第28話 四月一日
「調べてきましたよ、
翌朝、開口一番
「二時間かかりましたからね! 二時間ですよ、二時間! プライベートの時間を二時間も費やしたんですから! 超過勤務手当いただきますからね!」
「どうぞ三十分増しで付けてください。貴重なお時間を割いてくださってありがとうございました」
デートする相手がいるわけでもなかろうに、という言葉が浮んだが、それを口にするような度胸はない。黙ってメールに添付された資料を開け、目を通す。
意外な事に、瀬戸口一哉は本当に刑事課所属の警察官であるらしい。
「東京生まれの東京育ち……?しかも、埼玉寄りやな」
経歴の冒頭から疑問符が頭に浮ぶ。咲良は神奈川県にいたはずだ。雇用契約書の保証人欄に書かれていた実家の住所をボンヤリ思い浮かべる。高校生のカップルにとって頻繁に会うのはかなり難しい距離のように思える。
「高校が神奈川とか? いや、地元か。ふーん、柔道部か。高二で全国大会出場。なかなかやるやん」
地元新聞の記事が添付してある。柔道部の選手が並んでいる中に、瀬戸口一哉らしき顔を見付けた。写真の下に、顧問のインタビューが載っている。柔道部顧問と聞くと厳つい人物を思い浮かべるが、写真の人物は若々しく整った顔立ちだった。
「あ、そうそう! 社長! 柔道部の顧問の名前見てくださいよー。何て読むか分かります?」
美雪が声を弾ませる。
「名前?」
そう言われて、顧問の名前を探す。『顧問の四月一日省吾さんにお話を伺いました』という一文を見付け、う、と思わず唸った。
「これ、名字?」
「そうですよ」
ふふん、と美雪が顎を上げる。当てられるもんなら当てて見ろ、とでも言いたいようだ。そんな態度を取られると、なんとしてでも当ててやりたくなる。
「よつきいっぴ……しついか……よつき……」
「頭固いですねぇ」
美雪は肩を竦めて見せた。
悔しい。
俺は額をコツコツと叩き、四月一日という文字を睨む。
「ワタヌキって読むんですよー」
本腰入れて考えるぞと入れた腰を折られ、思わず美雪を睨む。だが、その言葉は針金のように記憶の一部に引っかかった。
『ワタヌキさん、血圧を測りましょう』
彼女もワタヌキという名のようだった。咲良と名字が違うのは、咲良の母の妹と言う関係上当然だ。だが、こんな印象に残る漢字であればどこかで目にした時に不思議に思うはずだ。病室なのだから、必ずどこかに患者の名前が記載されている。点滴や投薬でミスがないよう、チェックするために。大抵はベッド柵にネームプレートが取り付けられている。
そう考えて、思わず口を手で覆った。
ベッド柵にカーディガンが掛けられていて、ネームプレートが隠れていた。いつでも肩に掛けられるようにそこに置いてあるのだろうと気にも止めなかったが。
「綿貫」と書く可能性も多いにある。しかし、あまりよく見かける名前だとは言いがたい。畑中咲良という一人の人物の周辺に、別のルートで二人のワタヌキがいる。
もしかしたら、柔道部の顧問と仁美は何らかの繋がりがあるのだろうか? 年齢から推測すると、兄弟、もしくは夫婦だったりして……。
叔父が顧問をしている柔道部の生徒という繋がりで瀬戸口一哉と咲良は出会った。そういう線もあり得ると言えばあり得る?
