イチロウ

 ――鎖。


 鎖というものは、よくできている。

 武器にもなり、防具にもなり、道具にもなる。


 だが、筆頭すべきはその強度だ。

 劣化した鎖、もしくは細工でもされていない限り、引き千切られることはまずないだろう。


 囚人を繋ぐのに使われるのも納得がいく。

 どんなに足掻いても、どんなに動いても、鎖に繋がれたら絶対に逃げられない。

 発狂しても、絶望しても、ただ音がするだけ。


 ――ジャラジャラ……ジャラジャラ…………


 その音は、私の足から。

 その音は、私の手から。

 その音は、私の体から。


 ――ジャラジャラ……ジャラジャラ…………


 聞き馴れた音。

 聞きたくない音。

 ……聞きたい音。


 私はこの音が――――


「……人の話を聞け」


「……つっ!」


 ごんっ! という鈍い音が、静けさに包まれた屋敷に響き渡る。


 今は、月明かりが最も映え、安らぎ楽しみ、虫も気持ちよさそうに鳴く夜の時間だ。

 そんな時間に、このような音は非常に迷惑だろう。


 本来ならば、安らぎの静寂を阻害された屋敷の者、音に驚き鳴くことをやめてしまった虫など、迷惑をかけたものたちへの謝罪の念が心に押し寄せてくるところだが、正直今は、そんなことよりも認識すべき重要なことが四つある。


 一つ、この音が、第三者によって人為的に鳴らされた音であること。

 二つ、その音の発生源が、私の頭からということ。

 三つ、こつんっという音ではなく、ごんっ! という音であること。

 四つ、頭蓋に染み渡るかのような痛みが走っていること。


 これらの点から考えるに、後ろから私の髪を櫛で整えている人間が、注意するという行動に適さないことをやったということだ。


「……いくら呆然としていたからといって、頭を拳で小突くのはどうかと思います、親方様」


「俺に仕える忍のくせに、主の話を聞かないで呆けているお前が悪い」


 その言葉は、忍としてさすがに思うところがあるので、軽く言い返す。


「お言葉ですが、忍として、主の言葉を無視するなどありえません。ちゃんと聞いておりました。ですが、特に任務に関わる言葉がありませんでしたので、聞き流していただけです」


 よし、完全に論破した。

 これならこの人を黙らせ……


「だったら、主として命令する。葉月、俺の話をちゃんと聞け」


「…………ちっ」


「おい、今舌打ちしたか?」


「忍が主に対して、舌打ちなどするわけがございません。気のせいではないでしょうか」


 おそらく、主の話を聞かず、しかも注意される忍なぞこの世にいないだろう。

 主の言葉は何よりも優先する。

 それが正しい忍の姿だ。


 だが……


「よし、ちゃんと聞いているなら改めて言うぞ、葉月。少しは身嗜みに気をつかえ。髪なんてボサボサだろうが。こんなに綺麗な髪なのにもったいないぞ」


 ……こんなことばかり言われていたら、無視して呆けたくもなる。


 親方様は、以前から私に色々なことを言ってくる。

 『婿が欲しくなったら言え。なんだったら、すぐにでも紹介するぞ』、『任務で長期間俺から離れるときは事前に言え。心配になるだろうが』といったものや、『齢二十だというのに、お前は色々と小さいな。もっと食え』という、失礼極まりないものまである。


 呆ける前の言葉など、『忍である前にお前は女なんだから、簪をつけるとか、着物を買うとか、少しはお洒落でもしろ』だ。


 男も女も篭絡させる術を得意とする忍ならまだしも、私は、暗殺や裏工作、護衛が担当の忍だ。


 そんな私が、お洒落に気をつかってなんになるというのか。


 というか、忍に目立つ格好をさせようとするな。


「…………ご下命賜ります」


 色々と言いたいことはあるが、とりあえず、いつものように言葉を返す。


「阿呆が」


「……うっ!」


 ごんっという鈍い音と、頭蓋に浸透する衝撃。

 間違いない。


 懲らしめるという行動には適さないことを、この人はやった。

 本日二度目だ。

 絶対に許せない。


「……小突かれた理由をお聞きしても宜しいでしょうか。親方様」


「断る。自分で考えろ」


「……お言葉ですが……むぐっ」


 私の髪を櫛で梳きながら、抗議しようとした私の口に甘菓子を放り込む親方様。

 おそらく日の本で初の、『任務中に、主に甘菓子を食べさせられる忍』誕生の瞬間だ。


「折角だし、髪型も変えてみるか」


 そう言いながら、今度は私の髪型を弄りだす。

 私の髪型なぞ弄って、一体何に……いや、もう考えることを放棄しよう。


 リーリーリーリー……


 私と親方様が話すことをやめたことにより、『人の活気』がなくなったからだろう。

 辺りはまた静けさを取り戻し、虫が鳴き始める。


(…………)


