第4話 今度はイベントコンパニオン!?
クリーンスタッフの
驚いたのは発音の美しさだけでは無い。英語から変換される日本語もまた、素晴しく的確だった。関西の訛がないので余計にそう聞こえたのかも知れない。
彼女は直訳せず、一番ふさわしい言葉を選んで伝えていた。会話の全体的な流れを把握し、俺と
お陰で対談はとてもスムーズに進んだ。李とは何度か話を交わしているが、どんな通訳を介するよりも、有益なコミュニケーションを取ることが出来た。
「ありがとう。お陰で対談がスムーズに進んだ。とても助かった」
礼を言うと、彼女はポッと頬を染めた。その愛らしい表情を李は見逃さない。耳元に顔をよせ、英語で何かささやきかけた。彼女は身体を仰け反らせ、両手と首を同時に振った。李は引き下がらず尚も身体を近付けていく。
彼女の困った顔を見て放っておけない気持ちになり、咳払いを二人の間に挟む。
「良かったら、家に送って行こか?」
「あ、いえ。私自転車で来たので。……あ、もうこんな時間だ! 私、失礼します!」
助け船を出すと畑中咲良は腕時計を見、慌てて立ち上がった。パタパタと足音を立てて走り出し、入り口付近で思い出したように足を止め、クルリと身体を回転させ、ぺこりと頭を下げた。両手をペンギンのように開いて。
仕草が一々愛らしい。微笑んで手を振ると、また頬を赤く染めた。
ふふふ、と李が笑い声を上げる。
「カワイイ。ナニシゴトシテマスカ?」
「彼女? クリーンスタッフや」
「クリーンスタッフ? アア、Cleaning staffネ。……エ、マジ?」
李は驚いた顔をした。その顔に苦笑を返すしかない。中卒のクリーンスタッフが流暢な英語を話すなんて、こちらとしても想定外だ。
「モッタイナイ。トテモエイゴキレイ。……カノジョ、リョウマサンノコノミ、ドストライク」
李がニヤニヤと笑う。その言葉に思わず肩を竦めた。
「冗談言う時だけ、日本語が流暢になるんやね」
取り敢えず、嫌味を一つ返しておく。
***
六時過ぎ、俺はレクサスの後部座席に足を組んで座っていた。ハンドルは
建設会社主催のパーティーに顔を出す予定なのは、承知していた。だから取材とパーティーのため、アルマーニのスーツを着て出社したのだ。
社に戻ると、美雪はタキシードを掲げ着用を迫った。その時初めてパーティーの主旨を知る事となった。
そのダンスパーティーは見合いの場でもある。若手の実業家達と良家の令嬢達が、自分にふさわしい相手を探して踊るのだ。
俺はいつもその間、ダンスには興味が無い経営者陣と交流を深めることにしている。踊る気のない参加者はスーツ姿だから見分けやすい。タキシードを着るのは「今日は踊ります」という意思表示になるのだ。
タキシードはわざわざ、母が会社に持参したらしい。
「もうホンマ、ええ加減にしてほしい……」
思わず呟くと、運転席で美雪がわざとらしい溜め息を漏らした。
「それはこっちの台詞ですよ。お母様と社長の板挟みになるのはウンザリです。私は秘書です。見合いおばさんやありません。もう諦めて誰か良さそうな人を見繕って結婚したらええんと違います? 昔は皆見合い結婚で、生活を共にするようになってから愛情を育んだんです。恋愛する気がないんやったら、諦めてお母様の選んだ候補から一人選抜しましょうよ」
「それもそうやな」
美雪の言葉は、コロンと俺の腹に転がり落ち、思わず手を打った。
どうせ跡取りが必要なのだ。子を産んで貰う相手だと割り切り、その相手をリストの中から選べば、母も大人しくなるだろう。跡取りさえ生まれたら、離婚しようが別居しようがこっちの勝手だ。他人と生活を共にするのは億劫だが、子供が産まれるまでの一年二年やそこら、我慢すればいい。
