41 わたくしに何が足りないとおっしゃるの……?
マルガレーナが割り当てられた部屋に戻った途端、侯爵家から連れてきた四人の侍女達からいっせい向けられたのは、こちらを窺うかのようなに不安げなまなざしだった。
もしかしたら、無意識に顔が強張っていたのかもしれない。
マルガレーナは即座に表情をつくると、安心させるように侍女達に優しく微笑みかける。
「心配しないで。陛下はちゃんとお話してくださったわ。しっかりと時間をかけて考慮した上でお返事をしてくださると、お約束してくださったの」
マルガレーナの言葉にほっとした様子の侍女達に、疲れたから少しひとりにしてほしいと伝えて下がらせる。
他の令嬢達が退去して部屋に余裕ができたおかげで、心おきなく侍女達が別室を使えるようになったのはありがたい。
久々にひとりきりになれた解放感に、窓辺のソファーに腰を下ろしたマルガレーナの口から無意識に溜息がこぼれる。
マルガレーナを心配してくれる侍女達の心遣いは嬉しいが、ずっとそばにいられるのは重荷でもある。
もし、マルガレーナが侯爵家令嬢にふさわしくない振る舞いをすれば、侍女達は即座に両親に注進するだろう。
侍女達がマルガレーナに同情しつつも、雇い主である侯爵夫妻に逆らえないのは、頭では理解している。
だからこそ、表面的にはよい主従に見えるように振る舞っているし、侍女達もマルガレーナをよい主人だと尊敬しているだろう。
だが、常に監視の目に晒されているのは神経が削られる。
マルガレーナは身体中の空気を絞り出すように、ふたたび深い溜息をついた。
今度こそは、と願っていた期待を裏切られた落胆は自分で考えていた以上に大きいようだ。
しっかりと背筋を伸ばしているはずなのに、身体の芯が小刻みに震えているような感覚に襲われる。
「わたくしに何が足りないとおっしゃるの……?」
溜息とともに、思わず弱音がこぼれ落ちる。
自らジェスロッドに告げた通り、ローゲンブルグ王国の貴族令嬢でマルガレーナほど王妃にふさわしい条件を持った令嬢はいないだろう。
当然だ。マルガレーナは幼い頃から未来の王妃となるべく、育てられたのだから。
由緒あるカヌンゲルク侯爵家の長女として生まれ落ちた時から、マルガレーナの未来は両親によって決められていた。
マルガレーナを未来の王妃にするために、両親はまだ物心もつかぬうち前から、マルガレーナに潤沢な資金を投資してくれた。
礼儀作法やダンスだけではない。未来の王妃にふさわしい知識や他の貴族達に侮られないやりとりの方法、どんな仕草をすれば可憐な令嬢だと賞賛を受けられるのか……。
両親が選んだ家庭教師達はみな一流の人物ばかりで、マルガレーナはよき生徒であろうとひたすら努力を重ねてきた。
いまのマルガレーナがあるのは、両親のおかげと言って過言ではない。
もちろん、マルガレーナも両親の期待に応えたくて、幼い頃からずっと励み続けてきた。
けれど……。
マルガレーナが血がにじむほどの努力をしても、両親が褒めてくれることは本当に
それどころか、年頃になって社交界へ出るようになったマルガレーナにジェスロッドが興味を持った様子はないと知ると、お前の努力が足りないせいだ、お前を王妃にするためにどれだけの時間と金をかけてきたと思うと責め立てられ……。
だが、淑女であるマルガレーナほうからジェスロッドに迫るなんてはしたない真似ができるはずがない。
何とか振り向いてほしくてジェスロッドに執拗に迫った挙句、言葉だけはやんわりと、だが明確な拒絶を告げられた令嬢を、マルガレーナは何人も知っている。
質実剛健なジェスロッドは、王家主催の舞踏会でも数人の令嬢と義務的に踊るだけで、令嬢の誰にも興味を持っていないようだった。
なんとか娘をお近づきにさせようと貴族達が躍起になって誘う茶会にも、剣の鍛錬を理由に一度も参加したことがない。
だから、今回のお世話係のことは、マルガレーナにとっては千載一遇の機会だった。
ジェスロッドがユウェルリースと親しくつきあい、しばしば聖獣の館に滞在していることは、ある程度の地位にいる貴族達なら誰でも知っている。
どの令嬢達も一度も招かれたことのない聖獣の館に、お世話係として堂々と滞在できるのだ。
聖獣の館でジェスロッドと直接親しく話す機会を得られれば、きっとジェスロッドもマルガレーナの価値に気づいてくれるだろうと。
きっとそうに違いないと期待していたというのに。
「なぜ、わたくしを認めてくださいませんの……?」
心の中からあふれ出る哀しみを押し込めるように、ぎゅっと唇を噛みしめる。
さまざまな条件を考慮すればするだけ、マルガレーナほど、その条件を満たす令嬢はいないというのに。
なぜ、ジェスロッドは頑なにマルガレーナを見ようとしてくれないのだろう。マルガレーナは、これほどまでにジェスロッドを見つめているというのに。
まるで、この想いが恋だと勘違いしてしまいそうなほどに。
「わたくしが抱いている感情が恋ではないから。だから、陛下はわたくしを見てくださいませんの……?」
苦い声がこぼれ出る。
ジェスロッドは凛々しい美丈夫だとは思うものの、彼に恋心を抱いているかと問われれば、よくわからないとしか答えられない。
恋なんて甘やかな感情を抱くことは、両親に許されていない。マルガレーナは常に己を律し、未来の王妃にふさわしい淑女であらねばならないのだから。
「恋なんて……。くだらないいっときの感情ではありませんの……」
国王の結婚は恋だの愛だのという甘い感情だけで決められるものではない。
だからこそ、最も条件のよいマルガレーナが選ばれてしかるべきだというのに。
どうして、こんなに心の中に黒い
脳裏に甦るのは、先ほど、マルガレーナが将来、自分を娶ってくれるかと問うた時に、ソティアを振り返ったジェスロッドのまなざしだ。
まるで、誤解だと言いつくろおうとするような、焦りのにじんだ表情。
ジェスロッドがあんな感情を
果たしてジェスロッド自身は己の気持ちの
「決して陛下に気づかせてはだめ……っ! だって、王妃になるのはわたくしなのだもの……っ!」
でなければ、両親に認めてもらえない。
マルガレーナの人生はただ、王妃になるためだけに、両親によって作られてきたのだから。
もし、王妃になれないなんてことになったら……。
ぶるり、と大きく身体を震わせ、唇を噛みしめる。
ふと窓辺を振り返れば、宵闇が深くなってきた
こんな顔を決して余人に見せることなどできない。侍女達を呼び戻す前にいつもの自分に戻らなければと、無理やり笑顔を作ろうとして。
「……あれ、は……?」
マルガレーナの目が、二階の窓の向こう、繁る枝葉の下を歩む人影を捉える。
一瞬、聖獣の館の侍女かと思ったが、違う。肩幅も背の高さも、明らかに男性だ。
聖域の中に入れる男性となれば――。
「陛下……っ」
もしかしたら、ソティアのいないところなら、少しくらいはマルガレーナを見てくれるのではないだろうか。
宵闇の中で切なく涙を流せば、ジェスロッドの心をわずかなりとも自分のほうへ向けさせられるかもしれない。
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