壊れてしまった自分へ

@aoisoranoshita

1 綻び

人間にとって一番の敵とは何か。

いや、「動物、すべての生き物にとって」と言ってもいい。

裏切りか?違う。

捕食者か?違う。

飢餓か?違う。

死か?違う。


恐怖だ。


人間は恐怖心の塊だ。

朝には夜の心配をし、夜には朝の心配をする。

金、人間関係、コンプレックス、不安、ストレス……

現代社会における問題は、すべて恐怖に集約される。


人間は常に、もう一人の自分に見つめられている。

朝起きた時も、歯磨きをしている時も、勉強をしている時も、横になっている時も、

友達といる時も、出かけている時も、泳いでいる時も、寝ている時も。

もう一人の自分が告げて来る。

「お前はそれでいいのか?」

もしかすれば、敵が襲ってくるかもしれない。酔っぱらいか、強盗か、通り魔か?

もしかすれば、不幸が降りてくるかもしれない。雨か、嵐か、雷か?

もしかすれば、何かを忘れているかもしれない。締め切りか、会合か、宿題か。


もう一人の自分は、つねに不安をぶつけて来る。

このままでいいのか?

他人と比べてみるとちっぽけではないか?

そんなことに意味はあるのか?

疲れるのは嫌じゃないか?

理由はなんでもいい。自分を否定し、そして今のままでいさせようとする。

ひたすらに怠惰を貪り、SNSを流し見し、自堕落な睡眠にふけさせる。


それはひとえに、もう一人の自分とは本能であり、本能は恐怖を嫌うからだ。

変化とは恐怖だ。現状を変えるのは嫌だ。変えられるのも嫌だ。

幸運がどこかから降ってくるのを待てばいい。

自分から行く必要はない。

なぜ目の前の刺激的なものに夢中ではいけないんだ?

なぜ頑張らなくてはならない?

頑張るのは疲れる。疲れるのは嫌だ。

そして、そんな自分に嫌気が刺すほど、殊更に何もしたくなくなる。

今更始めたところでなんだというのだ。

どうせ何にもなりはしない。

誰かを頼ればいい、自分で何かする必要はない。

自分だってこんな風にはなりたくなかった。

こんな自分を生んだ両親が悪い。

社会が悪い。

世界が悪い。


そして、人生は灰色になる。



君は今、恐怖を感じ続けている。

恐怖に挟まれていると言ってもいい。

現状を変えないことへの恐怖と、現状を変えようとすることへの恐怖。

「このままでいいのか?」片方がそう呟けば、

「このままでいなくていいのか?」もう片方がそう呟く。

一人きりの部屋。何の娯楽にふけようと、その恐怖を払うことはできない。

孤独が、徐々に恐怖を強めていく。

今までであれば、無理やり寝込んだり、薬を飲んだり、何らかの娯楽を摂取すれば、

恐怖を誤魔化すことができた。

しかし、それも今はかなわない。

寝ても恐怖が続くことは分かっている。

薬の効果が切れれば再発するのは分かっている。

見飽きてしまって、もうネットの世界に大した娯楽がないのは分かっている。

もはや恐怖から逃れることはできない。


どこから始まったのか?

いくつかの場面が思い浮かぶ。

あれか、それともあれか。

そのどれもが、君の心に綻びをつくるのに十分な出来事だった。

そして、綻びの連続により壊れてしまった心は、もう元に戻ることはない。

何も自分を癒やさない。

何にも意味を見出せない。

君の心は壊れてしまった。

いや、元々壊れていたに違いない。


自分の心に声を掛けられるのは、自分だけだ。

だから、壊れた心を直すことができるのも、多分自分だけだ。

でも、今は何もかもに疲れているんだ。

あと一時間してから、診療を開始することにしよう。

それまでは、深呼吸でこの場を繋ぐんだ。

いいね?

君の回復を、祈っているよ。

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