第43話 部屋着の涼真

 部屋着というからスエットの上下かパジャマを想像していたけれど、部屋から出てきた涼真さんはおしゃれだった。細身の黒いパンツにゆったりしたカーキ色のTシャツ。このままコンビニとかスーパーとか行っても全く変な感じしない。


 ラフな姿も、とっても素敵だ。スーツ姿はキリッとしていて格好いいけれど、部屋着の涼真さんは少しだけ可愛い。


 食卓に並べたのは厚揚げの豚肉巻き、ピーマンとじゃこの炒め物、ポテトサラダ、豆腐とわかめの味噌汁。


 あーあ、もっとおしゃれな料理にすれば良かったぁ……。アクパッチャとかバーバカウンターとかそんな感じのやつぅ……。


 並んだ料理を見て、猛烈に後悔する。でも、涼真さんが教えてくれたスーパーは高級食材ばっかり並んでいて、「お肉!」とか「お魚!」といった、素材そのものを活かした料理を作るには財布の中身が頼りなかった。精一杯頭を捻って作ったのがこの料理だ。


 頂きますと両手を合わせてから、涼真さんは厚揚げの豚肉巻きを口に運ぶ。しっかりと咀嚼してから今度はご飯を一口。私は固唾をのんで見守る。その視線に気付いたのか、涼真さんはくっくと喉を鳴らした。


「美味しい。この甘塩っぱい味付けが凄くええね。ご飯が進む。こういう味付けは、久しぶりやなぁ」

「お、お口に合いますか……?」

「合う合う。ポテトサラダも、塩こしょうとマヨネーズがしっかりきいてるこの感じ。……なんか懐かしいなぁ」


 思考を巡らせるように視線を遠く彷徨わせる。それから、あっと声を上げた。


「小学生の時、友達の家で食べた味や。あれは……。マカロニサラダやったな。その子のお母さんが作る料理は、甘塩っぱかったりケチャップやソースがタップリかかってたりして、ご飯が進むんや。金持ちの作る料理は『素材の味を活かして』とか言うて何が何でも薄味なんや」


 そう言って味噌汁を啜り、また「美味い」と呟く。嬉しくって、手が震えちゃう。


「また、作ってもいいですか?」

「勿論」


 涼真さんはにっこりと微笑んだ。


「できるだけ家で食事取れるように帰ってくる。あかん時は、電話する」

「はい、お願いします。洗濯も、しても差し支えありませんか」

「ああ、勿論。コンシェルジュに渡せば、クリーニング店に引き渡してくれるから面倒なときは利用すればええ」

「今まで、お洗濯はそれで?」

「うん」

「ぱ。パンツもですか!?」


 驚いて大きな声を出してしまう。しかし、涼真さんはきょとんと首を傾げた。


「勿論、靴下もなにもかも。ああ、でも……」


 言葉を切り、くしゃくしゃと髪を掻き視線を泳がせる。一瞬、頬が赤くなった気がした。


「女性はそう言う訳にはいかへんよな」


 今、下着を想像したよな。うん、絶対そうだ。……可愛い奴? セ、セクシーな奴? おばちゃん臭いのだったらどうしよう……。


「帰り、どうしようかなぁ……」

 おもむろに涼真さんが呟いた。


「はい?」


 色んな下着が舞っていた頭には、とてつもなく難解な呟きだ。涼真さんは顎先を親指ではじきながら視線を空に向けている。


「ここ、自転車で通うのは距離的に無理やろ。出社は僕の車に同乗すればええけど、帰りがな……」

「そんなそんな。公共交通機関を使いますよ。出社も。そもそも一緒に出社って、まずいでしょ?」

「あかんあかん。電車もバスも危ない。咲良を一人で乗せるわけにはいかへん。一緒に出社するのは何の問題も無い。そろそろ公表しようと思うし」

「危ない? 公表?」


 次々と繰り出される強烈なワードにツッコミどころが分からなくなる。涼真さんは顎に手を当てて唸る。それから、何かを決定したように大きく頷いた。


「咲良は飲食店で仕事したこと、ある?」

「ありますよ。一番最初のアルバイト、ミスタードーナツでした! 制服が可愛くて、憧れてたんです! 回転寿司とか、居酒屋さんも。居酒屋さんはすごーくブラックで、いつの間にか私が仕切るようになってて、売り上げ悪いと店長に怒られるんですよ。バイトですよ、バイトなのに!」


 思い出したら腹が立ち、店長のはげ頭をグーで殴りたくなった。


「その経験、生きるかも……」


 拳を振り回す私に、涼真さんは至極冷静な視線を向けた。


 あ……、涼真さん、社長さんの顔になってる。


 一人でヒートアップしている自分が急激に恥ずかしくなり、拳を開いて膝をさする。


石塀小路いしべこうじにサテライトの社屋があって、そこの一階がカフェになってるねん。仕切ってた女性が妊娠したらしくて、代わりの人材が必要なんや。石塀小路はここからなら近いし、業務も他の社員と同じ時間やから送り迎えできる」

「カフェの……」

「店長さん、かな」


 思わぬ提案に、頭が真っ白になる。

 『カフェの店長さん』

 なんて、なんて素敵な響き……。


 でも、ふっとオフィスの廊下が思い浮かんだ。モップで磨いた床に窓からの光が差し込んで、ピカピカと光っている光景だ。それを見て嬉しそうに笑う古賀こがさんの顔も。


「でも……。今の仕事が……」

 涼真さんは、ゆっくりと首を横に振った。

「咲良の指導のお陰で、古賀君の掃除はとても綺麗になった。もう、一人で充分やっていける。あの社屋にクリーンスタッフは一人でええ。余剰人員を雇うのは会社としては勿体ないので、いずれ咲良か古賀君のどちらかを配置転換する必要がある。古賀君はパートやから、咲良の処遇を優先することになるかも知れへん」

「古賀さんがクビになるかもってことですか」

「あからさまにクビにする事は無いやろうけど……。彼に出来る仕事は、そんなにバリエーションがないからなぁ」

「そんな……」


 慌てる私の鼻先を、涼真さんの人差し指が触れた。突然のことに目を見開くと、涼真さんは目を細めて微笑んだ。


「咲良のお陰で、古賀君は独り立ちした。このまましっかりと仕事を続けてくれるんやったら、正社員として雇用することも考えてええかなと思ってる。次は、咲良が自分らしい仕事をする番や。本当は広報部をお勧めしたいんやけど、カフェの店長さんも、咲良の経験が活かされるんやったら悪くないんと違うかな」


 涼真さんの言葉は綺麗に折りたたまれて私の胸に納まった。カフェの店長さんなんて大役が務まるかどうかは分からないけど、やってみたいという気持ちがお腹の底に控えめに生まれた。私は顔を上げて、涼真さんに頷いた。


「分かりました。頑張ってみます」

「良かった。制服は作務衣風やけど、近々メイド風に変えようと思うねん。それも、咲良に似合うやろう」

「え、私作務衣風の方がいいなぁ。そっちの方が格好いいし京都らしいですよ。観光客受けもいいと思います。石塀小路でメイド風って、変じゃありません?」

「……そ、そうやな……」


 涼真さんは笑顔で頷いた。ひくっと頬が大きく痙攣した。引っ越しを手伝ったり病人の見舞いに行ったりして、疲れたのかも知れない。申し訳ないことをしたなぁ……。


 疲れている涼真さんにはとても申し訳ないけれど、今日はこれまでの人生の中で最高の一日だ。


 でも……。今日から一つ屋根の下で生活するなんて……。


 キュンキュンしすぎて心臓が止まったらどうしよう……。


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