そこまで思考を巡らし、全てを一旦否定した。近しい関係者なら、二人の困窮になんらかの手を差し伸べているだろう。
それにしても「四月一日」と書いて「ワタヌキ」と読む。なんとも変わった名字だ。そう思いながら、何となく『四月一日省吾』を検索ボックスに入れ、Enterキーを押す。
「……!?」
そして、言葉を失った。
「社長、朝礼の時間ですよ。その後は会議です。ご用意ください」
美雪が声を掛けてくる。ノートパソコンに視線を釘付けにされたまま、片手を上げて何とか平静な声を出す。
「悪いけど、美雪ちゃん代行頼む。会議もどうせ報告会みたいなもんや。社長は急用で欠席って言うといて」
「ええ!?」
批判めいた声を手であしらう。「下痢でトイレから出てこないって言うてやる」とブツブツ言いながら、バタンと大きな音でドアを閉めて美雪が出て行った。
『放火殺人事件容疑者四月一日省吾、逃走車両内で発見される。その場で死亡確認。後部座席に練炭があり、一酸化炭素中毒死とみられる』
そういった検索結果がずらりと並び、関連画像には新聞記事の写真や爽やかな笑顔のスナップ写真が連なっていた。
ニュース記事の一つをクリックし、内容を確認する。
『四月一日省吾容疑者は
「放火殺人か……。しかもストーカー行為。元カノに一方的に好意を寄せた末の犯行か、人は見かけによらんな……」
思わず呟く。という事は、彼は独身だったのだろうか。もしも妻子持ちだとしたら、更に人格を疑う。
試しに四月一日省吾家族と検索してみる。
「あ……」
そしてまた、その結果に言葉を失う事になった。
『四月一日省吾、容疑者死亡のまま書類送検。妻が週刊誌でえん罪を訴える』
その画像に、女性の写真があった。元は週刊誌のモノクロ写真らしく、鮮明さに欠ける。しかし、その面差しに仁美の影を見付けた。
週刊誌の内容を検索して、そこにはっきりと『四月一日仁美』と書かれているのを見つけ出す。思わずギュッと目を閉じた。
週刊誌の中で四月一日仁美は、夫の罪は岡田貴和子にでっち上げられたものだと訴えていた。『貴和子氏は夫からDVを受けており、夫は相談に乗っていた。それは自分も把握しており、ストーカー行為をしていた訳ではない。一連の事件は、被害者の妻貴和子氏による保険金目当ての犯行だ』という主旨の主張が書き連ねてあった。
自殺した容疑者の妻がとち狂い、あろうことか被害者の妻に罪を被せようとしている。仁美の言葉を引用し、彼女の立場に立って書いているようでありながら、どこかでそんなニュアンスの伝わる記事だった。切々と訴える写真の中の仁美は、狂気に触れているようにさえ映る。
『岡田貴和子さん、某週刊誌の記事に激怒。名誉毀損と損害に対して民事訴訟を請求する』
と後日談が続く。
「……泥沼や」
思わず呟いた。容疑者死亡で書類送検された時点で捜査は終了だ。いくら騒いだとしてもそれは動きようがない。妻の貴和子が犯人であるという確たる証拠があれば別だが。
俺は溜息をつき、目頭をもみほぐした。
咲良の叔母、四月一日仁美は加害者家族である。恐らく多額の賠償金支払い義務を負っているだろう。
咲良との結婚は、木寿屋の看板に傷を付けないだろうか。
組んだ手に額を乗せて熟考する。
加害者家族が世間から迫害を受け、まるで加害者本人であるかのように追い詰められる。それが正しいことだとは思わないが、その火の粉を被るわけにはいかない。だがそもそも、「家族」と呼ばれる範疇に咲良が含まれるのか?
四月一日省吾と咲良は、叔父と姪つまり三親等の血縁である。通常、いくら凶悪な事件が起こったとしても加害者の姪までバッシングを受けることはないだろう。仁美は咲良の母の妹に当たる。その夫と咲良とは血のつながりがない。つまり、咲良に殺人犯のDNAは含まれていない。
殺人犯の妻であり、世間に顔をさらしてしまった四月一日仁美は長くても数週間の内にこの世を去る。
仁美が死去した後で咲良との婚約を発表すれば、誰も事件と咲良を結びつけたりしないだろう。
そこまで考え、俺はやっと身体の力を抜いた。長く深い息を吐き出し、顔を上げる。
仁美は、世間から強い迫害にあった事だろう。関西に流れてきたのも、出来るだけ自分を知らない土地に逃れるためだったのかも知れない。しかし、「四月一日」という珍しい名や、一度顔をさらしてしまった事実が大きな足かせになっただろう。
咲良はそのとばっちりを受けてきた筈だ。高校を中退したのも、事件と何らかの関係があっての事だろう。そんな苦難に遭いながら、何故咲良は仁美と生活を共にしてきたのだろうか。
二人の間に流れるぎこちない空気を思い出す。事件から十年、二人の間に積み重なったものを象徴するような空気だ。重苦しくさび付いていて、吸い込んだ肺を詰まらせるような。
だが、咲良は彼女の最期が安らかであるように願っている。俺の馬鹿げた申し出を呑み込んでまで。
契約結婚。
咲良の苦悩や思いやりを踏みにじるような行為だ。卑劣極まりない。だが、俺は退こうとは微塵も思っていない。仁美の死を淡々と待ち、その代償に子を産ませる。その計画を粛々と進めるのだ。
救いようのない人間だ。俺は。
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