくる。

 それに何故か閣下はデートに行く気満々になっている。


「おすすめと言われましても、身分が無い方なのですよね? 貴族の方が行かれるところは好まれないかもしれません。ですから、私ではお役に立ちそうにありませんわ」

「言われてみればそうだな。だからあのレストランでは不機嫌だったのか」


 まぁ、私の身分は貴族だが、同じレストランに誘われたら、顔は笑顔で失礼のない早さでさっさと食べ終えて、出ていこうとすると思う。


「そう言えば、弟君のオルトロス軍曹とミラが仲いいようなのだが、ミレーヌ嬢は知っているか?」


 まぁ、母親は違うが弟なので、仲はいいと思う。しかし、弟の話は私に戦い方の相談に来ているだけだ。相手がこう来た時はどう対処すればいいのかという戦闘馬鹿らしい話しかしていない。


「さぁ、存じませんわ。戦うことしか脳がない弟なので、どうせその辺りのことを聞いているのでしょう」

「そうだろうな。ミラの戦闘技術はいつも驚かせられる」


 閣下いきなり笑顔にならないで欲しい。一瞬腰を浮かして逃げ腰になってしまったじゃないか。


「この前の野盗討伐のときなど、小道具を作って野盗共を追い詰めていたからな。ミラの発想にはいつも驚かせられる」


 ああ、三日前の野盗討伐ですか。別に将軍閣下自ら動かなくてもいい雑魚だったにも関わらず、指揮官の私の背後に陣取って、部下たちを威圧していた任務ですよね。

 あの任務では大したことはしていない。ただ風上から催涙ガスが出る木の枝を燃やしただけだ。勝手に野盗共は自滅していったのだった。


「それに部下に命令を出しているミラは可愛すぎる。背が低いからと台を用意して、その上から命令を言っている姿は見ていて癒やされる」


 それは私がチビだと言っています?


「しかし、ミレーヌ嬢。ミレーヌ嬢に言われたとおりに告白したら、やはり頭に虫でも湧いているのかと言われた」


 言いましたね。それを本人の私に言ってどうしろと?


「結婚して欲しいでは駄目だったのか?」


 私は遠い目になる。普通はそれでいいと思う。思うが、私に言わないで欲しい。


「はぁ。この際はっきりと言いますが、閣下。無意識かもしれませんが、私はずっと睨まれているように感じています。それに時々殺気が乗っていることもあります。告白されても殺されるのではないのかと、勘違いしてもおかしくはないのでしょうか?」


 私はずっとそう思っていた。何かと閣下から睨まれていると。


 ふと影が私に落ち、視線を上に向けると今まで向かい側に座っていた閣下が、直ぐ側まで来ていた。だから、気配を消して瞬間移動をしないでほしい。


 そして、閣下の右手が腰に下げている剣の柄に伸びて行く。おや? これはもしかして言いすぎてしまった?


 鞘から抜かれていく剣の金属が擦れる音と、部屋の端に控えている使用人の悲鳴が重なって聞こえる。

 はぁ、こちらは武器の携帯は許されていないというのに、王族だというだけで、許されるのは解せない。


 向かってくる銀色の刃に合わせるように閉じた扇を横に構え、横に逸らす。その刃は私が座っている長椅子の背もたれに突き刺さった。これはほんの瞬きの間に起きた。


「ミレーヌ嬢。貴女は何者だ?」

「何者ですか?」


 そう言われても困るな。ミレーヌ・オルトロスという名でしか、今の私を表すことができない。


「今日はワザと殺気を混じえていた。ほんの僅か。普通なら気が付かないほどだ」


 もしかして、私ははめられた? しかし、こうやって問い詰めてこの婚約を破談に持っていこうとしているのか。ここには他の目がある。閣下も中々の策士だ。


「そうなのですか?」

「それに、手加減しているとはいえ、俺の剣を往なすとは、普通ではできないこと」


 そうだろうね。閣下の強さは私も部下の者達も認めているよ。


「ふふふっ。閣下は面白いことをおっしゃるのですね」


 すると閣下は眉を顰めて私を見下ろしてきた。


「面白い?」

「ええ、私はオルトロスですよ。弟も兄も軍人です。祖父に至っては総統閣下の地位にいます。祖母は軍の魔導部隊の軍師でした。何をもって普通とおっしゃるのでしょう?」


 私は間違ったことは言っていない。父も軍の大佐の地位にいるが、まぁいい。参謀本部の頭の硬い部署にいる父は、今は関係ない。

 私の言葉に剣を鞘に納めた閣下に、笑みを向ける。


「最初に言いましたが、この縁談が不服でしたら、閣下から断ってください」

「はぁ」


 すごくため息を吐かれた。だから、ため息を吐きたいのはこちらの方だ。


 そして、何故か私の隣に腰を降ろしてきた。確かに長椅子だから、三人ぐらいは座れる。しかし、しかしだ。普通は婚約者であっても隣には座らないだろう!


