第36話 それぞれの画策

「……」


 瀬戸口せとぐちは口を半開きにしたまま、言葉を発しなかった。無言でただ首を横に振っただけだ。


 しばらくしてから、やっと口を開いた。


「それは、分からない。ただ、偶然出会った彼女に貴和子きわこの方から近付いて行ったんだ。貴和子は何かを企んでいるのかも知れないし、いないのかも知れない。分からない状態でさーらに全てを話して警戒させたら、貴和子は尻尾を隠してしまう。俺が警察官になってからずっと、貴和子は大人しく資産家の妻に収まっている。実行犯を失って身動きがとれないのかも知れない。その貴和子が動いたんだ」

「つまり、未然に防ぐことが出来る可能性がありながら、咲良を敢えて泳がせて貴和子のリアクションを待とうとしているわけだな」

「そういう、事になる。だから自分が警察官だという事も、隠しておきたい」


 瀬戸口の頬がグッと動いた。奥歯を噛みしめながら、きつく眉を寄せている。瀬戸口はゆっくりと頭を下げた。


「協力して欲しい。さーらにこれを、身につけさせて欲しいんだ」


 そう言って、ズボンのポケットから二つ折りの財布を取り出した。財布を開き、小さなジッパー付きの小袋を取り出す。中には一㎝四方ほどの黒く薄いプラスチック片が入っていた。


「高性能GPSだ。これを、いつも身につけるものに加工してさーらに渡してくれないか。俺はさーらの居場所を常に見張り、危険があれば必ず駆けつける」

「……ストーカーの片棒を担げと」


 そう言いつつ、俺はその小袋を受け取った。その小袋を目の前でぶらつかせながら俺は片目を閉じた。


「受信設定は? アプリか?」


 ムッと瀬戸口は口を歪める。


「お前だけが咲良の居場所を逐一知っているというのは、不用心極まりない。僕は咲良をお前からも守らんとな。……盗聴器ではないやろうな」

「盗聴機能は、ついてねぇよ」


 憮然としながら瀬戸口はスマートフォンを取り出した。示されたQRコードを読み取りながら、俺はにやりと笑いGPS入りのビニール袋を唇に近付ける。


「それは良かった。咲良のあの可愛らしい声を聞いて良いのは、僕だけやからな」

「な……!」


 瀬戸口の顔がかっと赤くなる。俺は思わず笑った。盗聴機能がついていたとして、そんな声など聞こえはしないのだが、からかい甲斐のある奴だ。


 完全に信用しようとは思わないが、この正直な反応は面白い。恐らく話したことに嘘はないだろう。だが、GPSを咲良に取り付けるかどうかは、もう少し考えてからにしよう。


 俺は伝票に手を伸ばす。


「後、俺の可愛い婚約者を『さーら』なんて馴れ馴れしく呼ばんといてくれ。もう別れたんやから『畑中さん』やろう、普通。……本来お前が払うべきやろうが、奢っとく」

「何と呼ぼうが俺の勝手だっつーのっ! くそ。俺が払う!」


 悔しそうに歯噛みする瀬戸口に向かい、伝票を振った。


 取り敢えずこいつが咲良の回りをうろつくことは、しばらく無いだろう。そう考えたとき、ふと引っかかったことがあった。


 こいつが仁美の事を心から案じ、恩師である夫の無実を信じているのは間違い無い。俺は瀬戸口に向き直った。


「仁美さんの居場所も、知らんわな」

「知らねぇよ。さーらの居場所がわかんねぇんだから」


 唇を尖らせる瀬戸口に、仁美が入院しているホスピスの名を告げた。


「彼女は数週間単位での余命宣告を受けている。咲良の勤務時間は平日七時から三時や。会いにいくなら、咲良と鉢合わせせんようにな」

「余命宣告……」

 愕然とする瀬戸口に手を上げて、背を向ける。


***

 

 夜更けの廃工場には、月明かり以外の光源はない。野良猫の影が横切ったが、俺は足を止めずに所定の場所へ行く。コンクリートの壁に背中を付け、通りから姿を隠す。背後には鍵の壊れたドアがあり、わずかに隙間が空いていた。その黒い空間から、声が聞こえる。


九条涼真くじょうりょうまを味方に引き入れるつもりか?」


 男の声はしゃがれていた。ドアの影に人影が現われる。百五十㎝程の小さな身体を見下ろす。縮れた白髪が月光にあぶり出されていた。俺は彼に盗聴器を持たされている。俺の行動は彼に筒抜けという訳だが、それもこれも俺が無様に尻尾を出さない対策らしい。何とか刑事課への配属を勝ち取ったが、俺は失言が多いらしいし、嘘をついてもなぜだかすぐに見破られてしまう。


