第5話 リリはお悩み中

 翌日。ダドリーはリリが描いた似顔絵を持って朝から冒険者ギルドへ、ミリーとリリは昼の営業に向けていつも通り仕込みを始めた。ミルケは安定の母の背中である。


 ミリーもダドリーと同じく、リリに色々聞きたい事があった。五十メートルは離れた場所からあの男の太腿を撃ち抜いたのは、狙ったのか、それとも偶々当たったのか。瘴魔しょうまを倒したのはリリなのか。だとしたらその方法は。だが朝の仕込みは忙しく、じっくり話を聞く時間はない。


 母の手伝いをしながら、リリもまた考えていた。絶対色々聞かれるだろうと。それに対して何と答えよう?

 自分の能力、つまり色付きの靄が見えて、それで人の感情が分かる能力を打ち明けたら両親はどんな風に感じるだろうか。もし自分だったら? その時抱いている感情が相手に筒抜けだと分かったら……自分なら嫌だ。そんな人の傍には居たくないと思う。

 イライラしたり落ち込んだり、相手を嫌いだったり無関心だったり、怒っていたり悲しんでいたり、そういうのが全部バレているなんて落ち着かない。


 両親が自分の能力を知って、もし遠ざけたいと思ったら……口に出さなくても、自分には分かってしまう。いくら取り繕っても本当の気持ちが分かってしまうのだ。大好きな両親からそんな靄が出ていたら、きっと自分の胸は張り裂けてしまう。だって想像しただけでこんなに悲しいのだから。


 昨日の瘴魔を倒せたのは、多分この能力が関係している。あんなに目立つ弱点があるなら、これまでも倒すのに苦労はしなかっただろう。自分みたいな弱い子供でも倒せる奴を皆が恐れる筈がない。と言う事は、あのボヤっと光る白い球は、他の人には見えていないのだ。


 能力は言えない。でも瘴魔の弱点は広めたい。特に遭遇する確率が高いお父さんには知って欲しい。……いや待てよ? あれが弱点とは限らないんじゃない?

 私が見たのは昨日の一体だけ。偶々上手く倒せただけで、あれが弱点と決め付けるには早過ぎる。むしろ、弱点じゃなかった場合は、誤った情報によって危険が増してしまう。


 リリは玉ねぎをみじん切りにしながら頭を抱えたくなった。今頭を抱えると髪の毛が玉ねぎ臭くなる。出来る事ならベッドの上でゴロゴロと悶えながら、上手く伝える言い方をじっくりと考えたい。


 隣のリリが「むー」とか「うぅー」とかずっと独り言を言っているので、ミリーは可笑しくて噴き出しそうになる。声を掛けるべきか、と思ったがやっぱりそっとしておくことにした。


 ミリーから見て、リリはとても大人びた子だ。時に思慮深いとさえ思える。子供らしい悪戯はしないし素直で聞き分けも良い。反面、もっと甘えてくれたら良いのに、と思う。

 自分がお腹を痛めて産んだ子だ。それから八年ずっと傍で成長を見てきた。リリの事は、リリ以上によく知っている。だから、何か隠し事をしているのだろうと薄々感じていた。でもそれは仕方なくそうしているのだろう、ということも何となく感じ取っていた。


 打ち明けられない事で、リリが辛い思いをしなければ良いのだが。自分に出来るのは、どんな事があろうとも変わらずリリを愛するということ。何があっても必ずリリを守ること。そしてそれをリリ自身が心から信じられるように言葉と態度で示すことであろう。


 隣でむーむー唸っている娘を微笑ましく見ながら、ミリーはそんな事を考えるのだった。





 マルデラの冒険者ギルドは朝から騒然としていた。瘴魔を使役しているらしい殺人犯の捜索依頼がギルドから正式に出されたのが昨日の昼頃である。そして、その犯人がダドリー・オルデンとその家族が住む家に侵入し、ダドリーと、その妻で元冒険者のミリーによって見事討ち取られたのが昨夜だ。展開が早過ぎて驚きを隠せない。

