第十一話 自滅

 〜兜城カブトシロー視点〜






 まずい! まずい! まずい! ついエアグルーヴを大敗させることばかり考えていたせいで、真の目的を忘れてしまっていた!


『先頭はエアグルーヴ、続いてカブトシロー、その後をメジロパーマーとナイママ、ここでゴールドシチーが上がってきた!』


 実況の中山が放つ言葉には、俺が単勝賭けした馬の名前が出て来ない。つまり、名前を言うまでもない程の後方にいると言う訳だ。


 札幌競馬場の直線はそれほど長くはない。このままでは、エアシャカールが1着を取ってしまう。


 そう考えていると、エアグルーヴの走る速度が遅くなっているのか、距離が次第に縮まってくる。


 もしかしてバテ始めたのか? もしそうなら幸運だ。これからこいつを妨害して後に下げることができたら、後は場面を操作するだけだ。うまくすればまだ間に合うはず。


 カブトシローの名馬の伝説レジェンドオブアフェイマスホースは使えない。記憶を消す薬を投与した副作用で必殺技が使えなくなっている。手持ちのアビリティだけでやりくりするしかない。


兜城カブトシロー、そろそろゴール板が迫っているな。最後の仕上げと行こうじゃないか」


 カブトシローがエアグルーヴに追い付くと、大気釈迦流エアシャカールが声をかけてくる。


 最後の仕上げだと? 一体何をやってくるつもりだ。


「エアグルーヴ尻尾を上げろ!」


『な! 何を言っておるのだ小僧! 妾になんてことをさせようとする! いくら霊馬と言えど、そのようなハレンチな行為ができる訳ではなかろう! それに今はレース中であるぞ!』


 大気釈迦流エアシャカールの言葉にエアグルーヴは声を上げる。


 牝馬が尻尾を上げる行為はウインキングと呼ばれ、発情しているサインだ。尻尾をあげて陰部を開閉していれば、それは発情中であるサインだ。その他にもフェロモンを含んだ尿を出すこともある。


 レース中にウインキングをするなど、痴女のような行為とも取れる。


 流石に女帝と呼ばれた名牝馬が、レース中にそのようなことをするなどあり得ない。


「ちょっと上げて直ぐに下げるだけで良い! 頼む! 俺に勝利を届けるためにやってくれ!」


『クッ、屈辱的だが仕方がない。小僧を信じておるからな』


 エアグルーヴが少し前に出る。すると、一度尻尾を上げて陰部を晒すと直ぐに尻尾を下げた。


『くっ、殺せ! 恥を晒したまま霊馬として生きておけぬ! 生前交配した牡馬や子どもたちに顔向けが出ない!』


 ウインキングもどきの動きを見せ、エアグルーヴが声を上げる。


 その瞬間、騎乗しているカブトシローの動きに変化が訪れた。


 エアグルーヴの後に付け、彼女に追従する形で走り始める。


 まさか、カブトシローがエアグルーヴに発情しているのか!


 馬と言う生き物は長日性季節繁殖動物と呼ばれ、日本を含む北半球では4月〜9月が繁殖の季節と言われている。


 牝馬には繁殖のためにこれらの期間が発情期となっているが、牡馬に関しては、発情期は存在していない。牝馬が発情中のサインを出して入れば牡馬は発情するし、人間と同じように発情する時は発情する。


 馬が生きていた時代は繁殖期間ではないものの、牝馬に発情してレースに集中できない牡馬も居たし、気性の荒い馬などは最終的には去勢手術を受け第三の性であるセン馬として新な馬生を過ごす。


 過去のレースでも、実力はあるのに、牝馬と走ったことで牝馬の尻を追いかけ、実力が出せずに負けている競走馬も存在している。


 今のカブトシローがそれと同じ現象を起こしている。


 まずい。このままでは俺が買った馬券が紙屑になってしまう。


 早くこいつの目を覚させないと、エアグルーヴの尻を追いかけたままゴールをしてしまうじゃないか。


「くそう! くそう! くそう! 目を覚ませ! カブトシロー!」


 騎乗しているカブトシローに何度も鞭を叩き付ける。


 だが、それは逆効果だった。何度も鞭を打ったことで、速度を上げるように指示が入ったと勘違いをしたようで、今度はエアグルーヴを躱して前に出た。


 どうしてこうなったああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!


「バカ! バカ! くそ野郎が! 何をしているんだ! さっさと速度を落とせ!」


 速度を落とすように指示を出すも、カブトシローには俺の声は届いていないようだ。


 くそう。これもあの薬の効果なのかよ!


 カブトシローは1番人気になっている。このままでは人気に応えて1着でゴールをすることになる。


「やめろ。やめろ。やめろ! やめろおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 ついに大声を出してしまった。なんとしても勝ちたくない俺は、強引に手綱を引っ張り、全体重を後方に持って速度を落とすように試みる。


 だが、カブトシローの速度は緩めることはなかった。


 手綱を引っ張られ、首を横に向けられながらも、競走馬の本能によるものなのか、カブトシローは走り続けた。


 霊馬競馬になる前の時代、騎手と馬が会話をすることができなかったとき、騎乗する馬をコントロールするのは難しく、至難の業だと言われていたが、ここまでだとは。


「勝ちたくない! 勝ちたくない! 勝ちたくないいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!」


 怒りと悔しさと悲しみによるものなのか、気が付くと俺の目からは涙が流れていた。


 俺の金が! 全財産が! 紙屑になっていくうううううううぅぅぅぅぅぅ!


『先頭はカブトシローのままゴールイン! 2着エアグルーヴ、3着ゴールドシチー! カブトシロー、人気に応えました』


 決着のアナウンスが耳に入り、俺は絶望の淵に立たされた。

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