第6話 愛の歓び

 こういったパーティーは、人脈を広げる絶好の機会なのだ。そう思い、いつも精力的に歓談の場を渡り歩く。


 しかし、どうも今日はその足を上手く運ぶことが出来ない。


 ダンスパーティー目当てなのか、いつもより女性の参加者が多い気がする。多くの女性達は端のテーブルに固まり談笑している。上品に口元を隠して笑い合いながらも、その視線はチラチラとこちらに向いている。そこから発する何かが、足に絡みついているようだ。


 テーブルが片付けられてフロアが広くなるにつれ、女性達の輪が形成されて行き、自分に向かってジワジワと狭まって来る。


 これではまるで、奈良公園のど真ん中で、鹿せんべいを持たされた人のようではないか。


 そうこうしている内に、食事を乗せていたテーブルは綺麗に片付けられ、フロアは何もない広い空間となった。


 照明が暗くなった。壇上に司会者が立つ。ミニスカートから美しい足を曝け出している司会者は、赤く塗られた唇を大きく開けて宣言した。


「さあ、お待たせいたしました! ダンスタイムの始まりです! 皆様、どうぞお近くの方とお手を取り、ホール中央へお越し下さい!」


 その言葉を合図に、音楽が流れ出す。


『いつか王子様が』

 乙女の夢そのもののような、軽やかで甘いメロディー。


 煽っている。完全に煽っている。


 それを合図に雌鹿達がなだれ込んできた。はうっと息をつめた瞬間、凄い力で腕を掴まれた。


「踊って下さいましっ! 九条くじょう様っ!」

「ぬう゛ぉ!」


 腕を掴んでいるのは、今朝見たお見合い写真の女性だった。モンゴロイドの典型的な顔立ちに真っ赤な口紅を引いている。少し上向いた鼻から、ふごっと空気が漏れた。


 女性は顔ではない。それは分かっている。見た目が美しくて心が醜い女よりも、心が美しくて見た目が多少残念な女性と居る方が、結局のところ幸せになれるのだろう。


 だがそれは、生涯つれそう相手という大前提があっての、一般論だ。二年と限定した仮面夫婦であるならば、美しい人がいい。多少性格に難があっても、性欲を掻き立てる身体を持った美人がいい。どうしても!


「し、失礼」


 俺は彼女の手を振り払い、一目散に逃げた。会場を出たところにトイレを見付け、取り敢えず飛び込む。


 特に足したくもない用を足しながら、これから取るべき行動を思案する。


 このまま会場を立ち去るのも一つの手だ。主催者の承諾を得たのだから、それは構わないだろう。この方法をとった場合、先ほど保留にした夫人の願いを叶えなければならないのだが。


 もう一つは、腹を括って会場へ戻り、自ら好みの女性の手を取り踊ることだ。できれば二年一緒に居ても苦にならない、美人で抱き心地が良く、元気な子供を産んでくれる丈夫そうな女。そうすれば、母の見合い攻撃から解放される。


「後者だ」


 手を洗い、鏡に向かって宣言する。今、回避したとしても、見合い攻撃は続く。いつかは腹を括らなければならない。それならば、写真よりも生身の姿を見て選んだ方がいい。幸いダンスをすれば、性格はどうあれ身体の相性は測れるだろう。


「よし、行こう」

 両手で頬を軽く叩き、背を伸ばした。


 トイレを出たところで、女子トイレから慌てて出て来た女性とぶつかりそうになる。彼女は大きく姿勢を崩した。慌てて背に手を回し、体を支える。

「あ、ありがとうございます。……って嘘……」


 彼女の顔を見て、呼吸が止まりそうになる。


畑中咲良はたなかさら……」


 今日何度目かの驚きの対面。その度に彼女は、姿を変えている。今度は、背中が広く開いたコバルトブルーのドレスに身を包んでいた。


「社、社長……。お見苦しい姿をお目にかけて申し訳ございません……」


 咲良は姿勢を立て直し、乱れた前髪をそっと直した。ボリュームのあるスカートは膝を隠す程の丈で、そこから白く形のいい下腿が覗いている。


「社員さんから、ダンスのお相手をするように申しつかりまして。どうやら本日は、一人の男性に女性が集中しそうなのだとか。折角いらっしゃったゲストが退屈しないようにと……」

「と言うことは、君はダンスを踊れるんか?」

「す、少しは……」

「丁度いい。僕もそんなに上手やない。行こう」


 俺は咲良の手を取り、ホールへ向かった。彼女と踊りながら会場をしっかりと見渡し、好みの女を見付け出そうと思いついたのだ。我ながら頭の回転が速い。


 咲良を連れてホールに戻ると、一瞬場が静まりかえった。丁度曲が終わったところらしい。


 きつい視線を投げる女性達に会釈をし、咲良を連れて中央付近に向かう。


 咲良の腰に手を回し、左手同士を握り合ったところで曲が始まる。『Plaisir D'Amour』のゆったりとしたメロディーが流れる。邦題はたしか『愛の歓び』だったかな。


 社交ダンスは、実はあまり得意ではない。それに、かなり久しぶりだ。辿々しく踊っては、俺のイメージが損なわれるので、踊りたくなかったのだ。


 咲良も同じようなものだろうと思っていた。しかし、そうでは無かった。


 俺が不慣れなのを察したのだろう。咲良はリードを取り始めた。


 彼女が足を引く方に足を出し、重心を傾けていく。咲良のリードはさりげなく、心地よかった。恐らく傍目には、俺が彼女を導いているように見えるだろう。


「音楽に、身を任せたらいいんです」

 耳元で咲良が囁いた。


 咲良の身体は音階を滑るように舞う。彼女の動きに合わせていると、鳥の背に乗っているような浮遊感を感じた。彼女の腰は美しくくびれ、身体を反らせると美しい胸の形が露わになる。首筋とうなじは白くなめらかで、香水ではない良い香りがした。


 咲良の顔は常に至近距離にあり、自然と二人は見つめ合った。


 咲良の顔は、美葉によく似ていた。顔の形、目や鼻や口の位置、その大きさが酷似している。だが詳細を具に確かめると、何かが全く違う。


 曲に心を会わせる内に、不思議な高揚感が湧きあがる。


 美葉と違うパーツの形状を、記憶にある形状に修正した。手の中にある感触も、温度も、嘗て馴染んだものにすり替えていく。


 いつの間にか、腕に抱いている存在は美葉に変わった。彼女の鮮やかな笑顔、なめらかな肌、熱い吐息。それらが鮮烈に蘇る。


 畑中咲良は記憶を具象化する器と化していた。


 淡く余韻を残し、『Plaisir D'Amour』が終わる。途端に、会場の隅から女性達が涌くように現われ、ジリジリとこちらに近付いて来た。


「行こう」

 咄嗟に咲良の手を掴み、走り出した。

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