 Sランク冒険者であるダドリーの自宅に侵入するなんて、その殺人犯も間抜けな奴だったんだな、というのが概ね冒険者達共通の見解であった。


 だが、ギルドマスターの執務室に集まった面々は別の事で頭を悩ませていた。


 マルデラの冒険者ギルドでギルドマスターを務めているのは、アンヌマリー・ケイマンという女傑である。齢五十を超えている筈だが、どう見ても三十代後半。紫がかった黒髪を長く伸ばし、体の線を強調する服を好んで着ている。リリが見たら「美魔女だ」と思うだろう。


「それで、もう一人居るって言うのかい?」


 アンヌマリーがダドリーに尋ね、ダドリーは重々しく頷いた。


「そうだ。少なくともあと一人。もしかしたらまだ他にもいるかも知れない」


 ダドリー以外にも、「金色の鷹」の面々が全員揃っている。


 リーダーのジェイク・ライダーは二十八歳。ダドリーの一つ下で剣士。

 クライブ・メイロード、二十四歳、盾役タンク。大盾と槍を使う。

 アルガン・ボイルマン、十九歳。ミリーの引退後に加入した剣士である。

 アネッサ・バネル、十九歳。同じくミリーの引退後にパーティに加わった。魔術師であり弓も使う。


 「金色の鷹」の五人は、事前にダドリーから情報を得ている。殺人犯の仲間があと最低一人いるというのは重大な懸案だ。ジェイクの判断で、その情報をアンヌマリーと共有しようと決め、会議室に集まっている次第である。


 この場には更に二人の男性が同席している。一人はマルデラの衛兵長、カイル・ノードス。真面目で部下想いの大男である。もう一人は、この町を含むクノトォス領を治めるクノトォス辺境伯騎士団から派遣されているザックロス・メイデイ中隊長。彼が率いる中隊はマルデラから東西に伸びる街道の巡回警備を行っている。


 つまり町の内と外を守る組織の代表が出席しているのだった。


「で、この似顔絵はあんたの娘が描いた、と」

「そうだ」

「確かに絵は上手だと思うよ? でも、もう一人が殺人犯の仲間だって言う根拠はあるのかい? 娘はまだ八歳なんだろ?」

「根拠はない。ただ娘を信じてるだけだ」

「…………」


 ダドリーはリリを信じて疑わない。当然だ。自分の娘のことを信じなくてどうする。リリが殺人犯はもう一人いると言うなら、それはいるのだ。


 ジェイクはよく「鷹の嘴亭」に行くし家にも遊びに行く。そこでリリと数えきれないくらい会っており、姪っ子のように可愛がっていた。リリは面白がって嘘をつくような子ではない。むしろ慎重な性格だ。子供らしくはないが。

 クライブ、アルガン、アネッサの三人は、ジェイクほどではないがリリのことを良く知っている。最年長のダドリーのことを信頼もしている。


 だから「金色の鷹」にとって、殺人犯が最低もう一人いるのは根拠の薄い推測ではなく事実である。


 しかし彼らは別にして、アンヌマリー、カイル衛兵長、ザックロス中隊長の三人は少しばかり懐疑的だった。だからと言って頭ごなしに否定するつもりはない。実際に犯人から襲撃されて返り討ちにした本人、しかも長年マルデラで活躍しているSランク冒険者が言うのだ。それに、アンヌマリーは知っていた。ベテラン冒険者の「勘」は決して侮ってはいけないことを。そして、自分自身の勘もダドリーの話に耳を傾けるべきと告げていた。


 ただ、現実問題として捜査を続けるには金が掛かる。最初の殺人犯捜索依頼はクノトォス辺境伯からの依頼で、辺境伯が依頼料を拠出している。依頼を請け負った冒険者は殺人犯を見付けたかどうかを問わず一日当たりいくらという形で報酬が支払われる。僅か一日足らずでスピード解決したため予算は余っているが、残っている予算を存在するかどうか分からない別の殺人犯捜索に充てて良いものかどうか。更に、予算を超過した場合どうするか。


