第20話 両手にクレープ


 必要なものを一通り購入した俺は、手渡されたレジ袋の中を確認する。


「ノートとシャー芯。新しいペンケース……うん、これで全部だな」


 文具屋を出ると、先に文具屋を出ていた柏木さんが壁にもたれかかって待っていた。その様は、何と言うか、凄く絵になる。絵画のような耽美さを放っているのだ。


「用事は済んだ?」

「ああ。取り敢えず買いたいものは買えた」

「そっか」


 そう言うと柏木さんは、おもむろにスマホを取り出し、時間を確認する。


「あと四十分か。ゆっくり食べても平気だね」

「そうだな」


 柏木さんは俺の隣に立ち、歩き始める。ふわりと、石鹸のような、それでいてフローラルな香りが鼻腔をくすぐった。その匂いにやられ、一瞬硬直する。


「……っ」

「ん? どうしたの?」

「な、何でもない」


 俺は柏木さんと目を合わせることなく、フードコートへ向かうことに注力した。


 ◆


「平日なのに……結構混んでるんだな」

「そうだね」


 フードコートは、平日だというのに結構にぎわっていた。放課後だからと言うのもあるだろうが、制服デート中のカップルや中学生のグループ、おしゃれな服を着こなしている女性の二人組やスーツ姿の初老の男性……。あらゆる人がフードコートで食事をしていた。


 きょろきょろと、辺りを見回す。


「お、あれがそうだな」


 クレープ屋はデザートのエリアにあった。そこに隣接するように、ジェラートの店、ソフトクリームの店などが軒を連ねている。そこから少し視線を逸らすと、ジャンクフード店のコーナーになるようだ。


 カウンターの前に立つと、爽やかな男の店員さんが応対してくれた。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「ホイップチョコバナナクレープを一つ、お願いします。カスミは何が良いですか」


 柏木さんの声色が、二オクターブほど下がった。

 やはりと言うべきか、見知らぬ人とのコミュニケーションの際は、柏木さんは敬語……ビジネスライクな話し方になっている。


「俺は――」


 メニューには、カスタードクレープやきなこ黒蜜クレープ、ピスタチオクレープなどの写真が載っている。へぇ、今頃はこんな味のクレープまであるのか、と年寄りのようなことを考えながら、俺は一番王道なものを注文した。


「ホイップチョコストロベリークレープを一つ」

「ご一緒にドリンクはいかがでしょうか?」

「大丈夫です」

 

 柏木さんは会計を済ませる。会計を一緒にしていたので、後で俺が柏木さんに自分のクレープ代を支払う形になる。


「十分ほどお時間を頂きますので、出来上がった際にお呼びします。このブザーを持ってお待ちください」


 店員さんから「8」と書かれた小さなブザーを受け取ると、無言でフードコートの端にある空いていた二人用のテーブルに向かってしまった。俺は慌ててそれを追いかけ、席に着く。


 緊張……しているのだろうか。柏木さんの方をチラリと見る――。


「――楽しみだね、カスミ!」


 柏木さんは弾んだ声で俺に笑いかける。あまりの出来事に、俺は戸惑う。


「お、おう……?」

「やっとクレープが食べられるよ〜。この間まで、学校の近くにクレープ屋のキッチンカーが止まってたのは知ってるよね。私、たまに誰も見ていない時にこっそり買って、食べながら帰ってたんだけど……最近になって、そのキッチンカーが来なくなっちゃって。それで一ヶ月くらいお預け食らってたんだ〜」


「ほ、ほーん。そう、なのか」

「うん!」


 緩急が凄い……あの店員さんと話していた時はピリピリした雰囲気だったのに、今の柏木さんは人懐っこい犬のような雰囲気だ。

 しかも、わざとやっているようには見えないという……。


「これ。俺の分のクレープ代だ」

「あ、うん」


『何あの子、めっちゃ可愛くね?』

『ハーフっつーの? ああいう子、憧れるよな』

『つか、彼氏の前だからってキャラ変わり過ぎでしょ。あれは無いわ、はは……』


 柏木さんは華やかな容姿ゆえ、周囲の視線を一身に浴びていた――にも関わらず、本人は至って気にすることのない様子で、ニコニコとクレープの完成を待っている。

 凄いな、柏木さんのスルースキルは……。


 俺が感心していると。ブーンとポケットが唸る。


「ん。誰からだ」


 スマホを取り出す。相手は辺だった。


『服買ったぜ!』


 というシンプルなメッセージと共に、試着室でおしゃれに服を着こなした辺の写真が送られる。それを撮っているのは山崎だ。楽しんでるな、こいつらも。


「似合ってるな……っと」


 打ち込んで、送信。既読はすぐには付かなかった。

 ま、辺も彼女とデートの手前、スマホばかり見ている訳にはいかないだろうな、と推測しつつ、スマホをポケットに仕舞う――と同時に。


「あ、そうだ!」


 柏木さんはおもむろにスマホを取り出し、何度かスワイプをしたのち。


「見て、これ!」

「ん」


 スマホの画面を俺に見せてきた。


RTAリアルタイムアタック……ああ、アイアンメイデンの」


 画面に表示されていたのは、ダンジョン攻略のタイムアタックの様子の配信だった。それを行っているのは、碧獣内の日本勢で有名なギルド「アイアンメイデン」の精鋭達だ。どうやらこの動画は、昨日の生配信のアーカイブらしい。


