第56話 あの日の真実

「警察官時代の誠司せいじさんに、何かさせたのか? 俺は彼の二の舞になりたくないからな、真相を聞いておきたい」


 俺は貴和子に問いかけた。貴和子はふて腐れたように肩をすぼめた。


「させたんじゃないわ。彼が勝手にやったのよ。お金が必要だって言ったら、大金が手に入る方法を考えてくれたの。自殺なら、保険金が全額下りないかもしれないし、交通事故は防犯カメラや目撃証言で犯行がばれる可能性がある。でも、他殺なら確実に全額保険金が下りるわ。でも、生命保険だけでは足りなかったの。それで、放火も付け加えて火災保険を貰えるようにしたの。……私がやったんじゃ無いわよ。夫を手に掛けたのも、ガソリンを撒いて火を付けたのも誠司君よ。私は省吾に電話を掛けただけ。『旦那を殺してしまった。どうしよう』って。彼は慌てて駆けつけてくれたわ」


「タイミングを見て、誠司さんが火を付けたって訳か?」


 貴和子は上目遣いに俺を見て微笑んだ。


「そうね。そしてわざと姿を見せた後、車で逃げた。当然省吾は後を追う。人気の無い山中で誠司君は、一端車を降りて警察手帳を見せる。省吾は、相手が警察官だと知って油断する。その隙を突いてスタンガンで気絶させ、手足を縛って車に乗せた。さらに山中の人気の無い場所に車を移動させてから、練炭自殺に見せかけて殺害したの。省吾は柔道の有段者だから、結構大変だったみたいよ」


 まるで他人事のように笑みを浮かべながら言う。


「自分で起こした事件を自分が担当し、証拠の隠滅を謀った。そういうことだな」

「それも全部、誠司君が勝手にやったこと。私は何も頼んでいないわ」


 貴和子はツンとそっぽを向いた。俺は奥歯を噛みしめ、あの日に思いを馳せる。


 高校二年の冬。誠司さんの様子は明らかにおかしかった。


 四月一日わたぬき先生は俺の尊敬する柔道部の顧問で、さーらの父。正義感の強い人だった。先生が人の命を奪って家に火を付け、責任を負わずに死を選ぶ。


 そんなことをするはずが無い。


 俺は何度も捜査状況を誠司さんに聞いたが、当然彼は何も教えてくれなかった。俺にはそれが、警察官としての責任感に基づく沈黙とは少し違うように見えた。


 俺は呼吸を整えた。


 あの事件の真相を、貴和子に語って貰わなければならない。その為に俺は、冷静であらねばならない。


「恐らく誠司さんは、身内の不祥事を封印するために、刑事局のお偉いさんだった父親から警察官を辞めるよう強要され、一族から追放された。その後、あんたと共謀して人を二人殺している。違うか?」


 手の平に汗が滲んでいた。貴和子は眉をそっと持ち上げ、ふんと歌うように声を出した。


「違わないわよ。私にはお金が必要だったの。だから、お金持ちの人と結婚したの。出来るだけ高齢で、早く死んでくれそうな資産家とね。でも、若い妻を持つと元気になっちゃうのよ。気持ちが悪くて仕方が無いから何とかして欲しいって泣き付いたら、誠司君が助けてくれたの」


 肩を竦めてから、貴和子は続けた。


「二番目の夫は、酩酊するまでお酒を飲ませて真夏の車内に放置した。死んでいるのを確認してから公園のベンチに横たえて、『散歩中に迷子になって彷徨った挙げ句、熱中症で死んじゃった可愛そうなお爺ちゃん』に見立てたの。でも、遺産を半分子供達に取られちゃった。腹が立つわ」


 子供のように唇を尖らせる。人気の無い公園のベンチに横たわる老人の姿と貴和子の表情が上手く重なり合わず、背筋がすっと冷たくなる。


「だから次は身寄りのいないお年寄りを探したの。一人で生活できる人だから、当然身体が丈夫で頭もわりとしっかりしていたわ。厄介な事にね。……疑り深くて意地悪で、嫌な奴だった。早く死んで欲しかったけど、こいつもやっぱりしぶといのよ。だから旅行に連れ出して、転落死させようと計画した。『ここからの景色が素敵よ』とあらかじめ壊しておいた手すりに誘導して、転落させた。だけど、生きてたのよ。私が駆けつけて、突然夫を失った妻を演じるはずだったのに。誠司君が近くにあった石で頭を殴って殺したんだけど、傷に違和感があるって事で司法解剖に回されたの。……あの時は焦ったわ。結局決定的な所見は見つからず、事故死になったけど」


