エピローグ

 芝生の上を、白いドレスを着た少女が覚束ない足取りで歩いている。ふわふわのシフォンが自分の動きに合わせて踊るのが、嬉しくて仕方ないようだ。時折立ち止まり、スカートを持ち上げてふわりと落とす。かとおもったら、頭に乗った花冠を手で確認し、嬉しそうに笑う。


 その後を、ふて腐れたようにグレーのスーツを着た少年が付いていく。蝶ネクタイの首元に指を入れて顔をしかめる。生まれて初めて着る窮屈な衣装がどうしようも無く嫌なようだ。


 目を転じれば真っ白な砂浜に淡いハワイアンブルーの海。ドレスの裾を持ち上げて、レースの波と夢中になって戯れている咲愛良。ドレスが砂で汚れないかさっきまで心配していたくせに。


 少女のように無邪気な、俺の花嫁。



「おーい、写真撮影は終わったろ? もうすぐ式の時間じゃん。そろそろ準備しな」


 後ろから声を掛けられる。振り返るとスーツ姿の一哉が立っていた。七五三みたいだなと、似合わないスーツ姿に笑いが込み上げる。俺の顔を見て心を読んだように、一哉はムッと頬を膨らませた。


「大体お前、招待した覚えないねんけど」


 そもそも二人だけの挙式のつもりだった。だがそうも行かなくなり、招待客を増やすことになったのだが。


「友人代表だ。お前、友達いなさそうだからな」

「元カノの結婚式についてくるなんて、神経疑うわ」

「嬉しいなら嬉しいって言えよ。素直じゃねぇなあ」

「嬉しないわ。旅行代金自分で払えよ」

「けちくさいこと言うな。社長のくせに。介護職は給料低いんだぜ」

「それでも天職や、楽しい言うて満足しとるやないか」


「はいはい、仲良く喧嘩しない」


 咲愛良がパンパンと手を叩くので、思わず一哉と顔を見合わせる。仲良く喧嘩。どっかのネズミと猫じゃあるまいし。


 えーん、と泣き声が聞こえた。少女が芝生に座り込んで、大きな口を開けて泣いている。その横に、少年が困ったように佇んでいる。母が駆け寄り、少女を抱き上げた。そして、もう一人の中年女性が少年の頭を撫でる。


愛理あいりはお転婆やねぇ。お母さんそっくり」

玲勇れおは大人しいですね、お父さんに似たのかしら」

「そんなことありませんのよ。この子、内弁慶やの。案外えげつない悪戯しやんのよ」


 母と珠希さんが言葉を交わしている。愛理と玲勇は二卵性双生児で、二歳になったばかりだ。


 俺と、咲愛良の子供だ。


 信じていた貴和子に裏切られていたショックとか怒りとか、父の無実を信じることが出来なかった自己嫌悪とか。色んな葛藤を共に乗り越え。


 お互いの価値観をすりあわせたり、俺の女遍歴にドン引きされたり。


 紆余曲折を経て辿り着いた二人の答えが、「事件の真相が明らかになり、濡れ衣を晴らすことが出来たら、四月一日咲愛良という名に戻る。その後、二人だけでハワイアンウエディングを挙げよう」だった。


 貴和子は当初徹底抗戦の構えだったが、ある日突然全ての罪を認めて死刑を切望するようになった。


『悪女の懺悔か死刑熱望』

『金の切れ目が命の切れ目。服役後の人生に絶望?』

『急激な老いが心を折ったのか? 魔女、方針転換へ』


 週刊誌が面白おかしく事件を報道したが、真意は彼女にしか分からない。いずれにせよ複数の事件が絡んでおり、判決が下るまでにかなりの時間がかかった。


 その間に愛理と玲勇が生まれたのである。


 子供が産まれるまで、そして生まれてからも、咲愛良は木寿屋で活躍している。咲愛良の豊かな経験は、様々な視点から木寿屋の弱点をあぶり出してくれた。現在広報部に所属しつつ、人材育成プロジェクトの副リーダーを務めている。因みにリーダーは、咲愛良の推薦で人事部の結城が努めることになった。


 人材の育成マニュアルを作り、どの部署も最低限同じ教育を施す。そして、個別性も重視し、それぞれの強みを伸ばしていく。人事評価も取り入れ、成果が給与に反映されるようになった。業務の効率化を図り、定時帰宅を推奨している。お陰で残業代の支出が下がったし、人材の定着率は上がった。ワーキングママを地で行く咲愛良のお陰で、出産後も会社に留まる女性が増えた。


 だが、俺は流石にイクメンのお手本にはなれない。社長という仕事は、イレギュラーな事が多いからだ。双子の子育ては思いのほか大変であり、誰かの手助けが必要だった。


 この窮地を救ってくれたのが、俺の母だった。


 出産後から呼びもしないのにマンションに現われ、子守や家事を手伝い始めたかと思うと、職場復帰が近付いた頃には、保育園の送り迎えの為にペーパードライバー講習に通い軽自動車を購入した。


