43 なぜ、ソティア嬢がここに……?


「ごめんなさい、侍女長。待たせてしまって。ユウェルリース様を見てくれてありがとう」


 ジェスロッドの厚意に甘え、久々に湯船につかって疲れを癒やしたソティアは、実家から持参した質素な夜着に着替え、毛布を片手にユウェルリースの私室の扉をノックの返事も待たずに押し開けた。


「ソティア嬢っ!?」


 途端、ジェスロッドのあわてふためいた声が聞こえてきてぴしりと固まる。


「へ、陛下……っ!? し、失礼いたしました! とんだご無礼を……っ!」


 こちらを見て目を丸くしているのは、ソファーに腰かけ、書類を手にしたジェスロッドだ。


 ジェスロッドの返事も待たずに扉を開けてしまうなんて、無礼だと叱責されても仕方がないところだ。


「いや、気にしないでくれ。だが……」


 戸惑った声を上げたジェスロッドが、不思議そうに問いかける。


「なぜ、ソティア嬢がここに……?」


「あの、それは……」


 むしろ、なぜジェスロッドがまだユウェルリースの部屋にいるのか、ソティアのほうが聞きたい。


 湯浴みに行く前、ユウェルリースを寝かしつけたソティアは、侍女長にソティアがいない間ユウェルリースの面倒を見てもらうことについて相談した。


 眠っているので大丈夫だろうが、何かの拍子に目が覚めないとも限らないためだ。


 それに、ジェスロッドがついてくれているものの、ユウェルリースが目覚めてしまったら、ジェスロッドも書類を読むどころではなくなるに違いない。


 ソティアの相談を聞いた侍女長はユウェルリースの世話と、陛下を隣室に案内する旨を快く引き受けてくれた。


 なんでもジェスロッドが聖獣の館に滞在する時は、いつもユウェルリースの隣の部屋を使うらしい。隣の部屋ならば、万が一、夜中にユウェルリースに何かあったとしても、すぐに駆けつけられるだろう。


 そのため、てっきりジェスロッドはすでに隣室に移っていると思い込んでいた。


 とがめるようなジェスロッドの口調に身を縮めながら説明する。


「私はこちらに来てから、夜はいつもユウェルリース様のお隣で眠っているのです。頻度ひんどは少ないですが、まれに夜中に泣いて起きられることもあるものですから」


 ジェスロッドの凛々しい眉がさらに寄ったのに気づいて、あわてて言い足す。


「あのっ、大丈夫です! ユウェルリース様の寝台を許可なく使ってなどいませんので! ちゃんとユウェルリース様のマットの隅で寝ておりますから……っ!


「だから毛布を抱えているのか。あいつの寝台など、いくらでも好きに使えばよいというのに」


「いえ、そんなわけにはまいりません! 私などがユウェルリース様の寝台を勝手に使うなんて、とんでもないことです!」


 怒ったような声で告げるジェスロッドに、千切れんばかりにかぶりを振る。


「許可なら俺が出す。遠慮などせず、いくらでも使えばよい。だが……」


 ふと言葉を途切れさせたジェスロッドが、手にしていた書類をローテーブルの上に置くと思い悩むように片手で黒髪をかき乱す。


「ソティア嬢がこの部屋で寝ているとは、想定外だったな。聖獣の館にいる間、俺がユウェルの寝台を使うつもりだったのだが……」


 だからジェスロッドがこの部屋にいたのかと、いまさらながら納得する。


「というか……」


 はぁっ、と深い吐息をこぼしたジェスロッドが立ち上がる。


 立ち上がりざま手にしたのは、ソファーの背もたれにかけていたジェスロッドの上着だ。ジェスロッドの動きにあわせて、腰に佩いた聖剣がかすかな音を立てた。


 険しい顔で歩み寄るジェスロッドに、びくりと身をすくめ、叱責されるのだろうかと内心で緊張しながら見守っていると。


 目の前で立ち止まったジェスロッドが、不意にソティアの肩に手にしていた上着を着せかけた。


 ふわりと麝香じゃこうの甘い薫りがソティアを包み、ぱくりと鼓動が速くなる。


「陛下……?」


 意図がわからず呆けた声を上げると、ふいと視線を逸らしたジェスロッドから、ぶっきらぼうな声が降ってきた。


「気がつくのが遅くなってすまん。妙齢の令嬢の夜着姿を見てしまうとは……」


 そっぽを向いたジェスロッドの凛々しい面輪はうっすらと紅い。


 告げられて、ソティアはようやく自分が実家から持ってきた質素な夜着姿のままだと気がついた。


「も、申し訳ございませんっ! お目汚しを……っ!」


 一瞬で顔が燃えるように熱くなったのがわかる。縋るように両手に抱えた毛布をぎゅっと抱きしめると、


「そういう意味ではないっ!」


 とあわてた声が返ってきた。


「見苦しいわけがあるものか! むしろ――」


 思わず、といった様子でソティアを振り向いたジェスロッドが、途中で我に返ったように口をつぐむ。


「あ、いや、その……っ」


「どうかなさいましたか?」


 わけがわからず、きょとんと返すと、ジェスロッドがうろたえたように視線を揺らした。


「い、いや。気にしないでくれ。ともかく。今夜からは俺がユウェルについているから、ユウェルの隣で眠る必要はない。ユウェルの夜泣きが心配なら、ソティア嬢が隣室を使うといい。隣ならば、ユウェルが泣いたとしても、声が聞こえるだろう?」


「ですが、陛下にユウェルリース様のお世話を押しつけるわけには……っ!」


 夜泣きで寝不足になった時のつらさは、経験した者でなければわからないだろう。そんな思いをジェスロッドにさせるわけにはいかない。


 抗弁すると、ジェスロッドが困り果てたように眉を寄せた。ソティアを振り向いた黒瑪瑙の瞳に、熱をはらんだまなざしが宿り。


「だが……。まさか、きみと俺が同じ部屋で寝るわけにはいかんだろう?」


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