オフィス街の売人

トモユキ

第1話 オフィス街の売人

 情報通りだ――。


 ついに現れた彼女に、ビル脇に隠れて張り込んでいた中場蔵人は、真っ赤に腫らした目をカッと見開き、ごくりと生唾を飲みこんだ。

 若い女の装いは、淡い水色がかった清楚なシャツに、チェックのスカート。紺ソックス。制服だから仕方ないとはいえ、サラリーマン行き交う昼間のオフィス街でその恰好は、あまりにも目立ちすぎる。

 大きなバックを肩に担ぎ、それでも笑顔で通りを歩く彼女に、周りのサラリーマン連中はちらちら視線を送っている。

 中場は、ついに見つけた喜びよりも、不安な気持ちの方が膨らんでいってしまう。


 接触するか――いや、まだ早い。確実にブツを持っている事を確認してからでないと。

 逸る気持ちを押し殺し、中場は引き続き彼女の様子を見守る事にした。


 ほどなくして、彼女の前で足を止める男が現れた。パリッと糊の利いた白ワイシャツと、小脇に抱えた背広のジャケット。おそらく営業職の男だ。

 彼女はおもむろにカバンを下ろし、白昼堂々チャックを開く。二言三言、言葉を交わすと、中から何かを取り出した。

 会話はおろか、取り出したブツがなんなのか、中場の位置からでは確認できない。だが男の嬉しそうな表情を見る限り、ブツはアレで間違いないだろう。

 男は、代金と引き換えに手に入れたそれを大事そうにカバンに閉まうと、そのまま駅の雑踏に消えて行った。


 あいつ……昼過ぎのこの時間に駅に向かったって事は、これから客先訪問のはず。

 だとすれば、すぐに試す事もできないわけで……頭の中はやきもきした気持ちでいっぱいのはず……今の俺と、同じようにっ!


 一見いちげんの客でも路上で売る事が分かった今、躊躇いはなくなった。

 中場は物陰から勢い良く飛び出すと、彼女に駆け寄り声をかけた。


「あっ、あの……」

「はい?」


 腫れぼったい目の中場とは対照的に、彼女の両目は澄み切っていて、健康的でもあり蠱惑的でもある。

 俺も、こんな綺麗な目を細めて笑える日がくるかもしれない――期待に胸を膨らませつつ、中場は小声で囁いた。


「例のヤク……ありますか?」

「売るほど……ありますよ!」


 売人らしく、彼女は口角を上げニヤリと笑うと、カバンを道に置いて中を開けた。

 夢に見る事すら適わなかった貴重なヤクは、思ったよりも少し大きく歪だった。その大容量と凝った見た目が、いかにも利きそうに思えてくる。


「あの……これってホントに効くんですか?」

「それは試してみないと……でも飛び上がるくらいスゴイって聞きますよ」

「そんなに……これって、一日一回くらいにしといた方がいいんですよね?」

「はい。高価ですし、濃縮されてますし」

「死んだり、しませんよね?」

「ええ。生き残るはずです。もちろん、実際に見た事はありませんけど」


 彼女の答えを全て鵜呑みにしていいのかどうか、中場には判断が付かない。でも、ここまで来て四の五の言っていられない。

 信じるしかない。眠れない夜とおさらばするためにも――。

 ふと見ると、彼女のカバンの中にはまだ大量のヤクが入っている。


「なかなか手に入らないから、少し多めに買ってもいいですか?」

「なら七本セットにしときます? これなら一週間もちますよ」

「いいんですか! ありがとうございます!」

「もしよかったら、定期購買もできますよ。ご自宅にヤクをお届けします」

「本当ですか!? じゃあそれでお願いします!」


 彼女はクリップボードを取り出すと、申込用紙を挟んで中場に渡した。


「はい、末端価格一本143円ですから、七本セットで1,001円です。宅配料込みになります」

「結構安いな~、最初から頼んでおけばよかった」

「あら、中場ちゅうば蔵人くろうどさんってお名前なんですか……ウチのペンギンみたいですね」

「やだなあ、つば九郎は燕ですよ」



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最近は人気過ぎて、路上販売も宅配も中止になっているそうです。

https://www.yakult.co.jp/yakult1000/

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オフィス街の売人 トモユキ @tomoyuki2019

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