第十一話 さようなら、悲劇のヒロイン
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まさか、ハルウララが追い付いて来るなんて、計算外だったわ。でも、まだやれる。アストンマーチャンは、まだ力を残しているわ。
アストンマーチャンの体に鞭を叩き、彼女の
それにより、アストンマーチャンは加速し、一気に駆け出した。
『アストンマーチャンに追い付いたハルウララ! しかし、直ぐに縮めた距離を引き離されてしまった! ゴールまで、後200メートル!』
ゴールまであともう少し、このまま一気に駆け抜けて、アストンマーチャンを優勝させるのよ! そして、次はダイワスカーレットを倒す!
全速力でアストンマーチャンが駆けてくれているお陰で、風の抵抗を受けてしまう。
冷たい風が頬に辺り、私は歯を食い縛りながらゴールを見続ける。
アストンマーチャンのためにも、私は彼女を優勝へと導いてみせる! もう、ダイワスカーレット=ウォッカなんて言わせない! 本当はアストンマーチャンを含めた3強なのよ!
ダイワスカーレットとの勝負に思いを馳せていると、脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。
私は、物心が付く前から、アストンマーチャンと呼ばれる名馬のことを気に入っていたらしい。
『アストンマーチャン速い! これが、ウオッカを追い詰めた走りだ! アストンマーチャン、ゴールイン! スプリンターズステークスを制しました!』
「あのお馬さん速〜い! それになんだか可愛い!」
私は祖父の膝の上に座って、当時の競馬の映像を見ていた。
「お前は本当にアストンマーチャンのことが大好きだな」
「うん! だって、私と同じ名前のお馬さんだもの! あんなに優しそうな目をしているのに、あんなに速いなんて! だって、レースが始まって2分も経っていないのでしょう?」
「まぁ、短距離走だからな。平均して90秒の世界だ。目を離すといつの間にか順位が入れ替わっていることもある」
「あんなに速いのなら、みんなアストンマーチャンのことを知っているよね! 私、絶対に彼女と契約をする! そして、世界一の霊馬騎手となって、おじいちゃんを喜ばせるからね!」
「そうかい? なら、長生きをしなくてはいけないな」
幼い頃の私は、祖父の温もりを感じる手で頭を撫でられながら、現実を知らないで夢物語のように語っていた。
でも、成長すると、現実は違うと言う事を思い知らされた。
ウオッカと言えばダイワスカーレット、ダイワスカーレットと言えばウオッカ。当時の
辛うじて一部の人たちがアストンマーチャンを含めて3強と言ってくれる程度。でも、そんな人、全国の競馬ファンの1割にも満たなかったはず。
阪神ジュベナイルフィリ―ズでウォッカ相手にクビ差で負けてしまった。でも、その功績があったからこそ、3強になり得る力があった。でも、翌年の桜花賞、それが2強となるか3強となるかの分かれ道だった。
結果は1着ダイワスカーレット、2着ウォッカ。そしてアストンマーチャンは2番人気であったのにも関わらず、7着となって入賞すらできなかった。
この日を境に、アストンマーチャンは短距離への道へと進み、ウオッカはマイル中距離、そしてダイワスカーレットは中距離長距離へと自分が得意とする距離へと進んだ。
互いに中距離を得意とするダイワスカーレットとウオッカは互いにレースで競うことはあっても、アストンマーチャンは居ないレース。人々からはアストンマーチャンの記憶は忘れられ、2強と言う価値観が確定してしまった。
『残り100メートル! ハルウララは懸命に走っているが、果たして追いつけるのか! 後続からも、ファイングレインとコパノフウジンが追いかけて来る!』
実況の言葉に、私は我に返った。
いつの間にか、ゴールが間近に迫って来ている。
このレースに勝って、ダイワスカーレットに挑む挑戦権を得てみせる!
だって、アストンマーチャンはウォッカやダイワスカーレットに並びかけていたのよ。運命の歯車が噛み合ったのなら、2強ではなく3強が確定していたパラレルワールドだって実在するはず。
霊馬となってからでは遅いかもしれないけれど、霊馬の歴史を、私が変えてみせる!
ウォッカ、ダイワスカーレットの2強ではない! アストンマーチャンを含めた3強だってことを、世間に知らしめる!
アストンマーチャンに鞭を入れ、速度を上げるように指示を出す。けれど、アストンマーチャンは合図に気付いていないのか、速度を上げることはなかった。
「アストンマーチャン! 何をしているの! 速度を上げてよ! 後には、ハルウララだけではないわ。ファイングレインやコパノフウジンだって、いつ追い付いて来るのか分からないのよ!」
『ごめんなさい。どうやら私はここまでのようだわ』
「ここまでって何を言って……はっ!」
彼女の言っている意味が分からず、叱責の声を出す。けれど、直ぐに言葉の意味を理解してしまった。
「うそ……でしょう。アストンマーチャンが消滅しかけている」
アストンマーチャンの肉体を構成している粒子に反粒子が発生しているようで、ふたつの異なる粒子が接触したことで、エネルギーを生み出して消滅していることに気付いた。
「これって……もしかしてデメリットステータスの
アストンマーチャンはシルクロードステークスを出走後、病気を患って僅か4歳でこの世を去った。
もしかして、シルクロードステークスを走ったから、デメリットステータスが発生してしまったの!
「お願い! 頑張ってよ! 後もう少しなんだから、あなたはこんな所で消えてはいけない。この後、ダイワスカーレットとの勝負も控えているのだから」
『ごめんなさい。私と同じ名を持つ少女。でももう良いの』
「良くない! 簡単に諦めないで! 私はあなたが大好きだった。小さい頃からあなたの走りに憧れ、勇気をもらった。今度は私がそのお礼をする番! 絶対に勝たせて、みんなにアストンマーチャンの名を轟かせるのよ!」
『ありがとう。私のためにこれまで頑張ってくれて。でも、良いの。私がマイルや中距離でも走れるスタミナがないから、あんなことになったのだから。あなたは何も悪くない。あなたのその気持ちだけで十分よ。霊馬となってまたレースに走ることができた。それだけで満足……だから……だからね。あなたは私のために走るのではなく……自分の……ために……今まで……ありが……とう』
彼女の弱々しい声が耳に入って来た瞬間、アストンマーチャンの肉体は完全に消滅した。
一瞬の浮遊感の後、重力に引っ張られる感覚を覚えた。
アストンマーチャンごめんなさい。私が無理をさせてしまったから、あなたを消滅へと追いやってしまった。彼女の名を全国に轟かせるどころか、消滅へと追いやった無能な霊馬騎手は存在する意味なんて。
このまま馬たちに蹴られて命を絶とう。霊馬騎手として馬の足で命を絶つのなら本望だわ。
『お願い! 死なないで!』
え⁈
一瞬だけ、アストンマーチャンの声が聞こえたような気がした。そんなはずはない。だって、アストンマーチャンは既に消滅している。
「掴まれ!」
どこからか声が聞こえ、そちらに向かって自然と手が動いた。
温かい。この手は
「大丈夫だ。お前を芝には落とさせない」
「奇跡の名馬!」
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