 自宅の庭に「公園かよ」と突っ込みを入れたくなるくらいの遊具を置き、子供部屋も作り、保育園が終わったら自宅に子供達を「拉致」するのだ。仕事を終えた咲愛良が迎えに行くと子供達が泣き出すほど、孫を手なずけてしまった。


 「息子に注げなかった愛情を孫に注いでいるんだよ」と咲愛良は寛大だが、俺は複雑な心境だ。


 そういう訳で「二人だけのハワイアンウエディング」は幻となった。子供の世話をするためだと母は当然の顔で付いてきたし、空港に着いたら一哉が待っていたし。


 咲愛良の強い希望で、珠希さんも呼ぶことにしたし。


 珠希さんの二人の子供であり、咲愛良の姉と兄のような存在であったアイリとレオ。二人の名を貰った子供に、どうか会いに来てほしい。そして、自分の幸せにな姿を見届けて欲しい。母の代わりに。咲愛良はそう願っていた。


 珠希さんは貴和子が逮捕された頃から再びジュエリーデザインの仕事を再開していたので、探し出すのはそれほど難しくは無かった。彼女は喜んで列席の意を示してくれた。


「ああ、腹減ったな。豪華な食事が出るんだろうなー」


 頭の上で手を組んでてくてくと歩いて行く一哉を見送って、咲愛良と視線を合わせる。ビスチェタイプのシンプルなドレスを着た咲愛良は、青い海の妖精のようだ。むき出しの肩は白くて、抱き寄せると少し汗をかいていた。


「四月一日咲愛良」


 先月やっと養子縁組を解き改名手続きを終えた。その美しい名を呼んでみる。咲愛良は首を傾けて俺を見上げた。


「折角の綺麗な名前、変えてしまうんが勿体ないなぁ」

「そんなこと言わないで。私まで勿体ない気持ちになるじゃない」

「……え?」

「気が変わった。やっぱり結婚するのやめる」


 ツンとそっぽを向く。悪い冗談だ。俺は咲愛良の腰を両手で掴み、空に向かって抱き上げた。一瞬驚いた顔をした後、咲愛良ははじけるように笑う。


「あかんあかん。申し訳ないけど、その名前奪わせて頂きますよ、永遠に」


 真珠のような笑顔の向こうに、青く澄んだ空が広がっている。太陽の光が眩しくて、目を細める。


 突然頬に、霧のような雨が降り注いだ。


「日向雨や」

 咲愛良を砂浜に降ろし、共に空を仰ぐ。サラサラと細かい雨が、光のシャワーのように降り注ぐ。


「仁美さんが亡くなった日も、こんな雨が降ってたな」

 黄金色に輝いていた町を、思い出す。


「お母さんが、空から見てるのかも知れない。私ね、お母さんの気持ちが最近ちょっと分かるようになったの。お母さんはお父さんの事が本当に大好きで、娘の私に焼き餅を焼いていたのかも」

「焼き餅?」


 問い返すと、咲愛良は首肯しクスリと微笑んだ。


「お父さんを取り合ってたんだわ、私達。……私、親なら子供が一番大事で当然だと思ってたけど、あの人は違うの。いつまで経ってもお父さんが一番だったのよ。だから私、面白くなかったのよね」

「お父さんもお母さんも、自分が一番大切やと思うべき?」


 咲愛良は上目遣いに俺を見上げ、頷いた。


「でもね、私子供が産まれても涼真さんが一番好きなの。将来二人とぶつかっちゃうのかなぁ」

「そうなったとしても、自分らに大切な人が出来たら分かりあえるやろう」


 俺の答えに咲愛良は小首を傾げる。それからちょっと背伸びをして、俺の顔を覗き込んだ。


「涼真さんは、どう?」

「どうって?」

「私、愛理、玲勇。誰が一番好き?」


 一生懸命な顔で問いかけるので、思わず笑ってしまう。俺はその可愛い鼻を突いて耳元へ口を寄せた。


「勿論、咲愛良が一番やで」


 咲愛良の顔にパッと笑顔の花が咲く。俺は咲愛良の肩を抱き寄せて、空を見上げた。


「ハワイの雨は、『神の恵み』って言われてるんやで。特に、結婚式中に降る雨は、神様に祝福を受けている印なんやって」


「神様の祝福」

 咲良も空を見上げた。


「雨が振らんかったら、虹も出ぇへんっていう諺もあるんやって」


 咲愛良は小さく頷いた。

「色んな事があったけど、綺麗な虹も沢山見たね」

「これからも、色んな雨と虹を見ような、一緒に」


 日向雨は光の粒となってこの世界に降り注いでいる。俺と咲愛良と、子供達と、母と珠希さんとついでに一哉。大切な人々を同じように優しく濡らしている。


 そして、この雨が止んだら、美しい虹が現われるのだろう。広く青い空を渡る橋のように。


 この空を、きっと一生忘れない。日向雨が乾いて消えてしまったとしても。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る