第35話 事件の裏側
ウエイトレスがアイスコーヒーを運んできた。俺たちは暫し、鋭く視線を交差させたまま黙る。
もう一度、論点を頭の中で確認した。
咲良の周りには二つの事案が存在する。一つは放火殺人事件。これは、咲良とは直接関係が無い。家出先の親戚が起こした何とも血なまぐさい事件ではあるが。
新たに加わったのが、瀬戸口一哉の追う人物の件。こちらは未遂なのか既遂なのか、そもそも「事件」と呼んで良いものなのかすら、定かではない。現在進行形の案件であることは間違いなく、詳細は聞いても教えてはくれないだろう。
この二つには、関連性はあるのだろうか。放火殺人事件について、当時付き合っていた瀬戸口は知っているはず。ならばと、俺は鎌を掛けてみることにした。
「放火殺人事件の、関係者か」
瀬戸口の視線がすっと光った。
「知っているのか」
俺は注意深く首肯した。一瞬心臓が痙攣したように傷んだ。無関係だと八割方思っていた二つの事案は、繋がっていた。ならば。瀬戸口が追っている人物は一人しかいない。
「彼女と同居している叔母から聞いた」
「叔母……」
口の中で小さく呟く声が聞こえた。瀬戸口は奥歯を一度噛みしめてから、小さく頷いた。
「
「そうだ」
大きく俺は頷いた。瀬戸口は一瞬ひるんだ顔をしたが、すぐに頭を大きく振った。
「お前、そんな犯罪がらみの人間と結婚なんかしてもいいのか? お前みたいな人種は、世間体を気にするだろう?」
「親兄弟やあるまいし。親戚が起こした事件など、考慮する必要は無かろう。そんな事で気持ちが変わるんやったら、最初から婚約なんかせぇへん」
実際は恋愛関係ではないのだが、堂々と嘘を付く。瀬戸口は大きな溜息をついた。両目を閉じ、暫し黙る。恐らく胸中で何らかのやり取りをしているのだろう。俺はその行為が終わるのを、アイスコーヒーを啜って待つ。警察官としてどうかとは思うが、この男は嘘をつけない。注意深く表情を探っていけば、優位に立てる。
やがて、彼は両目を開けた。何かを諦め、何かを決意した。そんな空気が彼から漂ってくる。
「彼女を守る気持ちはあるか」
「当たり前だ」
少しのブレもない。そう見えるように俺は答えた。瀬戸口は静かに頷いた。
「俺が追っているのは、その事件の被害者、
大方間違っていないだろうと思っていた仮説に彼は正解を示した。俺は黙って頷き、続きを待った。瀬戸口の視線が、外に流れた。そこに、佐比の河原がある。
「四月一日先生があんな事件を起こすはずがない。俺はそう信じていた。仁美先生が俺の家を訪ねてきた時、彼女の言い分が絶対に正しいと確信していた。……俺の一族は揃って警察関係者で、中には警察庁の権力者もいる。そして、事件の捜査を担当していたのは、俺の従兄弟だった。仁美先生は、事件に使われた物品を夫が購入したという証拠を調べて欲しいと訴えていた。……教え子の家にそんなことを訴えに来るくらい、先生は切羽詰まっていたんだ」
瀬戸口の顔が苦々しく歪んでいく。
「その時の、父親の素っ気ない態度に違和感を感じてた。事件を担当していた従兄弟にそれとなく捜査状況を聞いたけれど、答えは曖昧だった。事件の後、従兄弟は警察官をやめて京都へ引っ越して行った。……何らかの力が働いていると感じていたよ。さーらは仁美先生と一緒に、何も言わずに消えてしまった。俺はずっと警察官になりたかったけれど、嫌気が差してさ。従兄弟を頼って京都に引っ越して、大阪の大学に通うことにした」
頼りない笑みを浮かべる。
「さーらのことは、諦めるしかなかった。探しようがなかったからな。従兄弟に強く勧められて警察官になったものの、悶々とした日々を送っていた。そんなある日、従兄弟が自殺したんだ」
「自殺……」
思わず呟くと、瀬戸口は顔を上げて硬く頷いた。
「車の中で、練炭自殺」
すっと、冷たい物が身体の中心を滑っていった。車内で練炭自殺。これは、仁美の夫の死と同じ方法だ。俺の思考を読み取ったように、瀬戸口が頷いた。
「四月一日先生と同じだ。遺書も何もなかった。遺留品から、スマートフォンも見つからなかった。俺が近くにいるのに、親族は俺に立ち入りを禁じてさっさと部屋を片付けてしまった……おかしいだろ?」
瀬戸口は苦いものを口に含んだように口の端を歪めた。
「俺は一つ仮説を立てた。
熱を帯びた口調で瀬戸口が言った。仁美の必死の形相が、眼前に現われては消えた。俺は奥歯を噛みしめて二人の気負いに飲まれまいとする。冷静にあらねば、大切な事を見失い感情だけで行動してしまうことになる。それは、避けなければならない。
瀬戸口は続けた。
「貴和子の金への執着心は凄まじい。あの事件で夫の生命保険と火災保険を手にし、民事訴訟を起こし、賠償金として四月一日家の財産も根こそぎ奪った。その後、貴和子は三回結婚し、二回夫と死別している」
俺は思わず眉を寄せる。
「まさか、二人とも練炭自殺か?」
瀬戸口は首を横に振った。
「流石にそれほど馬鹿ではないようだ。三人の夫は皆高齢者で、死んだ二人は自然死とされている。最初の夫は酒を飲んだ後散歩に出かけて行方不明になり、倒れているところを発見された。死因は熱中症だ。発見されたのが家から随分離れた公園っていうのは不自然だったが。二人目の夫は転落死。眺望の良い展望台から外を眺めていたところ、柵が壊れていて転落したというもの。頭を大きな石に打ち付けたのが直接の死因だ。検死解剖で死因となった傷に不自然な点が見つかったが、防犯カメラで確かに手すりが折れて転落する姿が映っていたので事故と断定された。二人とも資産家で、死後貴和子は多額の遺産を受け取っている。誠司さんが死んだのは二人目の夫が死んだすぐ後だ」
瀬戸口の口調とは逆に、俺の頭は冷静に事態を整理していた。
「誠司さんとか言うお前の従兄弟は、警察官でありながら放火殺人事件で貴和子と共謀していた。身内はその事を知り、恥をさらすまいと事件を隠蔽しつつ警察内部から排除した。だが、誠司さんはその後も貴和子と共謀関係を続けていた。二人の夫が殺されたとすれば、誠司さんが実行犯かな? で、何らかのもめ事が起こって貴和子に殺されたと」
「そう推測している」
首肯した瀬戸口に人差し指を向ける。
「その、金に目のない貴和子が、金を持たない咲良に近付いて何のメリットがあるんや?」
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