第31話 雪の女王現る

 そこは、私の人生史上最も寒い空間だった。


 ペルシャ絨毯に金華山織りの猫足ソファーと、豪華絢爛にしつらえた応接室。大理石のテーブルには、伊万里焼のティーカップが三つ、湯気を立てている。並んでいるアイテムはみんな温かみのあるものばかりなのに、目の前の女性が全ての温度を下げている。まるで雪の女王みたいだ。

 

 雪の女王は涼真りょうまさんのお母様、瑞恵みずえさんだ。彼女は紅茶を一口啜り、音も無くソーサーに戻した。そして、視線を私に向ける。上から下に下から上に、その視線が移動する。


 ひゃーっ! 凍っちゃう!


 思わず目をギュッと閉じた。現に心臓はおかしなリズムを刻み始めている。

 

 瑞希さんははぁっと大きな溜息をついた。氷の吐息は、部屋の温度を五度くらい一気に下げた。

 

「……あなた、よっぽどみすぼらしい女性がお好きなのね」

 

 私は今日、自分では何度清水の舞台から飛び降りても買えない高級スーツを着ている。それなのに、持って生まれたみすぼらしさを見透かされてしまっている。雪の女王恐るべし。思わずきゅっと首を縮めた。

 

「相変わらず、失礼な人ですね。息子の婚約者への第一声が『みすぼらしい』とは」

 

 涼真さんが口元に冷笑を浮かべる。この二人は本当に親子なんだろうか。事前に親子仲は最悪だからと教えられていたし、何を聞かれても「そうですか」と答えておけば良いと伝えられていたけど、ここまでとは。二人の間に分厚い壁が見える気がする。それは勿論、氷で出来ている。

 

「勘違いされては困るので念の為言っておきますが、承諾を得に来たわけではありません。報告です。僕はこちらの畑中咲良はたなかさらさんと結婚しますので。流石に、息子の嫁と面識がないのは困るでしょうから、面通しをしに来たまでです」

「何処の大学を出ていらっしゃるの? ご両親は何をなさっているのかしら? あなた自身は今、どういうお仕事をされているの?」

 

 涼真さんの言葉はあっさりとスルーされ、私への詰問が連なる。これに「そうですか」と答えたら、それこそ「馬鹿にしてんのか」と怒られてしまう。でも、正直に言ったらどうなるのかな。言葉に窮して黙り込み、ソファーの猫足を見つめていたら、涼真さんが私の手にそっと自分の手を重ねた。

 

「彼女のご両親は関東で教育関連の会社を経営しています。理念のしっかりとした、社会に貢献している会社で業績も上々です。ただ、彼女自身は両親と上手く行かず関係を絶っています。学歴はありませんがネイティブな英語を話しますし、上流社会で見劣りしない礼儀作法を身につけています。頭の良い、能力の高い女性だと評価しています」

「学歴がないとは、具体的に言うと? まさか、高卒なのかしら」

 

 ここで「中卒です」と胸を張る度胸はない。涼真さんは溜息をついた。

 

「どうせ、色々調べはると思うので正直に言いますが、高校は中退です。大検はとってはります。我が社ではクリーンスタッフとして働いて貰っています。今のところ。今後は彼女の能力を活かした職場に転属させるつもりですけれど」

 瑞恵さんは目をヒン剥いた。目玉が落っこちそうだ。私は身体を小さく丸めて、このまま消えたいと神に祈る。瑞恵さんは言葉を失い、唇をワナワナと震わせている。

 

「そういうことです。結婚はすぐにでも。あ、結婚式はやめましょう。あれはどう考えても無駄や」

 

 涼真さんは私の手を引いて立ち上がる。手を引かれているので私も立ち上がらざるを得なかったし、足早に部屋を出る涼真さんの後をついて行かざるを得なかった。

 

 部屋を出る手前で涼真さんは振り返った。

 

「あ、検品は済んでいますよ。問題は全くなし。健やかな跡取りを産んでくれるでしょうから、お楽しみに」


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