霧が晴れるように、長い間胸を重たくしていたものがすーっと消えていく。俺はシートから身体を起こし、運転席の背もたれに身体を預ける。
「ほな、今日最初に踊った女性と結婚するわ」
「ええ!? マジで言うてます?」
「マジで言うてます」
にやりと笑い、再びシートに背中を預ける。開き直れば、何をこれまで真面目に悩んでいたのかと馬鹿馬鹿しく思えて来た。
***
迎賓館に着くと、イベントコンパニオンが並んで出迎えた。クリーム色のスーツに身を包んだ女性達は皆スタイルが良く、顔立ちも良く、身のこなしも優雅だ。その内の一人に鞄を預け、頭を下げる女性達の間を抜けてホールへ向かう。
美しく一列に並ぶ女性陣の中で、一人だけ頭一つ分後ろに下がり、頭一つ分深く頭を下げている女がいた。気になって視線を向け、頭頂部から発する気配に思わず声を上げる。
「畑中咲良……!?」
「ひ、ひいいいいい!」
思わず名を呼ぶと、畑中咲良は頭を下げたまま両手をバタバタさせ、後退る。三メートルほど下がったところで硬直し、しばらくして諦めたように顔を上げた。
「こ、今晩は……。ほ、本日はお日柄も良く……」
真っ赤に顔を染め、訳の分からないことを言いながら上目遣いの視線をこちらに向ける。
髪を夜会巻きにし、身体のラインを際立たせるスーツに身を包んだ畑中咲良は、小豆色のポロシャツの彼女とも、ジーンズ姿の彼女とも別人のようだ。はっきりとしたメイクのせいなのか、気品のある面立ちに変わっている。
均整の取れた身体、すっと細い首に小さな顔。まるで凜と咲く白百合のようだ。
「あ、あの! 副業は職務規程に違反していますか!?」
顔を真っ赤に染めたまま、彼女が言う。言葉の意図が頭に入らず、思わず首を傾げるとその表情に切迫したものが浮んだ。
「英語とか諸々、特技を気に入られて、いい時給で雇って貰えたんです。副業しないと、生活が苦しいんです。どうか、見逃して貰えませんか。今日が初日で、騒ぎを起こしたくないですし……」
ああ、と思わず息を吐く。確かに、クリーンスタッフの給料は他の職種に比べて安い。家賃や光熱費を払えば、余裕のある生活を送れるとは言いがたいのかもしれない。
顔を真っ赤に染め、唇を噛んでいる彼女を改めて見つめた。
コンドミニアムでの彼女はとても知的で有能な女性に見えた。英語も日本語も語彙が豊富で、機転が利く。おそらく元々の知的水準が高いのだろう。所作にも品がある。一般的なものよりも良質な作法を身につけているのは間違いない。
そんな彼女が学歴を持たないばかりに清掃の仕事に就き、副業を強いられている。彼女はとても不運なのだろうと、同情心が沸いた。
「職務規程では、副業は禁じられています」
背後で声がした。美雪がレクサスを駐車して戻ってきたのだ。彼女はこちらにきつい視線を向けた。
「昭和に作られた職務規程を見直していないからやと思います。これからの時代、人財は何ものにも代えがたい宝です。これを機に、見直したらええのではないかと思います」
「あ、ああ……」
痛いところを突かれて言葉を失う。木寿屋は今、様々な問題を抱えており、業務拡大を一端止めてでもその問題を解決しなければならないと考えていた。
「そうしよう。ええ機会やから早速明日から。……そやから、今日は大目に見とこう」
首を向けて頷くと、咲良の瞳が大きく揺れ目尻にじわりと涙がにじんだ。
花片に浮ぶ朝露のように、目尻の雫はそっと光った。咲良はそれを人差し指で拭い、深く頭を下げた。
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