第24話 彼女が見ていた夢

「広報部、とかはどう?」

「きゅっ! きゅおひょうぶい!?」

「きゅお?」


 配置転換先として俺が出した提案に、咲良が首を絞めた九官鳥みたいな声を出す。目を大きく見開いて、唇をアワアワと震わせている。その表情の変化にまた笑いが込み上げてきた。咲良さらはハッと正気に戻ったように、真面目な顔を取り繕った。


「私の耳がおかしくなっていなければ『広報部』と仰いましたか」

「そうそう。広報部。この前出したコンペ、評判ええみたいやで。咲良の夢はコピーライターになる事やろ?」

「それは、昔の話ですよ」


 急に顔を曇らせて俯く。喜ぶと思い込んでいたので、その反応に戸惑った。


「昔の話? 今は、そんなに関心無い?」

「無いわけではありませんけど、私には、無理です」

「無理? なんで?」


 俯いたまま首を大きく横に振るので詰問のように問いを重ねてしまう。咲良はその問いには、答えなかった。言葉で説明する必要は無いと言うことなのかも知れない。


 学歴を持たない自分が普通の会社員のような地位に立てないと、端から諦めてしまっているのかも知れない。だとしたら、それはとても勿体ないことだ。彼女の内側には沢山の才能が眠っている。彼女は豊かで繊細で色鮮やかな感性を持っているはずだ。宝石の原石を、石ころのまま埋めておくのはとても勿体ない。


「……因みに、何でなりたいと思ったん?」

 説得を試みるために、切り口を変えた。彼女は顔を上げ、ゆっくりと首を傾ける。


「なんで……」


 そう呟いた後、彼女はおもむろに両手で顔を覆った。両手の内側で、彼女は荒く呼吸した。唐突にあふれ出した感情を必死に隠そうとしているようだ。唐突な変化にどう声を掛けるべきか戸惑う。


 しばらく彼女は手で顔を覆ったまま肩で呼吸していたが、意図的に大きく息を吐き出してから手を下ろした。そこには、無理矢理張り付けたような笑みが浮んでいる。


「幸せになれそうだなーって、思ったんです。コピーライターになったら」

「幸せに?」


 妙だと感じるほど明るい声でそう言ったので、思わず問い返した。彼女は戯けたように人差し指でこめかみをつつく。


「私、すぐ広告に踊らされちゃうんですよ。キャッチコピーだけじゃ無くて、その商品の説明文を読むのが好きで、気になる商品があると父にお強請りしてました。その度に、『それは商品が良く見えるように書いているだけ。いいところはよりよく見えるように、欠点すら良く見えるように』って言われました。で、コピーライターって、いつも色んなものを『良いところはよりよく見えるように、悪いところは見る方向を変えて良く見えるように』世界を見ているのかなって、思いました」

「ほう、それで?」


 なかなか面白い解釈だと思い、身を乗り出した。彼女は遠い場所に視線を向けて言葉を続ける。


「今自分の周りにいる人や、これから出会う人。その人達との間に起こること。全部、いいところをしっかりと見付けていきたい。悪いところは、視点を変えたら美点をきっと発見できる。そんな風に世界を捉えることが出来たら、自分の周りに悪いものは一つも無くなります」


 咲良の額に、薄い縦向きの皺が寄った。彼女の瞳は空を見つめている。そこに、彼女にしか見えない像が結ばれているのだろう。悲しみと愛しさが上手く混じり合わないような色が、瞳に映っている。

 

「成る程、それは素敵な考え方やな。応援したくなるなぁ……」


 俺は出来るだけ心のこもった声になるように気を付けてその言葉を言った。本当に、素敵な考え方だと思った。彼女の父が何故反対したのか、理解しがたい。


 こんなに優しく豊かな気持ちで真っ直ぐ夢を目指していたら、今頃彼女の作り出したコピーは、世の中を今よりほんの少し明るくしていただろうに。


「広報部で、素敵なコピーを一杯考えて」


 もしもその夢の力になれるのならばと、俺は柄にも無く心からそう思った。けれど、咲良は首を横に振った。夜になり、閉じてしまった花のように寂しい姿が、そこにあった。


「無理ですよ」

「何が、無理?」


 俺は身体を前屈みにし、咲良の顔を覗き込んだ。


「学歴が無いからです。身の丈に合わないものを望んだら、排除されるんです。幸運だと浮かれている間に、足元にはびっしり網が張られていてね、ある日『せーの!』って皆でそれを持ち上げるんです。私は一気に転落するんです。正に天国から地獄へ。真っ逆さまに落ちた谷底で、思うんです。『身の丈に合わないことをしたからこんな目にあったんだなーっ』て」


 彼女の目尻に、小さな泉のような涙が浮んだ。彼女は人差し指でそれをすくい取り、笑った。こんなにも痛々しい笑顔を、俺は初めて見たと思った。


「クリーンスタッフがいいです。このままがいいんです。仕事、楽しいんです。……ごめんなさい。折角色々考えて下さったのに……」

「嫌……。咲良の意見を聞かずに勝手に悪かった。諸手を挙げて喜んでくれると想像してたから、ちょっとへこんだだけ。……しかしなぁ。結婚相手がクリーンスタッフっていうのも……」

「駄目、なんですか……」


 ポロリと零してしまった本音に、咲良は顔を上げた。急激に瞳は力を取り戻していく。


「掃除って、汚くて重労働で誰でも出来る仕事だって思われるかも知れないんですけど、結構特殊技能なんですよ。『この汚れにはこの方法で』って知識も必要だし、決められた時間の中で効率よく、でも間違いなく綺麗にしなきゃいけないし。終わりが無いし。でも、綺麗なオフィスだと、お仕事の効率よくなるでしょう? 商品も良く見えるでしょう? 来客も気持ちよいでしょう?」


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