第4話 リリは悪者を倒したい
ギィ、という音でリリは目が覚めた。今夜は隣にダドリーが寝ていた筈だった。両親に絵を見せてから父は感動が冷めやらず、娘と一緒に寝ると言って聞かなかった。リリも父と寝るのは歓迎だったので特に問題はなかった。自分が眠って結構経ってから父が隣に潜り込んで来たような気がしたのだが、今は隣に居ない。
一階の扉が開く音でリリが目を覚ました時、ダドリーとミリーは既にベッドから起きて武器を手にしていた。
ダドリーは後衛の魔術師だが、敵に近付かれても戦えるように短剣の鍛錬も積んでいる。短剣で戦ってもその辺の冒険者には後れを取らない。そして現役のSランク冒険者は当然ながら気配に敏感だ。そうでなければ生き残れない。
ミリーは冒険者だった頃、一流の斥候だった。「金色の鷹」がSランクに上り詰めたのはミリーの功績が大きかったと言われている。罠を見破り索敵を行う。気付かれずに敵に忍び寄り背後から一撃で倒す。ミリーの武器も短剣だ。むしろ、ダドリーが近接武器として短剣を使うのはミリーの影響である。
引退したとは言え元一流の冒険者だったミリーは、昼間自分達の跡をつけている男に気付いていた。そうと思わせないくらい相手もかなりの腕前だったが、目付きが鋭過ぎた。町で見ない顔だった事も大きい。
そして、決め手はリリが描いた犯人と思われる似顔絵。ひと目見て、昼間跡をつけてきた男だと確信した。
だからリリが先に眠った後に二人で話をした。襲撃があるかも知れない。それで今夜は二人とも普段より警戒していた。一階の扉の外で誰かが何かしている気配を感じ取るくらいに。
リリが上半身を起こすと、母が声を出さず口の形だけで「動かないで」と伝えてきた。暗闇に目を凝らすと、母と父は寝室の扉の左右でそれぞれ短剣を構えている。そこに、木の板を踏むミシッという音が微かに聞こえた。誰かが家に侵入し、両親はそれを撃退しようとしている。
それは分かったが、リリは恐怖で固まってしまった。侵入者が怖いのではない。両親が傷付くかも知れないのが心底恐ろしかったのだ。
扉の近くで、またミシッと微かな音がした。もう侵入者は直ぐそこに居る。ダドリーとミリーが腰を落とした。リリが唾を飲み込むごくりという音がやけに響いた気がする。
随分長く感じたが、実際の時間は数秒だろう。扉の向こうでダンと足音が聞こえ、ドンドンと続けざまに聞こえる音は次第に遠ざかっていく。
「ちっ、気付かれた! ミリーは子供達を!」
ダドリーが勢いよく扉を開いて侵入者を追う。
「お母さん! ここは大丈夫だから、お父さんを追い掛けて!」
ミリーは一瞬の逡巡を見せたが、直ぐにダドリーを追って行った。リリは父一人では危険だと思ったのだ。母が合流しても安心は出来ない。侵入者が昼間見た男なら尚更だ。
リリは窓際に駆け寄り窓を開けた。夜の冷えた空気が入り込んでくる。丁度家から飛び出す父が見え、その先に目を遣ると背の高い男の後ろ姿が見えた。夜の闇に紛れて見づらいが、顔の周りに真っ黒な靄が纏わりついてる。
「ブレット!」
男までの距離は約五十メートル。その上相手は全力で走っている。リリは狙いやすい背中ではなく、太腿を狙った。
女子供を殺す簡単な仕事の筈だった。だが、背の高い痩せぎすの男、スニーフ・ギャバンは家に侵入した途端、妙な胸騒ぎを感じた。長年裏稼業に身を置いた事で培われた「勘」というやつだ。スニーフはその勘を大事にしていた。だから今でも生きていると信じていた。
木の板の端の方を踏みながら慎重に階段を上ると、胸騒ぎが強くなる。リビングダイニングを抜け、閉じた扉の前まで来ると向こう側に気配を感じた。数秒間感覚を研ぎ澄まして気配を探ると、恐らく相手は臨戦態勢に入っていると思えた。瞬時に振り返り逃走を図る。
「ちっ、気付かれた! ミリーは子供達を!」
もう音を気にしている場合ではない。階段を何段も飛ばして駆け降り、表に飛び出す。直ぐ後ろから追い掛けて来る音がするが、夜の闇に紛れてしまえば追い付かれる事もない。いや、どこかに誘い込んで殺してしまえば――。
「つうっ!?」
その時、スニーフは右の太腿に焼けるような痛みを感じた。途端に力が入らなくなり前につんのめって無様に転ぶ。しかし受け身を取って膝を突き、ナイフを構えて追跡者を迎え撃とうとした。
何だ、今の攻撃は? 矢か、魔法か? 右の太腿を見ると、ズボンに指先くらいの穴が開きそこから血が流れている。腿の裏を触るとべったりと濡れていた。どうやら何かが貫通したようだ。
走って来る男が何かを呟いている。やはり魔法か! そう思った時、今度は右肩に痛みが走った。男はまだ魔法を放っていない筈……どこから攻撃されている?
