26 陛下はちゃんと任務をこなしたんですよね?


「その……。私はこのまま、お世話係として雇っていただけるのでしょうか……?」


 尋ねた瞬間、黒瑪瑙の瞳が見開かれる。


「……このまま、ユウェルのそばにいてくれると……?」


 射貫くような目で見据えられ、反射的に肩が震える。


「も、申し訳ございません! ご迷惑なのは承知の上です! ですが……っ!」


「迷惑なわけがないだろう!? だが……っ!」


 叫び返したジェスロッドが、己の声の大きさに驚いたように口をつぐむ。と、ユウェルリースを抱く手を、そっと大きな手のひらに包まれた。


「きみが世話係を辞退したとしても、責める者など誰もいない。いや、俺が責めさせたりなどしない。だというのに……。危険かもしれぬのに、ユウェルのそばにいてくれるというのか……?」


 真っ直ぐにソティアを見つめ、ジェスロッドが真摯しんしな声音で問いかける。


 黒瑪瑙の瞳を見上げ、ソティアははっきりと頷いた。


「もちろんです。陛下さえお許しくださるのでしたら……。私には何の力もございませんが、こんなに愛らしいユウェルリース様が危険な目に遭うやもしれぬとわかっていて、どうしておそばを離れることができましょう?」


「許すも何もあるものか!」


 声と同時に、ユウェルリースごと強く抱き寄せられる。


「ひゃっ」

「だぁっ!」


 ソティアとユウェルリースの声が重なる。


「きみがユウェルリースのそばにいてくれるというのなら、俺も嬉しい。安心してくれ。何があろうと、きみを危険な目に遭わせるようなことはしない」


 麝香じゃこうの甘い薫りと熱のこもった言葉に、一瞬で頭に血がのぼる。くらくらして、気が遠のきそうだ。


「あ、あの……っ!?」


 身じろぎすると、「す、すまん! 強かったか?」とあわてふためいた声とともに腕がほどかれる。


「い、いえ……っ」


 ふる、とかぶりを振った拍子に、満面の笑みでこちらを見ているエディンスに気づき、ますます頬が熱くなる。


「あのっ、こ、これは……っ!」


「いやいやいや、おれのことはお気になさらず。そこらにある置物だと思って頂いて。さ、どうぞどうぞ続きを」


「えぇぇっ!?」


 そもそも、気にするしないの問題ではないと思うのだが。


 すっとんきょうな声を上げたソティアに、エディンスがくすくすと笑いながら告げる。


「聖獣の館の中で陛下のおそばが一番安全だというのは、真実ですからね。ユウェルリース様をお守りするためにも、できる限り陛下のおそばにいらしてください」


「エディンスの言うとおりだ。変な遠慮はしないでくれ」


「あ、ありがとうございます……」


 頬の熱がなかなか冷めないのを感じながら、頭を下げて礼を言う。


「あ、そうでした!」


 急にエディンスがびしっ! とユウェルリースを指さす。


「学者達が古い文献を調べた結果、ユウェルリース様にとって、大切なことがわかりました!」


「何だそれは? もったいぶらずに言え」


 えっへん! と胸を反らしたエディンスを、ジェスロッドが冷ややかに促す。


「陛下、もうちょっとお褒めの言葉はないんですかぁ!?」


「お前を褒めても仕方があるまい。早く言え」


「陛下ったら、おれには冷たいんですから……」


 ぶつぶつと文句を言いながらもエディンスがすぐに説明する。


まれにですけれど、過去にもユウェルリース様が幼体になってしまったことがあったようでして……。それでですね、ユウェルリース様の成長を早める方法があるらしいんです」


「成長を早める方法が……っ!?」


 ずい、と身を乗り出して告げたエディンスに、ジェスロッドが驚きの声を上げる。エディンスが満足そうに頷いた。


「そうです。先ほど陛下は、邪神の糧は人間の負の感情だとおっしゃいましたが……。聖獣の力の源は清らかな乙女からの愛情なんだそうです」


「清らかな乙女からの愛情……」


 おうむ返しに呟いたジェスロッドのまなざしがソティアにそそがれる。


「学者達が言うには、聖域に清らかな乙女しか入れない理由もそれだろうと。ですから、ユウェルリース様の回復のためにも、ソティア嬢にはお世話係を辞めてもらうわけにはいかないんです。先ほどのソティア嬢の言葉に安堵したのは、陛下だけじゃなくおれもですよ」


 にこにこと告げたエディンスが、ソティアに向き直る。


「というわけで、ソティア嬢。おれからもお願いします。どうか、ユウェルリース様と陛下のおそばにいてあげてください!」


「エ、エディンス様っ!?」


 がばりと深く頭を下げたエディンスに驚愕する。


「どうかお顔をお上げください! エディンス様にまで頭を下げられるなんて、そんな……っ! いったんお引き受けした以上、途中で職務を放棄しないのは、当然のことですし……っ!」


 今までの飄々ひょうひょうとした様子から一転、生真面目な表情になったてエディンスが、真摯な様子で言葉を継ぐ。


「たとえ、当然のことであったとしても、自分にも危険が及ぶかもしれない状況で『当たり前』ができる者はそう多くはありません。どうか、おれからも感謝を述べさせてください、ソティア嬢」


