第26話 手の届かないところ


 キーンコーン カーンコーン


「ぐっ……ふぅ」


 四時間目の数Ⅰの授業が終了する。俺は教科書をぱたんと閉じ、伸びをした。

 俺は少しばかり、憂鬱だった。


 というのも――。


「はい。では今回はここまで。そろそろ期末考査が始まるから、きちんと準備をしておくように」

『期末あるのかー、だりぃねぇ』

『はぁ……まじで分かんね。ちょっとノート見せてよ』


 そう。今からおよそ二週間後、期末考査が始まるのだ。


「起立。気を付け、礼」

「「「ありがとうございましたー」」」


 授業が終わり、ざわざわと教室内が騒がしくなってくる。


 憂鬱になるとはいえ、やることは変わらない。いつも通り山を張って、ネッ友と通話しながら教科書の問題を解き直し、分からないところは教え合う……。


 ……そうか。今回は――柏木さんなのか。


「冬城。何ぼーっとしてんだ」


 ポス、と肩に手を置かれる。


「あ……辺。いや、ちょっと考え事してた」

「そうかよ。行こうぜ、例の場所」

「ああ」


 辺に連れられ、教室のドアから廊下を出――。


 ゴチンッ


 いきなり、肩に衝撃が走る。誰かとぶつかってしまったようだ。


「あ、悪い―――上谷さん」


 いててて……と、俺の後ろ、ドアの前で額をさすっていた上谷さんに謝罪する。どうやら、ぶつけたのは額らしい。


「あ、うん。へいき」

「大丈夫か? 悪かった、ちゃんと見てなくて」

「だ、大丈夫だよ。わたしこそ、冬城くんが出るの待てばよかったね」

「よそ見してた俺のせいだ。結構強くぶつかったし、こぶになってないよな……」


 上谷さんの額を確認しようと、顔を近づける。


「――ひゃっ!?」


 赤縁眼鏡に守られた栗色ブラウンの瞳が、くりくりと動揺の色を見せる。

 上谷さんは驚いた様子で、俺から数歩退いた。


「あっ……悪い、いきなり顔近づけて」

「うっ、うん。わ、わたしは平気だからっ。ごめんね、ほんと」

「あ、ああ……」


 小さく手で謝りながら、急ぎ足で教室を出て行く上谷さんを見守る。


「上谷さん、平気かな……」

「冬城……お前無自覚でそういうことする所あるよな」


 横からぼそりと辺の独り言が聞こえる。


「ん? 何か言ったか?」

「んや、何でもない。ほら、さっさと行こうぜ。秘密基地だ、バレるわけにはいかないだろ?」


 ニヒルな笑みを浮かべる辺。


「あ、ああ……そうだな」


 階段を登り、屋上前に到着。柏木さんはまだ来ていないらしく、山崎が一人、壁に背をもたれ掛かって座り、ドアの隙間から来る日差しで日光浴をしていた。


「よっ、千乃」

「あ、れーくんにゆっきー。あおりんは?」

「柏木さんは見てないな。先に来てると思ったのに」

「メッセージ送ってみたらどうだ? 冬城、確か繋がってただろ?」

「ああ……分かった」


 ポケットからスマホを取り出し、Hiscodeを起動。Sob_A221という名前のユーザーをタップし――。


〈kasumi1012 :もう皆集まってるぞ〉

〈kasumi1012 :何かあったか?〉


 程なくして、あるスタンプが送られてきた。

 ベアートリスが花を摘むスタンプ……つまりはそう言うことだ。


「お花摘み、もうすぐしたら来るんじゃないか?」

「そうか。んじゃ、千乃。先に弁当食ってようぜ」


 体育座り状態の山崎の懐にあった弁当に、辺の手が伸びる。


「だめだよっ! あおりんが来るまで待つんだから」


 山崎はそれを手で制止。


「ちえっ。んじゃ、俺ここ座るぜ」


 今度は山崎の隣に座ろうとするも――制止。


「だめだよっ! ここはあおりんが座るの」

「おいおい、嫉妬しちまうぜ……?」

「んひひ、冗談だよ。れーくん、こっちおいで?」


 自分の隣の床をぽんぽんと手で叩く山崎。


「千乃~」


 目の前でイチャイチャするバカップル。俺は一体何を見せられているんだろうか。



 ◆ 柏木葵視点 ◆



 四時間目の授業が終わり、昼休みになった。カスミの分の弁当を持って早々に教室を去りたかったが、ふと催してしまい、トイレの個室に入っていた。


「……ふぅ」


 ふと、トイレットペーパーホルダーの上の置いていたスマホがブーンと振動する。


「カスミかな……」


 ぼそりと呟きながら、スマホを起動。案の定、カスミからだった。


〈kasumi1012 :もう皆集まってるぞ〉

〈kasumi1012 :何かあったか?〉


 花を摘むベアートリスのスタンプを送る。この前、カスミがお揃いのスタンプを持っていたのが嬉しくて、また別なのを買ってしまったのだ。


 用を足し終え、個室から出ると――洗面台前に立っている女の子に気が付いた。


「……ふぅ、ドキドキしたぁ」


 そう呟きながら目元を手で弄る小柄な女の子。三つ編みに結われた茶髪が、腰を屈めたせいでフリフリと揺れている。この前、私が傘を貸してあげた女の子だ。


「あっ――柏木、さん」

「……どうも」


 女の子の隣、空いている洗面台の前に立ち、蛇口を捻る。


「えっと、その。あの時は、ほんとに助かりました。有難うございます」

「……いえ」


 目を合わせることなく、そう返事をする。


「えっと、タイミング合わなくて、傘返せてなかったので、今から取ってきますね」

「あ……はい」


 女の子はそう言って、女子トイレを出て行く。しまった。教室に向かって受け取ろうにも、クラスも名前も知らない。


「待つしかない、か……」


 それからトイレの前に立ち数分待っていると、女の子が赤い傘を持って戻って来た。私にそれを手渡しながら、頭を下げてくる。


「えっと、大したお礼も出来なくてすみません」

「大丈夫……です」

「じゃ、わたし、行きますね。ありがとうござ――」

「――待って。……待って下さい」


 そう呼び止めると、女の子は栗色の瞳を丸くする。


「名前、教えて下さい」

「な、名前? あ――美鈴です。上谷、美鈴。美しいに鈴で」

「みすず……」


 記憶の中のある部分が、その名前に反応した。幼少期の記憶のような、最近の記憶のような、不確かで曖昧な泡沫の記憶。だけど、実感としてある。


「じゃあ、私はこれで。また図書室、来て下さいね」

「あ……はい」


 美鈴はそう言ってはにかみ笑いを浮かべると、すたすたと廊下を歩いて行った。


「みすず……。みすず……」


 思い出そうとしても、思い出せない記憶だ。ふとした瞬間、何かが引き金トリガーとならない限り、自分の意志では手の届かないところにある記憶。


 私はもやもやを抱えながら、教室へ急いだ。


 ◇◇◇ ◇◇◇

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