走る男の後ろから、あの母親が追い掛けてきた。スニーフは地面を転がるように移動し、追跡者の男が放つ氷魔法をぎりぎりで躱した。
くそっ、このままでは
スニーフは転がった勢いで建物の傍まで移動し、懐から薄い箱を取り出した。
当たった! リリはこれまでブレットを磨いて来たが、人に向けて放つのは勿論、動く相手に撃ったのも初めてだった。本当ならそこで人を撃った罪悪感なり、難しい的に当てた高揚感なり感じたのかも知れないが、転んで直ぐにナイフを構えた男と、それに迫るダドリーを見てそれどころではなかった。
「ブレット」
次はナイフを持つ方の肩を狙った。当たった筈だが、男は建物の陰に隠れようと移動した。その時、懐に左手を入れて箱のような物を取り出すのが見えた。その蓋を開き、ダドリーとミリーの方に向かって投げた。
「ブレット……ブレット!」
嫌な予感がしたリリは、その箱に向かってブレットを二発放った。ほぼ直線で両親に向かっていた箱の角に一発目が命中し、垂直に跳ね上がる。二発目も箱の角に当て、痩せぎすの男の方へ箱を跳ね返した。
箱からは真っ黒な靄が凄い勢いで噴き出て渦を巻いている。真ん中に大きな塊を形成してそこから四本の細い渦が伸びる。やがてそれらが四肢を形づくり、頭らしき卵型の球体が胴体の上に出現した。
それは真っ黒な靄で出来た巨大な人形のようだった。
リリが目を凝らすと黒い靄の中に様々な色の靄が見えた。一番多いのは濃紺。これは恐怖である。次が濃い青。深い悲しみだ。次に黒っぽい赤。激しい怒りを表す。そして赤っぽい紫。嫉妬を示している事が多い。これらの色が濃淡取り交ぜて黒い靄の中に取り込まれていた。
黒い靄人形は、一番近くに居た痩せぎすの男に手を伸ばした。男は片足を引き摺りながら距離を取り、なんとか逃れる。その様子を離れた二階の窓辺で見ていたリリは、靄人形の頭部にぼんやりと白く光る球を見付けた。
「白……?」
リリがこれまで見た感情を表す靄に、「白」はなかった。もしかしたら背景に溶け込んで気付かなかっただけかも知れないが。
(ゲームとかなら、あれは弱点だよね)
確証は全くない。あれを撃ち抜いたとして、事態が今より悪くなる事があるだろうか……? 僅かな時間考えを巡らせていたが、靄人形は執拗に瘦せぎすの男を追っていた。まるで意思を持っているようだ。そして遂に男を壁際に追い詰めた。
「ブレット!」
距離は八十メートルほど離れていたが、リリのブレットは光る球の真ん中を撃ち抜いた。瘦せぎすの男に覆い被さろうとしていた靄人形の動きが止まり、次の瞬間、煙が突風に吹かれて消えるように、靄が消散した。
その時、かなり離れているのに、瘦せぎすの男がはっきりとリリを見ている事が分かった。男の口の端が上がり獲物を見付けたような目付きになる。背筋にぞくりと悪寒が走った。だが男が動き出すより早く、その胸に太い氷の槍が突き刺さった。ダドリーの「
靄人形が出現した事で男から距離を取っていた二人だったが、いつでも男を攻撃出来るよう警戒していた。そして靄人形が消えた瞬間、ダドリーが「
男が黒い血を吐き出すのが見えた。黒く見えるのは夜闇のせいだろうか。壁ごと氷の槍に貫かれた男は、立ったまま絶命した。
ダドリーは衛兵の詰所へ行き、ミリーはそのまま現場に残った。リリは窓辺に立ち、母に危険がないかずっと見守っていた。さっきの靄人形がまたどこからか現れるかも知れない。昼間見た男はもう一人居た。髪の毛を剃り上げた体格の良い男がどこかに隠れている可能性がある。
春の終わりと言っても夜は冷える。リリはベッドから毛布を持って来てそれに包まり、ミルケにももう一枚毛布を被せた。
やがてダドリーが四人の衛兵と共に戻ってきた。巡回の衛兵も集まり、現場は騒然とした雰囲気に包まれる。さすがに近所の人達も目が覚めたようで、家から外に出る人や、窓から覗く人の姿が増えてきた。
ダドリーが地面に落ちている箱を示し、身振り手振りを加えて何かを説明している。ここからでは何を言っているか聞こえないが、母も居るし、何があったか上手く説明しているだろう。
しばらくして両親が衛兵から解放され、家の方に戻って来るのが見えた。リリは窓を閉めた。階段を二人が登って来る音が聞こえ、やがて顔が見えてようやくリリは安心した。
「ダドリー、温かいお茶を淹れるわ。リリも飲む?」
「ありがとう」
「飲む」
ミルケを起こさないよう場所をダイニングに移し、三人でお茶を飲む。自分で思った以上に体が冷えていたらしく、胃に温かい液体が落ちるのを感じ、緊張が解れていく。
「リリ、どうやって
ダドリーが優しい声で尋ねる。靄の色は黄色と少しだけ淡いピンク。殆どが好奇心だ。
「あれが瘴魔……」
「ああ、リリは初めて見たのか」
「うん」
「あの男を足止めしたのもリリだろう? そう言えば、リリの絵は本当に似てたなぁ」
「そうね。あの絵ですぐにピンと来たもの」
両親がフフフと笑い合う。あれが「
「ああ、さすがにリリも眠いわよね。ダドリー、話は明日にしましょう」
「そうだね。僕も少し疲れたよ」
ダドリーがリリを抱えて寝室に移動し、三人はすぐに眠りに就いたのだった。
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