 アンヌマリーは頭の中で素早く計算し、残りの予算で捜索出来る日数を算出する。


「よし。予算的にもう一人の捜索に掛けられる日数は六日だ。それ以上はその殺人犯が確実に存在するという証拠が必要だね」

「うむ、それでいい」


 衛兵と騎士団は元々辺境伯領に雇われているので特に問題はない。アンヌマリーは冒険者達へ依頼を周知することと、リリが描いたもう一人の似顔絵を大至急三十枚模写することをギルド職員に指示した。模写は専門の担当者が居て、出来た順に希望者に配布されるが、最初に渡されるのは衛兵と騎士団の詰所になる。


 もう一人の殺人犯を町として捜索することになり、ダドリーはひと安心した。警戒する者が多くなれば、そうでない場合に比べて被害者は確実に少なくなる筈だ。ただ、昨夜のように瘴魔しょうまが出た場合はその限りではない。いくら警戒していても被害は多くなる。


 そうなる前に見つけ出さなくてはならない。





 その夜は「鷹の嘴亭」に「金色の鷹」全員がやって来た。普段夜の営業は行っていないが、メンバーがミリーとリリ、ミルケに会いたがったのだ。ダドリーから襲撃があったと聞いて家族の安否を心配し、全員無事と聞いてほっとしたが、そうなると余計に会いたくなるというもの。ギルドから先に帰って来たダドリーから皆が会いたがっていると聞いて、ミリーは酒や料理を振る舞うことにしたのだった。


 ダドリーの仲間達のことが好きなリリも、張り切って母を手伝った。昼の営業ではオムレットライス(オムライス)とハンブルグ(ハンバーグ)の二つしかメニューがない。ずっと同じ料理ばかり作るのは飽きてしまう。

 家でも料理の手伝いはするが、人に振る舞うのはまた別だ。「金色の鷹」の為に、クリームシチュー、唐揚げ、煮込みハンバーグ、ナポリタンスパゲッティを作った。この世界は色んな調味料があり、それ程高価ではない。前世の味を再現するのは半ばリリの趣味になっている。お子様が好きそうな料理ばかりになってしまったのはご愛嬌である。


 実は、調味料の中でなかったものがケチャップだった。ケチャップがなければオムライスは作れない。リリは六歳の頃、うろ覚えのレシピで試行錯誤の末ケチャップを完成させた。トマト、玉ねぎ、ニンニク、酢、砂糖、塩、胡椒、それにローリエに似た香りのハーブ。配合を色々と試して三か月。ようやく納得のいくケチャップが完成した時は「喜びの舞」を踊ったものだ。その踊りがダドリーとミリーに殊の外ウケて、調子に乗って踊りまくったのも良い思い出である。


 実は今、マヨネーズを作れないか挑戦中だ。


「さあ、出来たよー! みんな沢山食べてね!」


 大皿に盛った料理を運ぶリリが声を上げた。


「リリ、こっちに座れ!」

「あー、リリは俺の隣がいいと思うよ!」


 ジェイクとアルガンがリリを取り合う。ジェイクはダドリーの幼馴染で、リリにとっては親戚のおじちゃん。アルガンは年の離れたお兄ちゃんといった感じだ。


「ワインも持って来たわよ! あんまり飲み過ぎないようにね」


 ミリーが木で出来たジョッキを人数分運んで来た。その後ろから、一抱えはあるワイン樽を運ぶのはパーティで一番体格の良いクライブだ。若いアネッサが大人全員にワインを注いで渡す。ダドリーが抱っこしていたミルケをミリーに渡し、全員席に着いたのを確認して宣言する。


「よし! 今日は家族と仲間でパーティだ!」

「お父さん、何のパーティ?」

「えーと、とにかく家族が無事で良かったねパーティだ!」


 名目など何でも良いのだ。好きな人、美味しい料理、旨い酒。それが揃えばこの上なく楽しいのだから。


 その夜「鷹の嘴亭」では、かなり遅い時間まで笑い声が絶えなかった。

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