第2話 甘く切ないくちどけの

 ――二日後。

 

 仕事を終えた俺は、夜のサン=ジェリ通りのパブで一人、ベルギービールの祝杯をあげていた。

 パブを出ると酔い覚ましに十分ほど歩いて、世界遺産の観光名所、グラン・プラス広場に向かう。

 ほとんどの店がビジネスアワーで閉まる、ここベルギーの首都ブリュッセルでも、有名ショコラティエだけは明かりが付いている。観光客相手に夜遅くまでやっているからだが、飲み明けにチョコレートを買っていくベルギー人も少なくない。

 ホテルに戻って有名ショコラティエのチョコで飲み直すかと、俺が足を向けようとしたその時。


「ショーゴ」


 背後から聞き覚えのある声。俺の鼓動が、ドクッと大きく音を立てる。

 振り返ったグラン・プラス広場には、厚手のコートを羽織る金髪紫目の美少女が立っていた。


「コルレ……どうして君がここに」

「最初に言ったじゃない。私の父はベルギー人だって。ここに私がいても、何ら不思議はないでしょう?」


 学校の制服姿じゃない彼女は少し大人びて見えるが、間違いなくコルレだ。

 そんなバカな、ここはブリュッセルだぞ? 日本の女子高生がわずか二日で、海外にいる俺を探し当てたというのか!?


 コルレは俺に近付くと、親しげに自らの腕を絡ませてくる。

 気が動転してなすがままの俺は、そのまま人気のない路地裏に連れていかれた。


「さて、まずはどうしてバレンタインデー前日に失踪したのか……聞かせてもらえるかしら?」

「何も言わずにいなくなったのは悪かった……実はあの時、借金取りに追われていたんだ。だから君に連絡したら迷惑がかかるし、すぐにでも逃げ出さなければいけなかった」


 咄嗟に出た言い訳にしては筋が通っている。少し冷静になってきた証拠だ。


「なるほどね。じゃあこれを食べてもらって、もう一回聞いてみてもいいかしら?」


 そう思ったのも束の間。またしても俺の心臓が跳ね上がる。

 コルレがポケットから取り出したチョコの箱。摘まんで見せたボンボンショコラは……俺が作った限定チョコだった。


「そ……それは何だ……」

「あら、自分で作った力作を忘れちゃったの? 寂しいわ。このチョコの開発には私も味見で随分貢献したっていうのに……。もっとも、最後の日の一個だけしか、これと同じ詰め物フィリングは食べれなかったけどね」

「君は何を言ってるんだ!? またお得意の厨二病発言かい?」


 指先に摘まんだチョコを、コルレは俺の前に差し出した。俺は反射的にその手を払い、チョコは地面に落ちてしまう。


「このボンボンショコラに入ってるのは、ただのガナッシュじゃない。カルダモンスパイスのエキゾチックな香りに似た、ダチュラの花弁をすり潰して入れた自白剤入りのチョコよ」

「ブリュッセルに来てまで、君の虚言癖に付き合う気はない。俺は忙しいんだ」

「ショーゴが私の事を、虚言癖のある厨二病患者だと確信してる事こそ、何よりの証拠なの……。店で最後の試食をした時に、あなたは私にそのチョコを食べさせ、自白させたのだから」

「……あの時の事……覚えているのかっ!?」

「言ったはずよ、私は殺し屋。ダチュラに含まれる毒薬スコポラミンなんて、子供の頃からおやつ代わりに摂取して耐性が付いてるの」


 コルレの衝撃発言に、俺は後ずさって思わず尻餅を付いてしまう。

 全ては計画通りだったはずなのに……あれは全部、殺し屋コルレの演技だったというのか!


「今朝、EU本部に納品された限定チョコは、私の組織が全て回収したわ。あなたの依頼主はこれを使って、ヨーロッパ各国首脳の腹の内を探ろうとしていたけれど、チョコが納品されてないんじゃどうしようもなかったみたいね。今頃あなたを血眼になって探していると思うわ」


 コルレの背後には、数人の人影が見える。

 路地裏に誰も入って来れないよう……俺が逃げ出せないよう、見張っているのだ。


「ま……待ってくれ! 俺だって好きでこんな事をしたわけじゃない! 脅されて仕方なくやってただけなんだ!」


 尻餅を付いたまま弁明する俺を無視して、コルレは箱からもうひとつ、チョコを取り出した。


「言い訳は、これを食べてもらってからでもいいかしら?」


 冷たく見下ろす瞳と、差し出された一粒のチョコ。

 どちらも可憐なダチュラの花のように、甘くエキゾチックな芳香を放っている。


「あなたはこのチョコを開発するために、バレンタインデーなんていう平和ボケの極致に舞い上がる日本に店を構えた。そこに痛い発言を繰り返す、チョコにうるさいベルギーハーフの厨二病が現れた。格好のテスターを獲得したあなたは、ダチュラ入りガナッシュと近い味が出るカルダモンスパイスを使って、より味の追求をする事にした。自白剤入りチョコの品質を高めるために」


