第44話 贈り物

 メイド風の制服を全否定されたのは残念だったが、カフェ木寿屋もことやの店長は咲良さらにとてもしっくり来る仕事だ。もしもそれが彼女の天職ならば、契約終了後も続けてくれたらいい。木寿屋に留まるのが気まずいのなら、近くにカフェを開いてもいい。その為の資金を出資するくらい、喜んでしよう。


 そんな事をぼんやりと考え、ふと現実に戻り独りよがりな思考に苦笑する。そして、気付いた。


 咲良と別れる日が来る。それが怖くて仕方が無い。


 契約終了後には金を払って関係を絶つ。面倒な事が起こらないようにそういう主旨の契約書を作ったのは、俺自身なのに。自分の生活から咲良が消えてしまうと想像するだけで、身を捩りたくなるほど苦しい。


 京都の街灯りを眺めながら、バカラのグラスを傾ける。咲良がすぐ傍にいると思うと、足が床から浮いているような感じがして落ち着かない。これではまるで、中学生だ。


 ドアの開く音が背後でし、窓硝子に咲良の姿が映った。


「お水を、飲みたくて……」


 言い訳をするように呟いて、そそくさとキッチンに向かう。振り返ると、濡れ髪にバスタオルを巻き、チェックのパジャマを着た咲良がキッチンに向かうところだった。


 可愛い。めちゃくちゃ可愛い。


 顔が熱くなり、心臓がバクバクと音を立てる。これでは、リアルに中学生の反応では無いか。


「に、荷物の整理は、終わったん?」

 視線を窓に移し何気ない声を心がけて問う。


「終わりました。もともと、スーツケース一つですから」

「そう言えば、スーツケースは邪魔やろ? クローゼットに入れとこか?」

「クローゼットって、涼真さんのお部屋の、ですか?」


 咲良が傍にやってきて、水の入ったグラスを片手にきょとんと首を傾げる。シャンプーの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。嘗て美葉が使っていたシャンプーなのに、香りの印象がまるで違う。


「ウォークインクローゼットがあるんやけど、大して物が入ってないから」

「ウォークインクローゼットですか! すごい、この世に本当に存在するんですね! ウォークインクローゼットって! ……じゃ、じゃあ、お願いします。取ってきますね」


 ちょっと驚いた顔をしてから、咲良は小さく頭を下げた。急いで水を飲もうとするので、慌てなくていいと伝える。それでも咲良は水を一気に飲み干して、プハッと息を吐いた。それから窓の外を見て、歓声を上げる。


「素敵な眺めですね! わー、五重塔に三日月がかかってますよ! 絵葉書の風景みたい」


 街灯りの中に五重塔のシルエットが浮かび上がり、寄り添うように三日月が浮んでいる。同じものを見ているはずなのに、風景に全く意識が向かなかったなと、苦笑が浮んだ。


「気に入った?」

「はい! あの……時々、眺めに来てもいいですか?」

「勿論。ここは咲良の家。何処へ行こうと自由やで」


 パジャマの袖口だけが、唇の下に添えられている。その姿がまた可愛い。大きな瞳を見開いて、眼下の景色に見入っている。


 しかし、不意に咲良は視線を上げた。上目遣いで、ガラスに映る俺を見たのだ。ガラス越しに目が合う。見つめていたことに気付かれて、恥ずかしさが込み上げてくる。


「あ、そや。渡したいもんがあるねん」

 そそくさとポケットを探る。渡すかどうか悩みつつも、そのタイミングを探っていた、咲良への贈り物。


 小さな白い長方形の箱を、幾重にも折りたたまれたピンク色のリボンが飾っている。この形に結ぶのは、かなり難しかった……。


「ふぇ……。私に?」

「ああ。……でもそんなにええもんと違うから、期待せんといて」

「そんな……」


 小刻みに頭を振る咲良の手に、小箱を押しつける。咲良は両手でそれを包み、俺を見つめる。俺は笑顔を作って頷いた。内心、気に入ってくれるか不安で仕方が無い。


 恐る恐る、と言ったように咲良がリボンをほどいた。リボンそのものがプレゼントであるかのように、丁寧に折りたたんでパジャマのポケットに仕舞うと、壊れそうなものを扱うように箱の蓋を開けた。


 中には、グレージュピンクから白へグラデーションを描く丸い台座に、スターチスの花束が浮んでいる髪飾りが入っていた。うん、一応売り物に見えるクオリティーだ。


 咲良が歓声を上げる。しげしげと箱の中を見つめた後で、ゆっくりと髪飾りを持ち上げた。電灯の光の下で、ドーム状の樹脂がキラキラと輝いている。


「綺麗……」

 咲良は、溜息をついた。


「こんなに素敵なもの、頂いてもいいんでしょうか……」

「喜んでくれて、嬉しい。毎日身につけて貰えたら、尚のこと」

「はい! 絶対絶対絶対毎日身につけます!」


 髪飾りを両手で握りしめ、咲良は胸に引き寄せた。


 堰を切ったように、熱を持ったものが胸に流れ込んでくる。


 愛おしい。


 はっきりと熱はその形状を形作り、俺の胸の真ん中に座り込んだ。


 両手から力が抜ける。抗いようが無いと俺は白旗を揚げるしか無かった。俺は咲良に心を奪われている。もう、とっくの昔から。


 潤んだ瞳を見つめていたら、強い衝動が身体の内側から湧き出してきた。


 抱きしめたい。キスをしたい。彼女の全てを自分のものにしたい。


 最初に自覚したのは、そんな原始的な欲求だった。そんな感情は、これまで何度も感じてきたし、叶えていた。手に入れるのが困難であれば、強く想いが燃え上がりもした。そして大概、手に入れてしまえば飽きる。


 原始的な欲求の奥に、焦燥感を伴う強い欲求が存在している。


 本当に欲しいのは、心なのだ。


 自分の好意を受け入れてほしい。愛することを赦して欲しい。こんな、どうしようもない男だけれど。


 そして、同じように愛してくれるなら。俺はもう、咲良以外何も要らない。


 こんなに誰かを強く欲し、恐れたことは一度だって無い。もしも、咲良がこの想いを受け止めてくれないのならば、自分はどうなってしまうのだろう。


 強い欲求とは裏腹に、両手には全く力が入らず、抱き寄せることも叶わない。ただ呆けたように、咲良を見つめる。髪飾りを光に翳し微笑む咲良の瞳は、樹脂なんかよりもずっと澄んだ光を放っていた。





 

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