第26話 結婚写真

「まずは衣装をお選びください」


 スーツ姿の女性が手の平で示したのは、壁面一杯に並んだウエディングドレスだ。その前で私は石と化してしまった。


 涼真りょうまさんに連れられ、歴史ある洋館のような場所にやって来た。豪奢な洋館は素敵だけれど、どんな場所なのか分からなくて「?」が頭にいっぱい浮んだ。結婚式や七五三などの記念写真が壁面に並んでいるのを見て、やっと写真スタジオなのだと分かった。


 事前に予約されていたらしく、担当の女性は「お待ちしておりました」と衣装室に案内してくれた。


 写真を撮るの!? しかもウエディングドレスを着て!? 何故こんなにいきなり!? さっき書面で契約を交わしたばかりなのに!?


 涼真さんを見上げると、面白いものを見るように私を見つめていた。


「叔母さんに結婚写真を見せよう」


 サラリとそう言って、つかつかとドレスの方へ歩き出す。顎に指を当て、ドレスをつまみ出しながら私の方をチラチラと見た。そして一着を手に取り、私に向かって掲げた。


「こんなん、似合いそうやんか」


 ふわふわとしたシフォンのスカートに、立体的なバラのモチーフをちりばめた可愛らしいドレスだ。私は慌てて首を横に斜めに振る。涼真さんがくっくと喉を鳴らして身体を折り曲げた。手招きされておずおずとそばに行くと、そのドレスを私の肩に当てる。


「ほら」


 そう言って微笑む。破壊力抜群の笑顔と現実離れしたシチュエーション。胸がギューッと掴まれたみたいに苦しくなり、顔が熱くなる。


「叔母さんのために……。すいません……」


 頭の中が沸騰していた。ヤカンみたいにピーッて音が鳴りそう。とにかくお礼の言葉を言わねばと何とかしどろもどろにそう言うと、涼真さんは微笑んだままそっと首を横に振った。


「叔母さんを安心させるのが咲良の唯一の願い事やから、最優先にせんとね」

 そう言って、またドレスを物色し始めた。


 純粋に私達のことを思い、最大限の思いやりを向けてくれる。そう思うと涙が出そうになる。同時に後ろめたさが押し寄せてきた。私は彼に言えないことを沢山抱えているのに。


 私は結婚なんて出来ないだろうと思っていたし、万が一出来たとしても、きらびやかな衣装を纏うことは無いだろうと思っていた。それが、こんなに素敵な人と並んで写真を撮るなんて。神様から特別なご褒美を頂いたみたいだ。


 そう考えて、ハッと涼真さんを見た。


 すらりと背が高くて、スタイルの良い涼真さん。高級そうなスーツをサラリと着こなすんだから、新郎の衣装を着たら悶絶死しちゃうくらい素敵なんじゃないだろうか?


「りょ、涼真さんは何を着るんですかっ!」


 思わず拳を握る。担当の女性を見ると、彼女は慌てたように反対側の壁面に並ぶ男性用の衣装を示した。ウエディングドレスの三分の一くらいしかラインナップがない。どうしてよ。涼真さんを飾る衣装は、数多くの選択肢から吟味せねばならぬのに。


 私はそこへ走った。


 薄いグレーの三つ揃い。蝶ネクタイのタキシード。白い燕尾服。どれを着ても涼真さんはきっととても素敵に見えるはず。纏った姿を妄想しては、次の衣装を手に取る。そんなことを繰り返していると、一揃いのタキシードが鮮烈に目に飛び込んできた。


「これだ!」


 思わず叫ぶ。


 落ち着いたトーンの白を基調にしているけれど、襟やポケットに臙脂のアクセントが入っている。ウエストがキュッと締まり、裾は長め。王子様感タップリ。いや、これを着た涼真さんは王子様そのものに見えるはずだ。


 振り返った勢いで、鼻息がゴフッと音を立ててしまった。


「た、確かにお似合いですわね」

 担当の女性が言う。


「普通新郎の衣装は新婦に合わせるもんやで。先に咲良のドレスを選び?」

「いえ! 涼真さんはこれがいいです! この衣装の中でこのタキシードが一番お似合いです!」

「ああ、そう……?」


 苦笑いを浮かべる涼真さんを見て、ハッと我に返る。急に恥ずかしくなり、タキシードを手にしたまま熱くなった顔を下に向ける。


「似合うと思うんです……」


 言い訳のように呟いた。担当者がコホンと咳払いをする。


「いいと思いますよ。新郎の衣装が決まればドレスも選びやすくなります。こちらはモーニングコートというもので、元々は貴族達が朝の乗馬で着る衣装です。ですから、厳密に言うと日の出ている時間帯のお式に着るものです。お写真ですから、昼夜はあまり関係ありませんけれど、ドレスを選ぶ時に太陽の下で映えるようなデザインをお選びになるとしっくり来るかも知れませんね。そして、キャメルホワイトの生地やブラウンのアクセント、ベストのシャンパンゴールドといったカラーに合わせて、とすればターゲットが絞られますね」