「そう! 私達もいずれこういうのやってみたいよね」

「ま、レイドダンジョンなんて、俺らには遠すぎる話だけどな。基本的にレイドに参戦できるのはギルド加入者だけだし」

「そうなんだよねぇ……」


 動画内のダンジョンは「レイドダンジョン」と呼ばれ、ギルドに加入したプレイヤーのみが挑戦を許される場所である。ちなみに、多数のギルドで協力して、一つのレイドダンジョンを攻略する場合もある。その場合は、報酬の分配は各ギルドが与えたダメージを換算し、決められているようだ。


 俺達はフレンド同士で気軽に組める「パーティ」だが、ギルドには入っていないので、こういうダンジョンに挑むことは出来ないのだ。

 無名プレイヤー、と言うべきだろうか。マラソンにたすきを忘れた、みたいな。


「あーあ、いっそのこと自分達で作れたらなあ、ギルド。最低で六人だったかな」

「そうだ。ぼっちで嫌われ者の俺達には、到底無理な話だ」

「ふふ、間違いないね」


 碧獣ではギルド加入の際に門前払いを食らう「タンク」の俺。それに蕎麦が付き合っている以上は、レイドダンジョンに参加することは出来ない。

 それに。蕎麦の武器でもある「大剣ロングソード」を使うプレイヤーは、火力が高い分移動速度などの点で他の職業に劣るため、あまり歓迎されていないらしい。


 何でこんなに嫌われてるんだ、俺達……。


「でもさ。見て、この人」


 大剣を振るう、全身装甲フルアーマーの屈強な男性プレイヤーが画面に映る。そのプレイヤーはダンジョン内を華麗に飛び回り、的確にボスにダメージを与えていた。


「この人……「アスガルド」か?」

「そう! 凄いよね、ロングソードなのにこんなに機敏に動き回ってる」

「なんたって古参勢だもんな。扱い方を分かってるって感じの動き方だ」


Asgard081アスガルドぜろはちいち」。碧獣のサービス開始当初からの古参プレイヤーであり、「アイアンメイデン」の精鋭プレイヤーの一人でもある。


「凄いなあ、この人。私もこの人みたいにかっこよく立ち回りたいな」

「んじゃ、今の目標はアスガルドか?」

「うん! アスガルドみたいになって、カスミと一緒にギルドを作るんだ!」

「それなら、まずは人を集めるところからだな。辺とか山崎あたりを誘ってみるか」


 俺が軽口のつもりで言ったそれを聞いた途端、柏木さんの顔色が変わる。


「あ……うん。そうだね、いいかも」


 全くもってそうは思えない顔だ。さっきのこと、まだ気にしているのか。

 と、その時。


 ピリリリリッ


 ブザーがヴゥーンと振動しつつ、音を立てた。


「お。出来上がったみたいだな」

「え、あ。もうそんなに経ってたんだ」

「俺受け取ってくる」

「あ、うん。お願い」


 クレープ屋のブースに向かい、ブザーと引き換えにクレープを両手で受け取った。


「おぉ……うまそう」


 両手に花、ならぬ両手にクレープ。

 俺はそれを持って、柏木さんの元へ向かう。テーブルに着き、それを手渡した。


「はい、どうぞ。こっちが柏木さんのだ」

「うわぁ~、美味しそう!」


 柏木さんはクレープを受け取り、満面の笑みになる。どこの誰なんだろうか、この天使のような表情をする柏木さんに「棘姫」なんて二つ名を最初に付けたのは。


「じゃ、早速……いただきます。はむ――」

「俺も。いただきまーす」


 柏木さんとほぼ同時に、クレープにかぶりつく。最初に来るのはイチゴの甘みとホイップクリームのふわりとした舌ざわり。後からやって来るのは、イチゴの酸味とチョコレートのマイルドな風味だ。


「ん~、おいひい!」

「うまいなこれ」

「ね、カスミ。これ食べてみて!」

「おー、そっちも美味しそうだな――――って、は?」


 柏木さんが、食べ掛けのクレープを差し出してくる。


「え、あ、それはちょっと……」

「なにさ、カスミ――あ、分かった! 私のを食べちゃったら、自分のもあげないといけないからそれで渋ってるんだ! ふふふ、食いしん坊だなあ、カスミは」

「いや、そういう訳じゃなくて」


「別に良いよ、カスミの方はくれなくても。はい、どうぞ――」


 柏木さんはそう言って、再びクレープを差し出してくるのだった。


 ◇◇◇ ◇◇◇

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る