 俺は、コルレの手からチョコを受け取った。俺が作った最高傑作――自白剤入りの限定チョコを。


「バレンタイン前日、最後のテストは味ではなく、効果実験だった。初めてフェイクのカルダモンではなく、本番用のダチュラを使ったチョコを私に食べさせ、自白を導き出した。私は虚言癖のある厨二病だと告白し、限定チョコはついに完成。あなたは用済みとばかりに日本を発ち、今朝、依頼主の言う通りにチョコの納品を果たした」

「俺がこれを食べて自白すれば、信じてくれるんだな。俺だって、無理矢理やらされていた事を」

「あなたが食べたければ、ね」


 このままでは間違いなく殺されてしまう。俺は被害者である事を証明しなければならない。

 ダチュラを自白剤に選んだ時から、俺だって何度か口にしている。コルレほどではないにせよ、多少の耐性は付いているはずだ。

 意を決して限定チョコを口に入れた瞬間、舌に纏わりつく強烈な苦みに、俺はすぐさまチョコを吐き出した。


「ぐえっ! ……ごほっ! がっ! これはっ……なんだ!?」


 むせ返りながら吐き出した地面を見て、愕然とする。

 真っ赤な吐血が、石畳にべっとりと落ちていた。


「私は、コルレ・ナカムラ・ジェノヴェーゼ。名前と見た目からお察しの通り、チョコレートが大好きなベルギーハーフよ。金髪紫目しめはその証。あなたがマッドサイエンティストならぬ狂気のチョコ職人マッドショコラティエだとするならば、私はさしずめ狂気の薬剤師マッドファーマシスト――毒薬専門の、殺し屋なの」


 コルレの自己紹介を聞いていられないほど、俺は強烈な頭痛に見舞われていた。

 酷い眩暈で立ち上がる事もできず、石畳の上で必死にのたうち回る。

 見上げたコルレは一歩も動いていないのに、その立ち姿は激しく揺れ、歪んでいく。


「殺し屋にもらったバレンタインチョコを口にするなんて、やっぱりあなたもチョコ大好きなのね」

「君がくれるプレゼントなら……爆弾にだってかじりつくさ」


 這いつくばって強がる俺のセリフに、返ってきた言葉は覚えていない。


 美少女からもらったチョコで死ねるなら、ショコラティエの最期としては悪くないか。


 そんな事を考えながら、俺は意識を手放した。



* * *



 目が覚めると、俺は走行中の車の後部座席に寝転んでいた。


「あら、おはよう。もう目覚めたのね」


 運転席からコルレの声が飛んでくる。


「殺し屋は、死神サービスもやってるのか?」


 ガンガン響く頭を振って、必死に記憶を辿る。

 俺は確かにあの路地裏で、毒入りチョコを食べて意識を失ったはず。それがなぜ、まだ生きている……。

 コルレはクスッと笑うと、得意げな声で説明する。


狂気のチョコ職人マッドショコラティエなら、ブリュッセルの路地裏で死んだ事になってるわ。あなたが食べたチョコには致死性の毒じゃなく、一時的に人を仮死状態にする薬物を入れておいたの。依頼人にはちゃんと死体を確認してもらったから、あなたはもう自由よ。どこかでまっとうなショコラティエとして、腕を振るいなさい」

「どうして俺を……助けた?」

「あなたのチョコは美味しかったけれど、私の心を奪うまでではなかったから……かしら。私も命を奪うまではしないだけよ」


 コルレと出会った、あの日の約束を思い出す。

 それはラッキーなのかもしれないけれど、俺のショコラティエとしてのプライドが激しく燃え上がった。


「あんな不味いバレンタインチョコをくれた君に、そんな事を言われたくないね」

「文句言わないの。あのクスリはどうしたって、美味しくならないんだから」

「なら俺が、美味しいボンボンショコラにしてやる」


 バックミラー越しに驚く紫目。俺は片目を瞑ってみせる。


「誰もが心を奪われ、命までも奪われるような、最期に相応しいチョコレートにね」


 こうして俺達、狂気のチョコ職人マッドショコラティエ狂気の薬剤師マッドファーマシストはコンビを組んだ。

 甘く切ないくちどけの終わりに、誰かの心と命を奪うために。

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厨二病とショコラティエ トモユキ @tomoyuki2019

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