 なんとなく、体勢を立て直す振りをして、後ろの親方様の顔を覗く。

 どうやら完全に、私の髪を弄るのに夢中になっているようだ。


(……今ならこの人を、簡単に暗殺できる)


 そんな無防備の親方様を見て、ふとこんなことを思う。


 この距離ならば、いくら武人でもある親方様だろうと確実に暗殺できる。

 肘を入れて相手を怯ませて止めの一撃……髪に毒を仕込む……物心ついた頃から忍として生きている私ならば、少し考えるだけで、暗殺手段は百通り以上出てくる。


(ここで私がこの人を殺したら、私は自由になるのだろうか……)


 自由……忍としてではない、一人の女として生きる道。


 もし私が自由なら、どんな生活を送っているのだろうか?


 どこか適当な店で働く?

 夫を見つけて、幸せに暮らす?

 そして、自分の子供に囲まれながら、平和な日々を送る?


 誰かを殺すことも、寝るときすら誰かに襲われることを気にしない生活。

 この人が居なければ……この人に仕えていなければ……


――ジャラジャラ……ジャラジャラ…………


 ……いつもの音がする。

 私を縛る鎖の音が。


 我に返った私は、馬鹿なことを考えたと自嘲する。


 普通の暮らしなどありえない……いや、そんな選択肢は存在しないのだ。


 忍と主君。

 この関係は絶対であり、例えこの藩が没落しようとも、私はこの人に仕える。


 幼い頃よりただそうしろと言われ、そう育てられてきた。

 今すぐ切腹しろと言われても、裸で町の中を歩いてこいと言われても、私は実行しなくてはならない。


 この人の言う通りにする、それが私の『普通の暮らし』なのだから。


「……よし、その沈黙は承諾の態度として受け取るぞ」


「えっ?」


「お前の中忍祝いだ。いやいや、今から楽しみだぜ! 藩中の人間集めて宴をやるからな」


「はぁ!?」


「それにしても、葉月も中忍か~。お前が俺の直属になってからもう十年……時が経つのは早いもんだ」


「そ、それは、何度もお断りしたはぅれふ!」


 堪らず私が振り返るのを予測していた親方様の指が、私の頬に刺さる。


 悪戯が成功したのが余程嬉しいのか、してやったりのしたり顔になる。


 ……今度、親方様の寝床に百足でも放り込んでやろうか。


「『そういえば、お前の中忍祝い、どうしてもやりたくないなら言ってくれ。異存がないならそのまま黙っていていろ』、俺はこう言って、お前は黙っていた。 まあ、黙っていたというより呆けていた感じだったがな」


 したり顔のまま立ち上がる親方様。


「誰かいるか!」


「……木乃葉、お側に」


 私と同じ、忍の木乃葉が現れる。


 本来、奥方様の守護が任務なのだが、私がいつものように親方様に絡まれているのを見て、奥方様の警護をもう一人の下忍である芙美に任せ、私の任を引き次いでくれたのだろう。


「先ほどの話、聞いていたな? お前が証人だ。それと、ここまでやっても、葉月は死ぬほどごねてくるだろうから、妹としてお前が説得しろ。いいな」


「お言葉ですが、忍は証人という立場になりえません。加えて言うならば、木乃葉と葉月様は姉妹ではありません」


「……成る程。お前の言うことは『世間』では正しいな」


 そのまま、外が見える場所へと移動する親方様。


 忍は影である。

 影に口はなく、意思もない。

 そんな存在が証人になれるわけがない。


 これが、この人が見る外……『世間』では当たり前とされる忍の姿だ。


「……ふんっ!」


 ばしっ! と、まるで外の世界を……『世間』を拒絶するかのように、強い音を立てながら襖を閉める。


 外の世界は完全に遮られ、この場は、親方様が支配する世界となる。


「偸組下忍、木乃葉! 加賀藩藩主、前田又左衞門利家が問う!」


「はっ!」


「加賀藩の方針を決める人間は誰だ!」


「親方様です!」


「俺が打ち出す藩の方針は!」


「は、はんのにんげんは、ぜんいんかぞくである……」


「聞こえぬ! ものを申す時は、腹に力を入れよ!」


「藩の人間は全員家族である、です!」


「その方針から考えて、葉月とお前の関係はなんだ!」


「姉と妹です!」


「ならば、お前と俺の関係はなんだ!」


「お、親と娘になります!」


「では、『世間』の常識から考え、藩主の娘は証人として不足であるか!」


「不足ではありません!」


「まだ何か問題はあるか!」


「ありません!」


「よし、任務を続けろ」


「はっ!」


 任務に戻ろうとする木乃葉に、この人は世間話のような口調で……


「あ、それと、お前の裳着は別日にやるからな。十三になったお前を祝うから楽しみにしてろよ」


 ……炸裂弾に匹敵する破壊力の言葉を発する。

 その言葉は飛び去ろうとした木乃葉に直撃し、そのまま地面に倒れこむ。

 おそらく日の本で初の、『任務中にずっこける忍』の誕生の瞬間だ。


「な、何を言い出しますか親方様! というか、何度も申しますが、忍が裳着をするなど聞いたことありません!」


「そんなこと知るか! 藩主である俺が決めたからいいんだよ!」


 もはや、やりたい放題すぎる主に翻弄される木乃葉に、心から同情する。

 あとで、好物の蜜柑でも用意してあげよう。


「それより、任務外では『ぱぱ』と呼べと言ってるだろ! 折角、信長様から教わった伴天連の言葉なんだぞ! このままじゃ、いつ呼ばれるか楽しみでそわそわしている俺が、馬鹿みたいだろうが!」


