46 私が、誤解を生むような真似をしてしまったから……?


「っ!?」


 ジェスロッドの言葉に、息を呑んでマルガレーナを見る。


 微笑みを浮かべ、優雅に立つ姿は可憐極まりないのに……。


 マルガレーナから不可視の毒がしみ出しているかのように、背中が粟立つ。ぞわぞわと悪寒がして仕方がない。


 この感覚は、ソラレイアに相対したあの時と同じだ。いや、あの時よりはるかに強い。


 人間として――生き物として感じる本能的な恐怖と嫌悪。


 それが目の前の可憐な令嬢から感じることが、よりいっそう恐ろしい。


「そんな……っ! なぜマルガレーナ様が……っ!?」


 ジェスロッドから聞いた話では、邪神の残滓は負の感情に引き寄せられるはずだ。


 誰もがうらやむ身分と美貌を持つマルガレーナが、いったいどんな負の感情を抱いたというのか。


「わ、私のせいなのですか……? 私が、誤解を生むような真似をしてしまったから……?」


 マルガレーナが負の感情を抱いた理由なんて、ソティアにはそれしか思い浮かばない。


 かかし令嬢と蔑まれる男爵令嬢の自分が、低い身分も忘れて国王であるジェスロッドと親しく言葉を交わし、あろうことか夜着姿で部屋を訪れてしまったから……。


「マルガレーナ嬢! 私と陛下の間には本当に何もございませんっ! マルガレーナ嬢の誤解なのです!」


「ソティア嬢っ!?」


 どう説明すれば、マルガレーナの誤解を解いて、正気に戻せるのだろう。


 ジェスロッドの後ろから一歩踏み出し、必死にマルガレーナに弁明するが、マルガレーナは眉ひとつ動かさない。


 ソティアを見やる碧い瞳は、侮蔑と嫌悪に満ちている。


「陛下のお心を惑わしておきながら、なんと厚顔な……。咎人とがびとはいつもそう言うのです。大罪を犯しているというのに、自分は何もやっていない、悪くないと……。なんと愚かで傲慢ごうまんなのでしょう。陛下が望まれるのでしたら、多少の戯れは許容いたしますが、いつまでも甘い顔はできませんわ。害をす不逞の輩には、ちゃんと身のほどを教えてさしあげなくては」


「ソティア嬢に手を出すなど、俺が許すわけがないだろう! マルガレーナ嬢、邪神の残滓を祓う。おとなしくしろ」


 マルガレーナを見据え、油断なく剣を構えたジェスロッドが厳しい声で告げる。


 だが、返ってきたのは花が咲くような笑みだった。


「嫌ですわ、陛下。わたくしはようやく望みを叶えるための力を得ましたのよ? この力があれば、邪魔者をすべて排して王妃となることができるというのに……。どうして手放さなければなりませんの?」


「マルガレーナ嬢。はっきりと言ったはずだ。この状態のユウェルを放って王妃をめとる気はまったくないと。正気に戻れ!」


 無邪気な微笑みを浮かべて小首をかしげたマルガレーナの言葉を、ジェスロッドが間髪入れずに否定する。


 マルガレーナが信じられない言葉を聞いたかのように、碧い目を瞬いた。


「まぁっ、いけませんわ、陛下。陛下はわたくしを王妃に選ばなくてはいけませんのに、そんな無体なことをおっしゃっては。そんなことではわたくし――。陛下にも、力づくで言うことを聞いていただかなければなりませんわ」


 マルガレーナの言動は、己の望みが叶えられて当然と言わんばかりだ。


 ソティアが知る理知的で清楚なマルガレーナとはあまりにも違う。


 ジェスロッドの凛々しい眉がさらにきつく寄った。


「マルガレーナ嬢……。身も心も邪神の残滓に囚われているな……?」


 ソティアはジェスロッドの言葉に息を呑んでマルガレーナを見やる。


 先ほどよりマルガレーナの姿が闇の中に沈んでいるように見えるのは、蝋燭の光の加減ではなく、マルガレーナ自身からどんどん闇があふれ出してきているせいなのか。


「厄介だな……」


 ジェスロッドが苦々しい声を洩らす。


「マ、マルガレーナ嬢はどうなられるのですか……?」


 震える声で問いかけると、ジェスロッドの低い声が返ってきた。


「身も心も邪神の残滓に囚われていては、いくらこちらに聖剣があったとしても、ソラレイア嬢の時のようにはいかんだろう。最悪――」


 己の無力を噛みしめるかのように、唇を引き結んだジェスロッドが、苦い声で告げる。


「我々もマルガレーナ嬢も、無事では済むまい」


 聖剣の柄を握るジェスロッドの手に力がこもる。


 きらめく刃がマルガレーナの細い身体を貫くさまを想像して、ソティアは飛び出しそうになった悲鳴を噛み殺した。


「マ、マルガレーナ嬢を斬る可能性もあるとおっしゃるのですか……っ!?」


 問う声がどうしようもなく震える。ユウェルリースを抱く腕に反射的に力がこもり、ユウェルリースが小さく声を上げて身動ぎした。


「俺もマルガレーナ嬢を斬りたいわけではない。だが……。ローゲンブルグの国王として、邪神をそのままにはしておけん」


 己の中の逡巡を断ち斬るように、ジェスロッドが揺るぎない声で告げる。


「ユウェルが元の姿なら、もしかしたらマルガレーナ嬢から邪神の残滓を祓うことができたかもしれんが……」


 ソティアは思わず自分の腕の中のユウェルリースを見下ろす。


「だぁ~っ」


 ジェスロッドに名前を呼ばれて声を上げたユウェルリースは、額に角が生えていることを除けば、どこからどうみても愛らしくかよわい赤子で、マルガレーナに取り憑いた邪神の残滓を祓えるとは思えない。


「それより、ソティア嬢はユウェルとともに下がっていろ。邪神は瘴気を放つ。邪神の残滓がどこまでの力を持っているかはわからんが……。瘴気を浴びればただでは済まん」


「いけませんわ、陛下。ソティア嬢を逃がそうだなんて」


 まるで幼子の悪戯いたずらを咎めるかのように、マルガレーナが優しく告げる。


「ソティア嬢には、己の身のほどをしっかりと理解してもらわなくてはなりませんもの。わたくしを差しおいて、陛下に色目を使うなんて、なんと不埒な……っ!」


 話すうちにマルガレーナの瞳に憎しみの炎が燃え盛る。


「どうしてソティア嬢ですのっ!? 誰がどう見てもわたくしのほうが王妃にふさわしいではありませんの……っ! そのためだけにずっと努力してまいりましたのに……っ! どうして陛下はわたくしを選んでくださいませんの……っ!?」


 聞いているソティアの心まで軋むようなマルガレーナの叫び。


 射殺すかのような憎しみに満ちた視線が、ソティアの心まで貫く。


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