「で、俺の悪いところは目つきと殺気だけか?」

「口が悪いですね」

「それは元からだ」

「後は、背が小さいからといって、威圧的に見下さないでください」

「そんなつもりはないのだが?」

「機嫌が悪いと直ぐに、イライラ感を出すのも、やめてください」

「……」

「ヒューズ副官を甘やかしすぎだと思います。もっと仕事をやらせてください。あと、部下から気分によって訓練メニューが変わることに文句が出ているので、それもやめてください」

「……」

「それから……」

「金髪が地毛か? ミラ」


 ……やってしまったー! 日頃の鬱憤が口から出てしまった。

 腰を浮かして逃げようとしたが、既に敵の間合いの範囲内。私は腰を掴まれ、身動きが取れない状態に……。


 しくじった。墓穴を掘ってしまった。 


「ミラはいくつの顔を持っているんだ? いや、ミレーヌ」

「いきなり呼び捨てにしないでいただきたいものです」


 私がミラとわかった瞬間にミレーヌの名を呼び捨てにするな。それにいくつも顔なんて持ってはいない。っというか近い。閣下と私の間に隙間なんて無いなんて近すぎる!


「総統閣下が言っていたように、ミラは一筋縄ではいかないな。ミレーヌと話をしていても苦にならないと思ったら、ミラだったのなら納得だ」


 なんだ? 話が苦にならないとは?


「まずはデートだな。で、何処が良い?」

「まぁ?デェトだなんて……ふふふっ冗談ですわ」


 くそっ! 一時間ぐらい時が巻き戻らないだろうか。


「ミレーヌと俺は婚約者だからな。婚約者ならそれぐらい普通だろう?」


 ……閣下。笑顔で婚約者宣言をしないで欲しい。今、むず痒い感じに襲われて、とても逃げ出したい気分だ。


「では今度の休日はダンジョンに行くのはどうだ?」

「え? ダンジョン! 行く!……」


 しまった。思わず口が滑ってしまった。

 口を両手で押さえて、これ以上いらないことを言わないようにする。閣下とダンジョンに行くなら、めっちゃレアアイテム取れ放題なんて思ってしまった己を呪いたい。


「ついでに武器屋も寄ろうか」


 武器屋! ……くそー! なぜ、私の休日の行動が閣下にバレているんだ? 武器屋のオヤジに、色々武器を作って欲しいと言っていたりするのも、もしかしてバレているのか?


 閣下。私の反応を見てクツクツと笑わないで欲しい。


「それで、ミレーヌ。返事は?」

「閣下。取り敢えず、もう少し離れてください」

「必要ないだろう? それから、俺のことはヴァンと呼べ」

「ちっ!」


 私の要望が通らないことに、舌打ちが出る。


「ミラは俺の立場なんて関係ないと言ってくれた」


 ん? なんだ? 突然。


「誰もが一歩引いた感じで俺に接するが、ミラだけはそうやって、俺に食って掛かってきた」


 出会った時の話か? それは冒険者だった自分には軍の階級は関係ないと言った話だったはず。食って掛かったわけじゃない。


「俺の部下になっても、言うべき意見はきちんと言ってくれた。俺の立場からすれば、それはとても心を撃ち抜かれることだった」


 いや、上官だろうが、理不尽なことには、もう少し周りを見ろぐらいは言うべきだろう。諌める時は諌めないと、直属の部下である意味はない。


「ミラは肩書ではなく、俺自身を見てくれているとな。それで気になったのだ」


 気になった? 何がだろう。


「ミラの出自をだ」


 私の生まれを? まぁ、その辺りはミラという人物を作ったときに調べられても良いように作ってはいた。


「オルトロス侯爵領の山間の村の出身。十五年前の流行病でカサル村は壊滅的な状況になり、生き残りの村人は散り散りになった。その生き残ったミラは親戚の家を転々としてオルトロス侯爵家の使用人となった」


 そういう設定にしていた。実際にミラという人物はいるし、オルトロス侯爵家に縁があるのも間違いはない。しかし、使用人となって半年後に屋敷の金を盗んで、逃亡したことにより始末されたのだ。だから私はクソジジイに言ってその戸籍を買い、ミラに成り代わったのだ。


「何も問題がなかった。不自然な程にな」


 え? 不自然? どこが? 成り代わりは完璧だったはず。


「普通はなミレーヌ。身分は絶対だ。軍人だろうが、貴族だろうが、身分に逆らうことは首を斬られてもおかしくないことだ。しかし、ミラには、身分なんてものはクソ喰らえだぐらいにしか価値がなかった。不自然だろう?」


 やっぱり。ここで引っかかってしまったのか。これだから、貴族との結婚は嫌だったんだ。


 私には身分というものには無関係な世界で生きていた記憶がある。いわゆる、前世という記憶だ。だから、貴族社会が窮屈でならなかった。だから、貴族とは無関係な生き方をしたかった。

