47 願っても詮無い夢想を、いままで何度祈ったことだろう


 どうして、自分ではないのか。あの方の視線はどうして自分には向けられないのか。


 マルガレーナの叫びが、ソティアが胸の奥底に封じていた傷跡をえぐり出す。


 ソティアとの婚約を破棄した相手とは、十歳の時に婚約者だと引き合わされた。その時から、彼にずっと淡い恋心をいだいていた。


 いつか、この人の妻となり、隣に立って一生を添い遂げるのだと……。


 そう、無邪気に信じていた。


『やっぱり女は可愛くて小さいのがいいよ。あんな女と結婚して、催し物のたびに一生連れ歩かないといけないのかと思うと、ぞっとする』


 婚約者の侮蔑と嫌悪の言葉が甦る。


 彼に好かれるようにと、礼儀作法や教養を懸命に学んだ。髪型やドレスも、少しでも好みにあうようにと……。


 けれど、ぐんぐんと伸びる身長だけはどうしょうもなくて。


 かかとのない靴を履き、背を丸めても。


 毎夜寝る前に「これ以上、背が伸びませんように」と祈りを捧げても、身長だけは自分の力では変えられなくて。


 ソティアの身長が伸びるつれどんどん邪険になっていく婚約者の対応にどれほど心を痛め、自分の身長を呪っただろう。


 かかし令嬢と揶揄やゆされるソティアと違って、マルガレーナは申し分のない家柄である上に、容姿もこんなに可憐で愛らしいというのに。


 それでも、選ばれぬ哀しみに慟哭どうこくの声を上げないではいられないのかと思った瞬間、マルガレーナに抱いていた恐怖が消え失せる。


 代わりにソティアの目に映ったマルガレーナは、欲しいものを得られずに癇癪かんしゃくを起して泣く子どものようで……。


 マルガレーナの頬を伝う不可視の涙が見えた気がして、抱きしめてぽろぽろとこぼれ落ちる涙を止めてあげたいと願わずにはいられない。


「マルガレーナ嬢! どうかご自分を取り戻してくださいっ! マルガレーナ嬢ほど王妃にふさわしいご令嬢がいらっしゃらないのはおっしゃるとおりですっ!」


 言葉を紡ぐたび、心がずきずきと血を流す。


 けれど、ソティアがジェスロッドの隣にふさわしくないことなど、自分が誰よりも知っている。


 ならば――。


 ジェスロッドとユウェルリースの幸せのために、マルガレーナのような素晴らしい令嬢が王妃になってくれたほうがいいに決まっている。


「誤解を招くような行いをしてしまったことはお詫び申し上げます! たとえ戯れであろうとも、私などが陛下と何かあるはずがございませんっ! ですから……っ!」


「ソティア嬢っ!?」


 ジェスロッドが愕然がくぜんとした声を上げるが答える余裕さえない。


 自分が誤解を招く行動をしたせいでマルガレーナが邪神の残滓に囚われたのだとしたら、その責任を取らなくては。


 ソティアの必死の呼びかけに、だがマルガレーナから返ってきたのは嫌悪に満ちた拒絶の叫びだった。


「あなたなんかにわたくしの何がわかるというのっ!?  横から陛下をかっさらっていったあなたに何がっ!? わたくしがどれほど努力してきたのか知らないくせに、綺麗事を……っ!」


 ひび割れた声とともに、マルガレーナの身体からぶわりと闇があふれ出す。


 同時に長い金の髪を結い上げていた髪紐が弾け飛び、ばらりと広がった髪が闇色の触手へと姿を変えた。


「あなたさえいなければ! そうすればわたくしが……っ!」


 触手に変じた髪がうねりながら伸び、恐ろしい速度でソティアに迫る。


「ソティア嬢っ!」


 素早く前に躍り出たジェスロッドの聖剣が触手を斬り裂く。だが。


「ぐ……っ!」


 斬り裂かれた触手からあふれ出す闇がジェスロッドの身体を包み、ソティアにも迫る。


「だぁっ!」


 ユウェルリースの額の角が輝き、不可視の壁にはじかれたようにソティアの周りの闇が押しやられる。


 だが、ユウェルリースが放つ光はジェスロッドまでは届かない。


「陛下っ!」


 考えるより先に身体が動く。


「ユウェルリース様をお願いいたしますっ!」


 ソティアが差し出したユウェルリースを、ジェスロッドが思わずといった様子で左腕で抱きとる。それを確認すると同時にソティアは身を翻し、マルガレーナへと駆けていた。


 ユウェルリースから離れた途端、周りに漂っていた闇があっという間にソティアを取り囲む。


 身体中が毒に侵されるかのような悪寒が一瞬で全身を満たし、膝からくずおれそうになる。


 マルガレーナまでのわずかな距離が、遥か先のようだ。


「ソティア嬢っ!」


 後ろからジェスロッドの驚愕の声が聞こえたが止まらない。


 震える足を必死に動かし、ソティアは体当たりするようにマルガレーナに抱きついた。


「マルガレーナ嬢! だめですっ! 邪神の残滓になんて負けないでください……っ!」


 どうしたらいいかなんてわからない。


 けれど、闇に囚われソティアに憎しみを叩きつけているというのに、ソティアの目には、マルガレーナが小さな子どものように泣きじゃくっているようにしか見えなくて。


 華奢きゃしゃな身体を力いっぱい抱きしめ、いまにも吐きそうな悪寒に耐えながら必死で呼びかける。


「マルガレーナ嬢は誰もが認める素晴らしいご令嬢ですっ! もちろん私だって憧れております……っ!」


 もし、ソティアがマルガレーナのような小柄で可憐な令嬢だったら。


 願っても詮無せんない夢想を、いままで何度祈ったことだろう。


 そうすればきっと、婚約破棄などされることなく、『行き遅れのかかし令嬢』と嘲笑されることもなかった。


 きっとジェスロッドにも……。


 想いが実ることはないとわかっていても、せめて恋心を伝えられたかもしれない。


 だが、どれほど願っても、ソティアはマルガレーナにはなれない。


 この想いは、胸の奥でびつく日を待つしかないのだ。


 それならば――。


「マルガレーナ嬢ならば、きっと素晴らしい王妃になれますっ! 陛下をお支えし、幸せにできる王妃様に……っ!」


 せめて、恋しい人には幸せになってほしい。


 ジェスロッドとユウェルリースとマルガレーナと……。麗しい三人が並ぶ姿は、誰が見ても幸せな家族そのものに違いない。


 エディンスはユウェルリースを抱っこしたソティアを見て、『まるで家族みたいだ』と言ってくれたが、ソティアなんかが、ジェスロッドの隣にふさわしいはずがないのだから。


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