第57話 欲望

 私はもっと恵まれるべきだと、自分の置かれている境遇に違和感を抱いていた。


 誰もが私を「綺麗な子」と褒める。成績は優秀で、運動神経も優れている。演劇の発表会ではいつも主役を与えられていたし、クラスの男子は皆私のことが好きだった。こんなに素晴しい私には、欲しいものは何でも与えられるべきだ。おとぎ話のお姫様のように。


 私の家はそれなりに裕福だったけれど、もっと豊かな家庭は沢山あった。隣に住む同じ年の女の子珠希たまきの家は土地持ちで、働く必要が無いくらい資産がある。


 珠希はとても地味で不細工で、有り体に言って可愛そうな存在だった。だから、仲良くしてあげていた。華やかな私を引き立てる、かすみ草のような役割を与えてあげた。


 珠希は「英語を話せるようになりたい」とコツコツ勉強をしていた。地味で不細工で、可愛そうな珠希。努力しなければ、幸せを掴めない珠希。


 でも、珠希の家は金持ちだ。夏休みに娘を短期留学させられるくらい。私の親は、「留学なんてさせられない」と私の希望をはねのけた。珠希に与えられて私に与えられないものがあるなんて、そんなのはおかしい。もっとお金持ちの家に生まれるべきだった。幸せになるには、お金が必要だ。


 高校生の頃、珠希は恋をした。四月一日省吾わたぬきしょうごという、学年で一番人気のある男子生徒だ。


 彼は教師家庭の息子で、自分も将来高校教師になりたいと言っていた。成績はトップクラスで、優秀な柔道選手でもあった。柔道部の男子は、短足でがに股で冴えないと相場が決まっているのだが、彼はすらりとした体型で足が長く、ハンサムだった。彼の繰り出す技は美しく、乱れた道着の胸元をなおす仕草がセクシーだった。性格はとても爽やかで、男女問わず人気があった。


 可愛そうな珠希。あなたのような地味で不細工な女が省吾君みたいな花形を好きになっても、どうしようも無いのに。


 私は彼と親しくなり、やがて恋人になった。デートにはよく珠希を混ぜてあげた。お陰で珠希は省吾と友達にはなれた。良かったわね、私がいなければ口をきくことさえ出来なかったはずよ。


 大学生になった私は、友人から交際クラブに誘われた。登録すると、男性から誘われて食事をする。お互い気に入れば、その後は好きに交際していい。男性は審査を受けたお金持ちばかりだ。


 そこで私は沢山の素晴しい男性とお付き合いをした。省吾のような説教臭い男はつまらない。私と省吾の仲は自然消滅した。


 会社社長、医者、弁護士……。付き合った男性の中で最もお金持ちだったのが岡田和成おかだかずなりだった。彼は宝石商を営んでいた。フェラーリに乗り、ブリオーニのスーツを着て、貸切クルージングで誕生日を祝ってくれた。欲しいものは何でも買ってくれる優しい人。大学を卒業してすぐ、彼と結婚した。華やかな専業主婦としての生活が、私を待っている。


 はずだった。


 和成は、裏社会と繋がっていた。マネーロンダリングや薬物取引の手配が、裏社会の主な役割だった。和成の裏の顔は、職業だけでは無い。彼はちょっとしたことで機嫌を損ね、私に暴力をふるった。


 ヤクザのボスは気性の激しい恐ろしい人で、消されていく人間を何人も見た。ボスは私にキャバクラを一軒任せた。黒服に扮したジャンケットがいる店で、彼らが働きやすい環境を作るのが私の役目だった。ジャンケットは、盛大に金を使う客に目を付け、闇カジノへ引きずり込むの案内人なのだ。私はいつの間にか、裏社会に繋がるドアの一つになっていた。


 誠司せいじはキャバクラにハマった馬鹿な客の一人。彼は、心に深い闇を抱えていた。


 警察官僚の父に憧れ、同じ道を目指していた。彼は三人兄弟だが、三人の中で一人だけ父親と血のつながりがない。両親は再婚同士で、誠司は母親の連れ子だった。


 警察官僚になるには、警視庁に入るための国家試験を突破しなければならない。しかし誠司は入試に落ち、落ちこぼれのレッテルを貼られて地方公務員の警察官になった。父の血を受け継いだ兄と弟は、警視庁に入ることが出来たのに。


 鬱屈した気持ちを、女遊びで吐き出すようになったのだ。真面目一筋でやって来た男は転落すれば底が無く、女とギャンブルに溺れていった。


 彼が警察関係の男だとは気付かなかった。キャバクラ遊びが職場にバレてはまずかったのだろう。実在する企業の名刺を偽造して、一流企業の社員だと身分を偽っていた。


 闇カジノで悠々と遊び続ける財力のないものは、借金まみれにして駒に落とす。薬のバイヤーや詐欺行為の実行犯。失敗すればいつでも切れる尻尾にするのだ。その時になってやっと、誠司は自分が警察の人間だと吐いた。駒になる代わりに、内部情報を漏らすという約束を交わした。お陰で私達は、実に安全に闇カジノを経営できるようになった。


 そんなある日、和成と珠希が繋がりを持った。珠希はジュエリーデザイナーになっていて、宝石を買う客として和成の前に現われたのだ。地味で不細工な女は、カナダ人の夫を持つ一流デザイナーとして、世界を股に掛けて活躍していた。優しい夫と可愛い子供達。華やかな仕事。惨めな珠希はもうどこにもいない。