 その点については問題ないと思う。

 理由は簡単。

 親方様は、本物の馬鹿だからだ。


「い、今は任務中です! ですので、親方様とお呼びすることに何ら問題ないはずです!」


「違います~。お前はまだ護衛の任務に戻ってなくてここにいます~。つまりまだ任務に戻ってないんです~」


「……う、うぅぅ~!」


 親方様に屁理屈と頓智に言いくるめられる木乃葉。

 舌戦の技術など私たちに必要ないが、今後も親方様に弄られることを考えると、木乃葉には多少鍛練が必要かもしれない。


「まったく、どいつもこいつも何で呼んでくれないんだよ! 葉月も何が親方様だ! 俺はお前の父のようなものだぞ! 任務外では、ぱぱと呼べ!」


 そして、面倒ごとがこっちに飛び火する。

 もはや付き合いきれないので、ここは適当に流すとしよう。


「……ぱ~ぱ」


「お前今、馬~鹿の口調で言っただろ!」


「気のせいでございます」


「おまっ……反抗期か! さっきも嫌味たっぷりに御下命とか言うし! あれは父から娘へのお願いだろうが! そろそろ泣くぞ俺!」


 そう言いながら、本当に涙ぐむ親方様。

 戦場では『槍の又坐』と呼ばれる猛将に涙を流させるとは、私は上忍になれる器かもしれない。


「あ、あの……親方様。木乃派、任務外のときは努力いたしますので……」


「俺を慰めてくれるのか……ありがとよ、木乃葉。裳着、ちゃんとやろうな」


「はい……はいっ!?」


「よーし言質取った! 今からどんな裳着にするか計画しなければ……藩主の役目などやっている場合ではないな!」


「は、図りましたね親方様! それと、藩主の役目はちゃんとやってくださいませ!」


 木乃葉……迂闊なことを。

 やはり木乃葉には、舌戦の鍛練が必要だ。


(……これが、私の日常か)


 木乃葉と親方様のやり取りを見ながら、なんとなく思う。


 ――ジャラジャラ……ジャラジャラ…………


 ……鎖の音が聞こえてくる。

 私と親方様を……主君と忍を繋ぐ音が。


 私が死ぬまで、この音は鳴り続けるのだろう。

 この音が鳴る限り、私は忍から他の者になることなどないのだろう。


「……ぱぱ」


「ん? 何か言ったか葉づ……あ、こら逃げるな木乃葉! 葉月が終わったから、次はお前の髪を整えるんだからな!」


「お、お許しください! おまつ様! 親方様がご乱心です~!」


「誰がご乱心だ! 俺は至って真面目だ!」


「それが問題なのです!」


「……なんの騒ぎ?」


 そこに現れる、まだ幼さを残した奥方様のおまつ様。


 木乃葉から簡単な事情を聞くや否や、その幼い容姿からは考えられない、武家の嫁ならではの覇気を放ち始める。


「……旦那様。まつ、この前も言った」


 そして、その覇気は醜態を晒す親方様ではなく……


「……葉月には、この南蛮渡来のどれすの方が似合う」


 非常に良い笑顔と共に、木乃葉へと放たれる。


「おお、そうだったな! ではこの、ふりるとやらがついた、ごすろりどれすを!」


「や、やぶ蛇!? は、葉月様! 助太刀を!」


「……では、任務に戻りますのでこれにて」


「そ、そんな殺生な~!」


 ――ジャラジャラ……ジャラジャラ…………


 今日も鎖の音が鳴る。


 これからも、この先も。

 私が生きている限り、この音は鳴り続ける。


 ――ジャラジャラ……ジャラジャラ…………


 聞き馴れた音。

 聞きたくない音。

 ……聞きたい音。


 私はこの鎖の音が――


「葉月! 似合っているんだから、今日だけでもその髪型戻すなよ!」


「……それは、ご下命ですか?」


「ぱぱのお願いだよ」


 ――『家族』という鎖の音が、好きなのかもしれない。


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短く、読みやすく、面白くの練習作品で、他のサイトに投降したものです。

文章って難しい……でもやっぱり面白いですね( ´ー`)y-~~

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イチロウ @15madoloxtuku59

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