 彼とはこうやって、定期的に直接会い情報交換する。交信した痕跡を残さないためだ。


「味方に引き入れようとしたわけじゃない。彼女の婚約者だって言うし、これ以上ごまかせないと思った……。怒らせて警察に通報されたら、非番にストーカーしてるって容疑を掛けられて警察をクビになる」

「もう少し上手く尾行できればええのやがな」


 相手は失笑した。俺はボリボリと頭を掻く。


「まぁ、GPSを取り付ける手はずは整ったと訳や。……ではそろそろ、計画を実行に移すとしようか。奥様もそろそろ、旦那様の暴力に耐えられなくなってきている。今実行犯役を買って出る人物が現われたら、報酬はいくらでもはずんでくれるはずや」

「生命保険の半額ってのはどう?」

「全額と言っておけ。全財産と会社を手に入れるんや。生命保険など微々たる額」


 密かな笑い声が空虚な闇に響く。


「心配するな。九条涼真は必ず自ら手を引く。彼女はお前のものになる」

 しわがれた声に、錆びた金属音が重なる。音源を振り仰ぐと、風が小さく壊れた窓枠を揺らしていた。


***


「よしよし、我ながらええ出来や」

 思わず独り言を呟き、窓辺でそれを空に翳した。藤色から透明に向かうグラデーション。ドーム型の樹脂の中にスターチスが封じ込められている。まるで氷柱花のように。


 咲良が常に身につけるもの。それが何かを考えるのにかなり時間がかかった。咲良はクリーンスタッフだから、仕事中アクセサリー類を身につけない。と言うことは、ネックレスや指輪は却下だ。財布や鍵に付けるチャームはと考えたが、鞄を置いて行動したら居場所を探ることが出来なくなる。却下だ。


 普段の姿を思い浮かべ、やっと名案が浮んだ。


 咲良はいつも髪を後ろでまとめている。それならば、髪飾りがいいのでは無かろうか。そう決まれば、デザインだ。


 シュシュ。加工がしやすいが、汚れたら洗濯できるものは、却下だ。恐らく防水機能は付いていないだろう。


 バレッタや金属の台座の付いたヘアゴムは、加工がしにくい。華美なデザインもきっと、好まないだろう。却下だ。


 画像検索を試み、あるデザインに心引かれた。透明感のあるプラスチックに、小花が封じ込められているアクセサリーだ。購入先を調べると、それがUVレジンなるものを使った手作りの品であることが分かった。


 ちょっと興味をそそられた。作り方を検索してみると、これがチップの封入に極めて適していた。作り方も、それほど難しくは無さそうだ。


 早速、ユザワヤという手芸店に向かった。「手芸店」という場所に足を踏み入れるのは、人生初。かなり恥ずかしいかったが、仕立てを生業としているのか、プロの顔をした男性が何名か店内を物色していた。俺は彼らに習い、堂々と振る舞った。UVレジンの材料だけでもかなりバリエーションがあり、羞恥よりも興味の方に軍配が上がった。俺は店員を呼び、詳細なレクチャーを受けながら材料と道具を選んだ。丁度お試しの教室を開催しているというので、そこにも参加してみた。


 成る程、奥深い世界だ。


 しばらく定時帰宅をし、試行錯誤すること二日。これでプロ並みの作品が作れるようになるとは。やはり俺は、天才だ。


 スターチスは空気を含むので、花に切れ込みを入れるのが上手く作るポイントだ。台座のグラデーションは何回かに掛けて、丁寧に。そして、最後に表面張力を使って樹脂をこんもりと盛り、固める。


 髪留めゴムの台座に付ける前に、GPSチップを仕込んだら、完成である。


 GPSチップを咲良に渡すかどうか、悩ましいところだ。咲良がGPSを身につけると、瀬戸口に咲良の居場所を知られてしまう。あいつは咲良を守りたいという気持ちを持っているが、そこに何かしらの下心はまだあるかも知れない。しかし……。


 心を込めた手作りの髪飾り。これを咲良に身につけて欲しい。その欲求を抑え込む自信がない。俺はヘアゴムを小箱に入れ、ふと思いつく。


 どうせなら、ラッピングにも凝ってみるか……。

 YouTubeを検索してみる。

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