 珠希は省吾と友人関係を続けていた。省吾は同じ私立高校の音楽教師と結婚し、娘が一人いる。娘は定期的に珠希の家にホームステイをしにやってくるらしい。


 幸せな家庭、安定した仕事。ホームステイが出来るくらいの、経済的ゆとり。私が最低限欲しいと思っていたものを、二人はたやすく手に入れていた。一方で私は、DVと裏社会のボスに怯えながら暮らしている。


 なんという不条理だ。そんなことは許されるわけが無い。


 私は珠希と省吾との繋がりを復活させた。そして、まず珠希の子供達を闇に落とした。


 闇に落ちる入り口は至る所にある。二人には自己啓発系のカルチャースクールに隠されたドアをご案内した。


 『自分の中に隠れている魅力を発見し素晴しい未来を手に入れましょう』


 そんな謳い文句に引き寄せられる人種は、大抵自分に自信がなく、生きにくさを抱えている。そんな迷える子羊ちゃんを十人ばかり集め、一週間の合宿を行なう。


 その中で一人か二人、より深い悩みを抱えている弱者を選出し、瞑想の時間「内面に深く入り込めるように」と特別なドリンクを飲ませる。それはLSDを溶かしたドリンクで、幻覚や幻聴など経験したことの無い感覚を味わうことになる。それは素晴しい経験として彼らの心を鷲掴みにするのだ。


 アイラとレオもそのスクールに夢中になった。彼らは頻繁に日本にやって来て、スクールに参加した。すっかり中毒者になってから、薬を使えば同じような体験が出来ると教えた。カナダは違法薬物が蔓延した社会だ。手に入れるのは菓子を買うのと同じくらい容易い。


 二人を使ってストリートギャングと繋がりを持った。ギャングは薬物の密輸にも深く関わっている。新しい商売相手が出来たと、ボスはとても喜んだ。


 次は省吾の娘咲愛良を落とす番だ。彼女には、カナダと日本を結ぶ密輸ルートになって貰う。


 それは、アイラとレオの初仕事だった。咲愛良の荷物に三㎏の覚醒剤を仕込み、無事税関を通ったところで荷物をすり替える。見つかっても構わない。カナダでは三㎏以上の薬物を輸出入すれば終身刑になる。省吾の娘がカナダの刑務所で生涯を終える。それもまた、面白い。


 ところが、カナダから咲愛良の行方が忽然と消えたのだ。咲愛良だけでは無い。珠希達の家族も、カナダを出国し行方をくらませた。レオからは咲愛良の荷物に薬を仕込んだと報告があったが、何処にどうやって仕込んだのか詳細な事は聞いていなかった。


 三㎏の薬物が消えた。当時のルートで言えば、二億円の損失を出したことになる。


 このままでは殺される。少なくとも、損失の穴埋めをしなければ。


 私は兼ねてからDVの夫を殺したいと思っていた。多額の保険金を掛けてはいたが、実行する勇気は無かった。


 多額の金を手に入れるには、夫を殺すしか無い。困り果てた私に手を差し伸べたのは、誠司だった。彼は私に好意を抱いていたのだ。


 省吾を殺人犯に仕立て上げ、生命保険金と火災保険金を手に入れて二億円の弁償を行なった後、裏社会から手を切るため、警察官をやめた誠司と一緒に東京を離れた。誠司の縁者がいると言う事で、京都に落ち着いた。財産を全て取り上げられ惨めな状態だったが、タイミング良く仁美が週刊誌でえん罪だと騒いでくれたので、名誉毀損の訴えを起こして彼女の財産を取り上げてやった。


 生きて行くには金が必要。

 だから老い先短い老人から金を巻き上げることにした。誠司は私の代わりに、手を汚してくれた。だが、たった四人殺しただけで怖じ気付いてしまった。自首しようとしたので心中しようと誘い、一人で死んで貰った。


 三人目の夫は資産持ちで子供がいなかった。その資産をそっくりそのまま手に入れたので裕福な生活を続けることが出来たが、どうしようもなく空虚だった。


 夫が死んで大金が入る。その快感が忘れられない。


 高齢で身寄りのいない社長と結婚し、今度は自然に死ぬのを待っていた。死期を早めるため塩分や油分の多い食事を与えていたが、中途半端に脳卒中になり暴力をふるう男に成り果てた。このままでは社長の座を追われてしまう。


 そんな時、懇意にしていたコンサル会社の五反田敬三ごたんだけいぞうが、ブレイン役を買って出てくれた。彼のお陰で会社の実権を握る事ができた。だが、私達を追い出し社長の座を奪おうとしている幹部もいるし、M&Aを仕掛けられて吸収合併される可能性もある。失脚しても金を失わないよう資産形成に励み、暴力に耐えながら夫の死を待っていた。


 そこに、四月一日咲愛良わたぬきさあらが現われた。三㎏の覚醒剤を、彼女はまだ持っているかもしれない。当時は二億円だったが、今は六億円の価値がある。どんな優良株よりも優れた、金の卵だ。


 何とか彼女から覚醒剤を手に入れたい。そう考えていた時、五反田がとても良い人材を紹介してくれた。誠司の従兄弟で、咲愛良の元彼氏。復縁を断られたが諦めきれず、どんな手を使っても彼女を手に入れたいのだという、現役の警察官瀬戸口一哉だ。欲深い男で、協力するから金をよこせと言ってきた。仕方が無いので五千万円の保険金で手を打った。六億が入るのだから、それくらい大した額ではない。


 咲愛良に近付いて信用させ、覚醒剤を手に入れる。ついでに夫を殺した罪を背負って貰う。一哉は服役中に咲愛良を甲斐甲斐しく見舞い、恋愛関係を復活させようと目論んでいる。


 Win-Winの計画が、今実行された。私は夫の遺産と六億円を手に入れるのだ。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る