第3話 リリは情報を伝えたい
家に帰ってから、リリはこっぴどく叱られた。母のミリーからは真っ赤な靄が出ていた。母の剣幕に弟のミルケも泣きっ放しである。
「リリ、あなたが憎くて怒ってるんじゃないの。危ない目に遭うかも知れないから怒ってるのよ?」
「はい、お母さん。ごめんなさい」
「……あの遺体を見たのね?」
「……はい」
「そう……怖かったね。こっちにおいで」
ミリーがリリをぎゅっと抱きしめる。あの場所から帰って来る途中、そして家に入ってからも、リリは青い顔をしていた。遺体を見てショックを受けたのだろう。勢いに任せて叱るんじゃなかった。
怖がっているリリが心配になり、母の靄は赤から黄色に変わった。そこに薄いピンクと青が混ざっている。心配、愛情、後悔だ。
だが、リリがショックを受けたのは遺体のせいではなかった。確かに遺体の異様さも多少はショックだったが、それよりも初めて見る強い悪意に体が震えた。
あんなに濃い「黒」は見た事がない。どれほどの悪意があれば、触れられそうなくらい濃い黒になるのだろう……。
リリが見た二人の男が、ダドリーの言っていた「ヤバい奴」じゃないとしても、危険である事には違いないだろう。しかし、これをどうやって伝えれば良いのか。悪事を働く現場を見た訳でもない。何の証拠もない。仮に自分の秘密を伝えたとしても信じてもらえるだろうか……いや、自分なら信じない。子供の戯言だと一笑に付すだろう。
夕食の支度を手伝いながら、リリは頭を悩ませていた。このまま放ってはおけないという事だけは確信があった。
リリが見た二人のうち痩せぎすの男の方が、自分を見たリリが驚愕した事を不審に思い、あの現場からこっそり跡をつけていた事など思ってもいなかった。
「リリ、お母さんを心配させたら駄目だぞ?」
「はい。ごめんなさい、お父さん」
二日ぶりに帰って来たダドリーは、昼間あった事を妻から聞いてリリを諭した。元々リリに甘いのであまり強くは言えない。ミリーもそれが分かっているので半ば諦めている。
ミルケを寝かしつけ、今は三人でお茶を飲みながら静かに話していた。ダイニングテーブルでは母と父が並んで座り、向かい側にリリが座っている。魔道具のランプは蝋燭の炎のような優しい明かりを投げかけていた。
「冒険者ギルドで正式に通達があった。やはり、噂の殺人犯がこの町にいるようだ」
「じゃあ昼間の事件はやっぱり」
「ああ。『
リリは両親の話に口を挟むことなく聞いていた。
「これまでも、あちこちで罪を犯して逃げおおせてるんでしょ?」
「そうだな……どんな奴かも分かってないし」
あ、それ知ってます。多分あいつらです。……言いたい。とても言いたい。だが伝え方を考えなければならない。父も捜索に加わるなら是が非でも知ってもらいたい。そして危険を避けて欲しい。
「リリ、どうかしたの?」
「どうした、難しい顔して」
両親から声を掛けられ、自分の眉間に皺が寄っていた事に気付いたリリ。
「お父さん、あいつ
「ああ、町の人達が危ないからお父さんも……ん? あいつ
……やってしまった。リリは思わず自分の口を両手で塞いだ。余計怪しい。
「リリ、何か知ってるの?」
「リリ、心当たりがあるのかい? もしあるならお父さんにも教えて欲しいな」
「あっ、あー、あぅぅ……」
リリは追い詰められた。ダドリーは現役冒険者、ミリーも元冒険者なので勘が良い。まして我が子の事だから、何か隠していそうな事くらい分かる。
「リリ、大丈夫だよ。間違っていても構わない。迷惑が掛かるなんて思わなくていい。手掛かりが何もない状態なんだ。何か気になる事があるなら言ってごらん?」
父の靄は黄色と淡いピンク。好奇心と愛情だ。リリは、自分の能力の事を言わずにあの二人について伝える為に言葉を選ぶ。
「えーと、あのね? 今日の昼間、すごく怪しい男の人達を見たの」
「男達……何人だい?」
「二人」
「何で怪しいって思ったのかしら」
「あそこに居る人達はみんな驚いたり怖がったりしてた……でもその二人は、なんだかニヤニヤしてるように見えたの」
最後の言葉はリリの作り話だ。別にニヤニヤはしていなかったと思う。殺人現場でニヤニヤしていれば、さぞかし怪しかろう。本当の事は言えないし、言っても信じて貰えない可能性が高い。だから怪しさを伝える事に全力を投じてみた。
ダドリーとミリーは視線を交わし、お互い頷いた。どうやらリリの話を信じてみる事にしたらしい。
「……その男達の姿を覚えてるかい?」
「一人は、背が高くて痩せてて、黒い髪を長く伸ばしてた。もう一人はがっしりしてて、髪の毛を剃ってた。二人とも、たぶんお父さんより少し年上」
リリがかなり特徴を覚えていたので両親は驚いた。
「もう一度見れば分かる?」
「ダドリー! それは駄目よ!」
「ああ、ミリーごめん。リリも今のは忘れてくれ」