 貴和子は大きく両手を開いて大袈裟に肩を竦めてみせた。


「それで、誠司君は怖じ気付いちゃったのよ。『次にやったら確実にバレる。もうやめよう』って言い出したの。……誠司君がいなかったら、私はもうお金を稼ぐことが出来なくなる。お金のない人生なんて、意味が無いじゃない。だから、一緒に死のうと思ったの。二人で、車の中で練炭自殺しましょうって、提案したの。でも、気が変わったのよ。資産家の老人と結婚すれば、いずれは財産が手に入る。ちょっと気長に待てば良いだけって方向性を変えたのよ。でもお世話になった誠司君を一人で死なすのは可愛そうだから、私も一緒に睡眠薬を飲んだふりをして、彼が寝入ったのを見届けて車から降りた。ね、彼は自殺をした、で間違いないでしょ?」


 ぎりりと口中で音がした。奥歯を強く噛みしめたせいだ。慌てて息を吐き、平然を装う。


「で、住田さんのところに嫁入りしたって訳だ」

「そうよ。彼はお年寄りにしては素敵な人だった。一緒にダンスをするのは楽しかったし、紳士的で優しかった。薬の助けは必要だったけど、テクニックはなかなかのものよ。これなら、ゆっくり死ぬのを待ってあげてもいいと思っていたのよ。でも脳梗塞でおかしくなっちゃって。今じゃ暴力をふるう怪物よ。でも人殺しなんて恐ろしいこと、私にはとても出来ない」


 乙女のように胸の前で手を組み合わせ、小さく首を横に振る。


 何が「恐ろしくて出来ない」だ。既に四人殺している癖に。


 大声で笑いたい衝動に駆られた。話の内容と貴和子の口調のずれが、俺から正気を奪っていく。


「金をくれたら何でもしてやる。そんな実行犯と殺人犯の汚名を被ってくれるさーらが揃ってやって来て、ラッキーだったな。あんた、シナリオ書くのなかなか上手いぜ。人を殺すにはそれなりの動機が必要だ。旦那にさーらを襲わせて、動機を作った。『強姦されたから、殺しました』ってか。強姦されたからって殺しは行き過ぎた報復だが、犯人が放火殺人犯の娘となれば、世間は納得する。週刊誌が喜びそうなネタだ」

「証拠も残しております。この傷はどうしたと問われれば、娘は住田義雄にやられたと答えるでしょう。それが事実ですからな」


 小柄な男、五反田敬三ごたんだけいぞうがすっと手を前に差し出した。


 黒いリモコンが彼の手に収まっていた。天井からスクリーンが降りてくる。部屋が薄暗くなり、そこに横を向いたさーらが映し出される。彼女の唇は赤く腫れ上がり、口角からは血が流れていた。


「強姦され恨みを抱いた四月一日咲愛良は、食事を振る舞うと言って家に入り、家人に睡眠薬入りのドリンクを飲ませる。義雄を車に運びシートベルトで身体を固定し、練炭を車内に放置して一酸化炭素中毒で殺害する。食事の片付けをしてここにいた形跡をすべて消した後、立ち去ろうとした。俺は周辺をパトロールしていた警官で、車内で寝ている老人を見付けて声を掛けたら既に死亡しており、まだ家にいたさーらを逮捕する。車にもキッチンにも練炭コンロにもさーらの指紋しか残っていないし、殺害グッズを購入したレシートも持っている。義雄さんの薬がチェストの引き出しに入っているのも、あんたが薬を飲ませるところを見ているさーらは知っている。どんなに本人が否定しても、状況証拠は真っ黒だ」


「そのシナリオを変えましょう。この子が目を覚ましたら死体を見せて『殺人犯になりたくなければ言うことを聞きなさい』と脅しましょう」

「それでさーらが素直に従うとは思えないな」


 肩を竦め、画面に映るさーらを見る。痛々しい姿だ。九条涼真が貴和子の前で踊らなければと、改めて歯噛みする。


 貴和子はさーらを写真でしか見たことがない。それも、高校生の頃の写真だ。十年経ち大人になったさーらがイベントコンパニオンに混ざっていても、気付きはしなかっただろう。


 五反田敬三曰く、あの日二人はまるでスポットライトを浴びたように目立っていた。さーらのダンスは美しく、見た者の視線を釘付けにしたのだ。そして貴和子は、さーらに気付いた。ずっと探し続けてきた少女に。


「一つ聞きたいことがある」


 俺は唇から血を流しているさーらを見つめながら言った。貴和子が画面の端に現われる。プロジェクターの光が貴和子を照らし、さーらの顔に影を落とした。


「最初の殺人で、放火殺人に仕立て上げなければいけないくらい金が必要だったのは、何故だ? さーらを探していたことと、関係があるのか?」


 貴和子が笑った。プロジェクターの光を浴びて、赤いワンピースを纏う女優のように。

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