 きらびやかな単語に頭がクラクラするばかりで、内容が頭に入っていかない。そんな私を見て担当者はクスリと笑い、ドレス群から何着かをピックアップした。


 胸元や裾にシャンパンゴールドのモチーフレースをあしらったドレス。ボリュームたっぷりのAラインのミニスカートで、肩に大きなリボンをあしらったドレス。腰にブラウンのリボンを巻いたプリンセスラインのドレスなど。


「お気に召したもの、ありますか?」

 にこりと微笑まれ、私は再び頭が真っ白になる。


「どれも素敵なんですけど……。選べないですぅ。涼真さん、選んでくださいぃ……」

「僕が……?」


 涼真さんが困ったようにそう言って前髪を払った。無理難題を押しつけられた涼真さんはドレスと私を交互に見比べる。


「……着てみたら?」

「これ、全部?」

「勿論。一番似合う奴にしよう。選び切れへんかったら、全部の写真撮ったらええやん」

「全部なんて! 一着選びますぅ」


 私の優柔不断が、涼真さんの出費に繋がっては申し訳ない。私はドレスに手を伸ばし、一枚を無理矢理選ぼうとした。その手首を涼真さんが掴む。


「選ぶのは、着てみてから」

「え?」

「それを着た咲良を僕が見たいんや」

 そう言って片目を瞑る。


 ああ、心臓が止まりそうだ。


 ***


 試着室から出てきた咲良さらは、大ぶりなシャンパンゴールドのモチーフレースをあしらったドレスを纏っていた。他のドレスに比べてスカートのボリュームは抑えられており、大人っぽい雰囲気だ。


 背伸びをしているように見えるだろうと予想していた。しかし、その豪華なドレスに咲良の存在が負けてしまうことは無かった。すっと伸ばした背に、皇女のような気品が漂っている。


 スタッフが咲良の後ろに回り、簡易的に髪を結い上げた。


 俺は、ハッと息を飲んだ。細く長い首筋が露わになり、妖艶さが引き出されることになった。


「これは、ちょっと大人っぽ過ぎて似合いませんね……」

 恐縮したように咲良が肩をすぼめる。

「そんなこと無い。よう似合うてる……」


 彼女から視線を外すことが出来ない。それくらい、似合っている。


 写真を一枚撮ってから、次のドレスに着替える。次は、肩に大きなリボンをあしらった膝丈のドレスだ。


 いい。これはいい。


 スカートの下から、美しい脹ら脛が覗いている。生地のキャメルホワイトが肌の美しさを引き立たせている。大きなリボンの影から覗く鎖骨が色っぽい。


 鏡の前で咲良はくるりと回った。


 ドレスの裾が揺れ、膝の裏側がチラリと見えた。


 いい。めちゃめちゃいい。男心を翻弄しそうな小悪魔テイストが、そそられる。


 次は、ウエストにブラウンのリボンを巻いたドレスだ。こちらはクラシカルな装い。従順で清楚な雰囲気だ。早朝の静かな庭園が似合いそうな、淑女がそこにいる。


 女は着るものやメイクでがらりと変わる。そんな姿は飽きるほど見てきた。しかしこれほど鮮やかに変身されると、穏やかな心持ちではいられない。


 「ウエディングドレス」というカテゴリーでこれだけ違うのだ。コスプレをしたらどうなるのだろう。例えばミニスカポリスとか、うさ耳のメイドとか、チャイナドレスとか、魔女とか……。


 下着でもやっぱり、変身するんだろうか……?


「あ、あの……」

 咲良の声で我に返り、慌てて妄想を手で打ち消す。淑女ドレスの咲良が、かしこまったように身体の前に両手を合わせている。俺は彼女に、出来るだけ澄ました笑顔を向けた。


「どれが気に入った?」


 『選んでください』と言われたら、どうしようかな。やっぱりミニスカートの丈がいいだろうか。足がとても綺麗だ。いや、これは叔母さんに見せるためのドレスだ。やはりオーソドックスなものの方が……。


「お、怒らないでください」

 だが咲良は、想定外の言葉を口にした。


「さ、最初に涼真さんが手にされたドレスがいいですぅ……」


 咲良はそう言って、身体を小さく丸めた。

 

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