両親がリリを危険に巻き込みたくない事は理解出来る。ここでリリが「私も探す」と言った所で許してもらえないだろう。
「んー。似顔絵描く」
「「えっ?」」
「ちょっと待ってて」
母から紙と木炭を渡され、リリはダイニングテーブルで似顔絵を描き始めた。我が子が絵を描いている所を見た事がなかった両親の目が点になる。それは八歳の子供の絵とは思えない、しっかりと特徴を捉えた似顔絵だった。それを僅か十五分で描き上げた。
「こ、これは……!」
「まあ……!」
前世で、リリの趣味の一つが漫画やアニメのキャラクターを描く事であった。それもペンタブなどではなく普通の紙に鉛筆などで手書きだった。
リリの描いた男達の似顔絵は、やや漫画チックではあるものの、この世界では写実的と言っても良い出来である。両親が驚くのも無理はない。
「えっと、背が高い方が目は明るい青で、ハゲた方が茶色だったはず」
「いや、リリ! こんなに絵が上手かったのか!?」
「本当に! あなた絵の才能があるわ!!」
「あ……えへへ」
無意識にやらかしてしまった……が、両親が喜んでいるし、絵が少しくらい上手くてもそれ程問題ではないと思うのでセーフだろう。
「ねぇ、ダドリー! 私達の絵姿もリリに描いてもらいましょうよ!」
「おおっ、それはいいね! リリ、お父さんとお母さんの絵も描いてくれるかい?」
「うん、もちろん!」
夜も更けて子供が起きているような時間ではないが、リリは喜んで引き受けた。新しい紙を受け取って、正面に座る両親の肩から上を描いていく。
ああ、色鉛筆か水彩絵の具があれば良いのに……そしたら、二人の綺麗な髪や瞳の色を描けるのになぁ……。
さっきよりも丁寧に時間を掛けて描いていく。転生したこの世界でこの両親の下に生まれて本当に良かったと思っている。前世でもこんなに愛情を注いでもらった記憶はない。大好きな両親の優しい笑顔を残したい。自分が大好きだと思っている事が伝わるような絵にしたい。リリは心を込めて描いた。
たっぷり一時間以上経った頃、ようやく似顔絵が出来上がる。細く削った木炭で描いたにしては良い出来だと思う。
「ふーう。出来たよ!」
完成した絵をくるりと回して二人に見せると、両親は絵を覗き込んだ姿勢で固まった。
「あ、あれ? 気に入らなかったかな?」
ダドリーの肩が震えている。ミリーは顔を両手で覆ってしまった。二人から抑えた嗚咽が漏れる。
リリが描いたのは、優しい笑顔を浮かべた両親と、リリ、ミルケも一緒に笑っている絵だった。デフォルメしているから自分が実物より可愛くなっているのはご愛嬌である。自分だけではなく全員可愛くなっているが、特徴はしっかり捉えていて、家族を知っている人が見ればオルデン家を描いた絵だと分かるだろう。
その絵から伝わる愛に、両親は感極まって涙を流していた。どこまでも優しく微笑ましく描かれた四人。ダドリーとミリーにとって、それは教会に飾られた神様の絵よりも美しく尊かった。
両親が徐に立ち上がりリリの傍に膝を突いて、両側から抱きしめた。
「リリ……本当に素敵な絵だ……本当にありがとう」
「こんなに感動したのは、あなたを産んだ時以来よ。ありがとう、リリ」
想像した百倍くらい喜ばれて、リリは逆に戸惑った。頬を寄せる二人の温かい涙を感じる。リリもなんだか物凄く嬉しくなって、両親と一緒になって笑い泣きしたのだった。
マルデラの町がすっかり寝静まり、全ての建物から明かりが消えた時刻。今夜は月も雲に隠れて、足元すら覚束ない闇が辺りを覆っている。それでも、噂の殺人犯が町に潜伏している可能性が高い事から、衛兵が二人一組で巡回を行っていた。
衛兵が持つ魔道具のカンテラは闇を照らすにはあまりに心許ない。家々の壁に自分達の影が映り、それが得体の知れない生き物のように思えてくる。
この闇は背の高い痩せぎすの男、スニーフ・ギャバンにとっては好都合だった。昼間見た少女とその母親と思われる女の跡をつけ、彼女らの居所は掴んでいた。侵入して直接殺すか、
もう一人の男、剃髪して体格の良いガルステッド・ラムダは来ていない。奴は
自分だって、そう長く正気を保てるとは思っていない。いや、既に正気を失っているのかも知れない。
だが……そのうち正気を失うと分かっていても、それについて何の感慨も湧かない。人を殺しても何とも思わなくなったように、自分の心は既に壊れているのだろう。
スニーフは巡回の目を搔い潜り「鷹の嘴亭」の前までやって来た。店の入り口は建物の左端、右端には二階へと続く扉がある。当然施錠されているが、裏の仕事を長くやってきたスニーフにとって、この程度の錠を破るのは目を瞑っていても出来る。
懐から開錠用の道具を取り出し手早く開ける。道具をしまい、代わりに刃が三十センチあるナイフを手に、スニーフは扉の向こうへと体を滑り込ませた。
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