 それが冒険者だろうが、軍人だろうが構わなかった。


「それが、俺には新鮮だった。確かにヒューズも俺に意見を言ってくれるものの、一定以上は踏み込んでこない。普通はそんなものだ。しかし、ミラは俺を一人の人として見てくれる。嬉しかったんだ。そして、そんなミラが眩しかった」

「……本人を目の前にして、言わないでいただきたい」

「今更だろう?」


 今更だが。一週間前も惚気けられたが、本人とわかった上で話されるのも、どう反応していいかわからない。


「俺はそんなミラを逃さないと決めた」

「捕獲宣言!」

「そして、婚約者になったミレーヌがミラだった。これは明日、結婚式を挙げてもいい状況だ」

「閣下は馬鹿ですか? そんなことがまかり通ると思っているのですか?」

「そうやって、馬鹿呼ばわりするのもミラぐらいだ。因みに今回の婚約の書類と同時に、兄上のサイン入りの婚姻の書類も渡されている」


 ……私は閣下の手を払い除け立ち上がる。そして、部屋の扉に向かって駆けていった。


「お姉様ー! どこまで話が進んでいるのですかー!」


 閣下の兄上ということは、国王陛下のサイン入りの物が既に閣下の手元にあるということだ。

 今回の件、恐ろしいほどに私の逃げ道が封鎖されていた。これは既に婚姻に対してなにかしらのことが動いていてもおかしくはない状況に、私は慌てて姉の元に向かっていったのだった。





その後……



「閣下。もうすぐ会議の時間ですが?」


 閣下の執務室の一角に座り心地のよいソファーがいつのまにか置かれ、そこで優雅にコーヒーを飲んでいる閣下に声をかける。


「もう少しこのままで」

「閣下。私は愛玩動物ではないので、いい加減に膝の上から降りたいのですが?」


 そう、なぜか私は閣下の膝の上に乗せられている。最近の休憩時間と言っているこの状況には全く理解ができない。


「それから、ヴァンと呼べと言っているだろう?」

「閣下。要望が多すぎますね」

「これはミラが一緒に暮らさないと言ったからだ」

「昼間は閣下の執務室に詰めているのですから、婚約者の時点で一緒に暮らす意味がわかりません」

「ミラもミレーヌも堪能したいという俺の気持ちはどうなる?」

「その辺に捨てておいてください」


 結局結婚は一年後と決まってしまった。それからというもの、閣下は人目をはばからず、私に構い出した。


「ミラちゃん。書類見るの手伝ってくれないかなぁ」


 副官から文句が出てくるぐらいにだ。それもその文句を張本人の閣下に言わず、私に言ってくるのだ。


「閣下に言ってください」

「えー。魔眼で睨まれるからイヤなんだよ」


 そう閣下は眼帯をしていた左目に義眼である魔眼を入れ、両目の状態になっているのだ。それは私が目つきが悪いと言ったからなのだが、魔眼が相まって威圧度が更にアップしてしまったことに、副官からも部下からも私に文句を言ってくるのだ。


 いや、普通の魔眼ではこんなに威圧的にはならない。強いて言うなら、戦闘用の魔眼だと、使用状態により攻撃力が増すとはあった。しかし、威圧的にはならないはずだ。

 これはもう、閣下がワザと威圧を発しているとしか思えない。


 はぁ、本当にそろそろ移動しなければ、会議に遅れてしまう。


「ヴァン様。そろそろ会議に行きましょうか」

「わかった」


 そう言って閣下は私を抱えたまま立ち上がる。どうしようもないときは、名前を呼べばいいとわかったけれど、名前を呼ぶと調子に乗り出すから、たちが悪い。


「降ろしてください」

「ミラは可愛いな」

「降ろせ!」

「次のデートは何処に行こうか」

「昨日行ったばかりだ! 頭に虫でも湧いているのか?」


 今日も何気ない一日がこうして過ぎていくのだった。結局私はヴァンルクス将軍閣下の婚約者からも部下からも逃げることができずに、ミレーヌ・オルトロスは婚約者として、ミラは部下としての二重生活を続けることになったのだった。


「はぁ、どうしたらミラに好かれるのか、さっぱりわからない。嫌だと言われたことは直したぞ」


 確かに目つきの悪さも直り、副官の仕事は倍増している。


 しかし、そもそもだ。


「嫌っていたら、閣下の部下にはなっていません」

「それは俺のことを愛していると!」

「意訳し過ぎです。上官として尊敬はしていますし、一人の剣士としても素晴らしい……いきなりキスしてくるな!」


 貴族らしさが欠けた私を受け入れてくれるのは、きっとヴァンルクス将軍閣下ぐらいなのだろう。

 そして、これからもこんな日々が続いていく。それもまた良いのかもしれない。


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婚約者が好きな女性がいると言って惚気話を始めました〜閣下。それ私のことです〜 白雲八鈴 @hakumo-hatirin

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