「も、もったいないお言葉です……」


 こんな風に褒められたことなどなくて、顔が熱を持って仕方がない。なんとか返事を絞り出すと、「おい」とジェスロッドの不機嫌な声が聞こえてきた。


「ソティア嬢が素晴らしい令嬢なのは俺も大いに認めるが、彼女を困らせるな」


「えぇ~っ! いいじゃないですかぁ、おれだってソティア嬢と仲良くしても! ちなみにそういう陛下はちゃんと任務をこなしたんですよね?」


 エディンスの唇がからかうように上がる。


「当然だろう」


 胸を張り、自信満々な様子のジェスロッドが、おごそかに答える。


「ソティア嬢が欲しいものは、ユウェルの子ども服を作るための綿の布だそうだ」


「ちょっ!? 陛下ぁっ!?」


 告げた瞬間、エディンスが情けない声を上げる。


「絶対そうじゃないでしょう!? 何を聞いてたんですかっ!?」


「いえっ、エディンス様。陛下のおっしゃるとおりです!」


 ジェスロッドを責めるエディンスに、ソティアはあわてて口を開く。


「私が陛下にお願いしましたのは、ユウェルリース様の服を作るための布で間違いありません!」


 ソティアの言葉を聞いたエディンスが、何やら深く嘆息する。


「……ある意味お似合いというか、なんというか……。陛下、絶対聞き方間違えてますよ……」


 ぶつぶつと小声で文句をこぼしていたエディンスが、気持ちを切り替えるようにひとつ吐息すると、顔を上げる。


「わかりました! それがソティア嬢のお望みなのでしたら、すぐにでもお持ちいたしましょう!」


「ありがとうございます、エディンス様。それと、とてもおいしいクッキーをいただきまして、重ねてお礼申し上げます。陛下より、エディンス様がご用意してくださったものだとうかがいました」


「おれにまで、わざわざありがとうございます。というか陛下も、おれが用意したとおっしゃらなくてよかったのに……」


 エディンスが呆れたように吐息する。だが、ジェスロッドを見るまなざしはどこかくすぐったそうだ。


「ソティア嬢。他にもご入用の品がございましたら、陛下を通じて教えてください。何なりと用立てますから。陛下は他にご用命はありますか?」


「ああ。邪神の欠片がいるとわかった以上、俺はユウェルのそばを離れられん。ユウェルの聖域がある限り、欠片といえど、邪神は決して外に出られんが、逆に言えば聖域内のどこかに潜んでいるということだからな。しばらく公務は聖獣の館で執り行う。大臣や高官達にはお前から話を通しておいてくれ。どうしても俺の決裁が必要な書類があれば、お前が持ってこい」


「えぇ~っ! おれが大臣達に伝えて、書類までもってこないといけないんですかぁ~っ! ただでさえ、おれ、いま邪神封印を祝う宴の準備で大変なんですけどぉ!」


 ジェスロッドが告げた途端、エディンスが情けない悲鳴を上げる。


「当たり前だろうが。どうしても俺が処理しないといけない書類を、お前以外の奴に任せられるか」


「っ! まったく、陛下は無自覚でこういうこと言うんですから……っ!」


ソティアは大臣や高官達に拝謁したことなどないが、エディンスの様子から推測するに、なかなか大変な相手なのだろう。


「あーっ、もう! わかりましたよ! 今回ばかりは事情が事情だけに仕方がありません……っ! けどっ!」


 エディンスがやけになったようにジェスロッドを見据える。


「ちゃんと後でこの働きに報いてくださいよっ!?」


「もちろんだ。お前にはいつも感謝している、エディンス」


「っ!」


 ジェスロッドの信頼に満ちあふれた笑みに、エディンスが言葉を詰まらせる。と、照れたように視線を伏せた。


「まったく……。陛下はここぞというところで……っ!」


 エディンスが釈然としない様子でぶつぶつ呟く。


「うん? どうした?」


「いーえっ! 何でもありませんっ!」


「あぁう~っ! あぅ~っ!」


 じっと抱っこされているのにも飽きてきたのだろう。ユウェルリースがぐずりはじめる。


「ひとまず、お前に伝えておかねばならんことはこのくらいだ。俺が不在の間、城のことは任せたぞ」


 木箱から立ち上がったジェスロッドに続き、ソティアもあわてて立ち上がる。敷いていたハンカチを取ろうとしたが、それよりも早くジェスロッドが手にしてしまった。


 同じく立ち上がったエディンスが恭しく一礼する。


「陛下のご命令とあらば」


 優雅な所作は、いままで軽口を叩いていたのが嘘のようで、気安く見えてもやはり次期公爵なのだと改めて気づかされる。


 エディンスの緑の瞳が真っ直ぐにジェスロッドを見上げた。


「陛下、ご武運を」


「ああ、任せておけ。邪神の好きにはさせん」


 エディンスのまなざしを正面から受け止めたジェスロッドが、力強く頷く。


「だぁっ!」


「では、行こうか。ソティア嬢」


「はいっ」


 元気よく声を上げたユウェルリースにくすりと柔らかな笑みを浮かべたジェスロッドが、布を巻きなおした聖剣ラーシェリンを手に歩を進める。


 ユウェルリースを抱っこしたソティアは遅れないよう後に続いた。


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